どちらかが馬鹿 8
なんだかにっこにこして御影と三木は帰って来た。お説教のひとつやふたつや八つや九つ食らって帰ってくるかと思っていたのだが。
「ん? 怒られたよ?」
ご機嫌ににこにこしながら御影が言う。
「明日の朝日が拝めないかと思ったよ」
「運転中だったから正座させられなかったのが唯一不満」
同じくご機嫌に三木が言ったので内心首を傾げる。
理由はすぐに分かった。大事そうに抱えた包みを御影が披露して見せる。
「スーパーのがらがらで吉野が当ててくれたの。ともりくんどれがいい? 吉野がチョコかかってるやつだからそれ以外ならどれでもどうぞ」
ドーナツ屋で使えるクーポン券を三木が当てたらしい。当然とばかりに三木が胸を張る。
「私が出向いた段階で当選させるべき」
「すごいな吉野さん」
「むしろユキが隣で祈ってなければ一等の掃除機が当たってた」
「ほんとすごいな吉野さん。なんかごめん」
楽し気な女二人の会話を横目に箱の中身を覗き込む。三木が食べるらしいチョコのかかっているのと、砂糖がまぶしてあるのと、抹茶と珠数繋ぎみたいな形のドーナツと。
「…お前はどれがいいの」
「私? 誰も食べないならお砂糖かかってるやつがいいな」
「あっそ」
残り約一名には訊かず珠数繋ぎみたいなそれを手に取った。
「ひろせんぱーい」
「そこで俺が砂糖の取ったら悪役じゃねえか。好きなの取れ」
ひらひらと投げやりに手を振った真野を見て御影は砂糖のかかったドーナツを手に取り、ぱくりと齧った。ふわっと笑顔が増す。三木も自分の分を頬張ってうれしそうな顔になった。なんだかよかったなあんたたち。
自分の分を頬張る。甘い。独特の食感。うまい。
状況の割には酷く平和でのどかで、どこかぴりりと張っていた痛みにも似た緊張がほろっと溶けるようにして落ちて行った。
モツ争奪戦ーーーもといモツ鍋を囲むは約一名の負傷者を除き無事に終わり(口内火傷)、締めの雑炊もおいしく頂き、各自なんとも満たされた状態でようやく本題に入った。ものすごい充足感が満ちているがそもそも集まった理由はストーカー問題があるからだ。
「キャノンかあ。まあそんなにカメラに詳しくないひとでもネームバリューでなんとなく手を出しちゃうメーカーだからね。絞れないなあ」
と、写真学科ということが先程判明した三木が言う。シャッター音で聞き分けたという事実に驚きもしないところから、やはり技術部として基本装備らしい。少なくてもこのメンバーでは。
「え、だってゲームでやるでしょ。シャッター音当てゲーム」
やらねえよ。因みに御影のカメラはPENTAXらしい。正直何が違うのかさっぱりだ。
「後ろ姿で性別とか分からなかったのか?」
「…でかくはなかった。けどひととか車で途切れ途切れだった」
「まあ走ってりゃそうか…」
呻きながらテーブルの上に広げた手紙を見比べる。三木が言った。
「ともりくんのところには『ウラギリモノ』、ユキのところには『シネ』にユキの写真…女かなあ」
「何で」
「女の恨みは女に向かうから」
妙に説得力があった。ということはそもそもの事の発端は自分か。
一瞬、あの女が浮かんだ。ギブアンドテイクを望んだ、対等以外認めたくなかったあの女。…でも違うだろう。相変わらず連絡はないということはまだこっちに戻って来てはいない。
「…ともりくん?」
「なんでもない。…女、ね」
「ねえともりくん、今まで彼女は?」
「…何で」
「大事なことだから」
さっさと答えなさいという三木の微笑みの裏に隠された圧力に小さく唾を飲む。あの子に何かしたら赦さないーーーこれがもし自分の齎した災厄なら、この女と愛すべきクラスメイトはどんな対応をするのだろう。
「…いない」
「ひとりも? 後腐れのある女は?」
「…そこまでは何とも」
「告られたけど振った女はいる? 手酷く振ったりしたことある? ヤリ捨てした女は?」
ずけずけと刺し込むように問われよく分からない冷や汗が背中に滲む。真野が気の毒そうな顔で自分を見ているのが酷く腹立たしかった。
「告られ…はあるけど。別に普通に…要らないとか必要ないとか」
「…どうかと思うけど決定打には欠けるか。何人くらい?」
「…覚えてない」
真野が舌打ちした。それを見て御影が小さく吹き出す。何か言いたげな真野の視線を素知らぬ顔で受け流していた。
「ヤリ捨てした女は?」
「いない」
それだけは自信を持って言えるので即答する。あの女はビジネスだ。関係ない。真野が疑わしそうな目で見て来たが全部無視した。
「じゃあそこまで恨まれることは…別関係ってことかな」
針の筵のような取り調べが終わり、心の底からため息を吐いた。御影がなんとも言えないような顔でお茶のおかわりを注いでくる。
「…御影はいないのか、過去付き合ってた男とか」
自分がこの家に頻繁に出入りするのを目撃されたことがきっかけだとしたら、御影の過去という可能性もあるーーー気遣わしげに真野が問うと、三木が何か言いたそうな顔をした。言葉を選ぶようにゆっくりと、
「高校時代は、まあユキ成績良かったし他クラスの奴から言われることもあったけどーーーでもほとんどいなかったし、多分違う」
「うん、あれは違うよ。仮に万が一そうだったとしたら今回のきっかけが全く不明。だって卒業以来何の関わりもないのに」
具体的に浮かぶ人物がいるのか、三木は難しい顔をしていたが肝心の御影はまるで気にしていないようだった。あのひとじゃあないよ、と。
「中学時代は?」
三木とは高校時代からだったというのを思い出して訊くと、今度は御影が難しい顔をした。
「うーん、揉めた子はいたけど…その子私のこと好きだったからなあ」
「今関わりは?」
「ない」
切ったのか。まあ高校が違えばそれなりに切れる。
「中学なら家近所じゃないの。ユキへの気持ちがぶり返したとか」
「うーん、でも風の噂で引っ越したとかなんとか…」
「こないだ成人式だったろ。会わなかったのか? 式後の同窓会とか」
「式は出たけど同窓会は出てないです」
「私も」
「お前らの高校以外の過去への執着心のなさははっきりしててほんとおもしろいな」
成人式。御影も振袖を着たのだろうか。
「で、肝心の男は?」
振袖姿の御影を想像しようとして強制的にやめた。さくりと訊ねると、結局難しい顔のまま御影が首を横に振る。
「心当たりないな。言われた時も穏便に断ったし」
「…因みにそれ大学入ってからか?」
「なんでそんなこと訊くの? ひろ先輩」
黒目がちな目に真っ直ぐ見つめられて真野は撃沈して目を逸らした。ざまあみろ。




