どこまでも馬鹿な男 2
日差しが廊下に差し込んでいる。真っ直ぐにのびた通路に入り込む外光は、真冬のそれよりも少しだけやわらかい線を描いているように見えた。視界の端で自分の髪が金細工のようにきらめく。
こんこん、とノックして扉を開けた。
「しつれーします。小田巻センセいらっしゃいますかー」
「お前は不真面目なのか真面目なのか……いるぞー」
テーブルの島の片隅で短い腕をはたはたと振った中年の男の側まで歩み寄る。慣れたルートだった。
「センセ、ここがわかんない」
「蕪木、だからお前は髪を……ああもう、どこだどこだ」
終業式後、あとは春休みを満喫するだけとあり校舎にはそこまで生徒は残っていない。閑散としつつある職員室でずいっと突き出した問題集の問いを突ついてみせると、数学担当の小田巻は薄くなった頭をぽりぽり掻きながら首からかかっていた眼鏡をかけた。途中まで試行錯誤した痕跡のある数式を眺め、ああ、と呟く。
「ちょっと難しい考え方をしただけだな。不正解じゃないが、この公式を当てはめると……ほら」
「あ。……ほんとだ、なるほど」
うなずいて、問題集を受け取った。シャーペンを走らせ数式を展開させていく。その場で解きはじめたこちらに小田巻は何も言わず黙ってこちらを見守ってくれていた。
「出来た。こう?」
「……ああ、合ってるな。いいぞいいぞ」
再び覗き込み、求めた答えだけでなく丁寧に数式を目で追って確認してくれた小田巻に今度は開いたノートを差し出してみると、慣れた仕草で小田巻はそれを受け取り、がりがりと数列を並べてみせた。しばらく書き込み、こちらに返す。目を落とすと今解決した問いの難易度が上がった応用編が書き込まれている。数瞬考えてから、応えるようにこちらも数式を書き並べて行く。展開し、並べ直して、求めていく。
数分で、問いはシンプルな答えになった。くるりと返してそれを見せると、小田巻は先ほどと同じように目を走らせ、
「……うん、正解だ」
よくやった、というように笑った。こちらも、へらりとした笑みを返した。
「お前はなあ、その髪の色、なんとかならんのかね」
「うーん、金使っちゃったんだよね……金欠なの」
「そんなに使ったのか」
「うん、さんこーしょ、高くて」
「っ、お前なあっ、お前は本当になあっ」
喚きながら天を仰ぐ男に更に続けて、
「あと電子辞書が欲しい。あれあれば、英語やるのだいぶスピード上がるよね? 紙の辞書だと時間かかるからさー」
「お前はなあああっ、本当になああああっ」
嘆く哀れな数学教師の前でノートをぱたぱた振って見せて、
「だからさ、センセ、呆れず見捨てず春休みも教えてね? なけなしの金払って春講習取ったんだから」
「あああもう、気を付けて帰れよ!」
うん。
帰らないけど、ね。