どこまでも馬鹿な男 26
大泣きする少女と大泣きする男子高校生と、しっかりと抱き合う二人の姿をまじまじと見る通行人はいなかった。人通りの少ない歩道橋でよかった。
少し離れたとこからそれを見るともなしに眺め、御影が買ってきたスポーツドリンクをぐびりと仰ぐようにして飲む。
体の中の細胞が膨らんでいく。久しぶりにこんなに走った。
「ともりくん背中大丈夫?」
「何が」
「助けてくれた時。打ってたでしょ?」
助けてくれた。……落ちる時、あんなにうれしそうな顔をしていた癖に。
「いや別に。大したあれじゃない」
実際痛みはあまり感じていなかった。痣になるかもしれないが、まあ酷く痛むほどでもない。
少し疑わしそうな顔の御影を無視し、いい加減解散宣言させてくれと思い泣き合う二人に近付く。
「俺たちもう帰るから。あとはそっちでやって」
「っ、ああ、うん、ごめん、ごめん、本当ありがとう、ありがとう―――ほらゆかり!」
「お兄ちゃん、おねえちゃ、ごべ、ごべんなざいいいいい」
少女に泣き喚かれて素直に迷惑だと思った。
「どうして出て行っちゃったの?」
前と同じように屈んだ御影が少女に問うた。それ聞くのか。
「お、お母さん、がいれば、お兄ちゃん、もっとねれると思った、からああああ! お母さんに、かえってきてって、おねがい、するのおおおお」
喧嘩の原因は―――なんて言ったっけ。買い物に行くと言った林場に、妹が一緒に寝ようと駄々をこねたからだったか。
バイトや買い物や自分の世話で忙しい兄。
少しでも休んでほしくて、眠ってほしくて。一緒に寝ようと懇願するが、兄は買い物に行くと言う。―――兄にしてみれば、妹を養うために必要なことだった。
行き違い。噛み合わず。願って、はぐれた。
「……ひとりじゃないから、何でも出来るんだろ」
蛇足だ。不要な言葉だ。―――がりがりと頭を掻いて、苦々しく続ける。
「それは俺にもわからなくはないよ。―――じゃあやれよ、何でも。父親に連絡取ってみろ。養育費が母親んとこで止まってんの知らないんだろ? せめてそれだけでもやめてそっちに回してもらえ」
「……でも……もう、新しい家族が、」
「知るかよ。お前には関係ないだろ、それは。……何でも出来るなら、どんな手段でも取ってみろよ。……他人の幸せ考えるのは、自分が幸せになってからだ」
他者を気遣える余裕、なんて。
自分が満たされているから生まれるものだ。
自分自身が辛くて逃げたくて堪らない時に他者を助けていたら、いつまで経っても幸せにはなれない。辛いまま。苦しくて―――潰れてしまう。あってはならない。そんな馬鹿な話。
「何でもしろ。……それで駄目なら、その時はじめて絶望しろ」
何にも包まなかった分尖った言葉。一瞬だけ惚けたような顔をして、それから、
―――それから林場は、うれしそうに笑った。
「―――わかった。そうする」
「そうしろ。さっさとしろ」
「そうする。―――明日、講習休むわ」
「あっそ」
「なるべく早く復帰するから、そしたら休んだ間の教えて」
「知るか。自分でやれ」
吐き捨てて。
くすくすと笑う林場を背中に、その場をあとにした。
ぱたぱたと付いてくる軽い足音。
横に並び、少しだけ追い越して、くりん、と彼女が振り返った。
「ともりくん」
「なに」
「私はラーメン食べて帰るけど、食べれる?」
「食べれるけど。……俺金ないよ」
「うん、ご馳走します。味玉も付けてあげよう」
「……餃子も?」
「いいでしょう」
「……じゃあ行く」
「それからね、ともりくん」
「なに」
「助けてくれてありがとう」
……だから、死にたがってた癖に。
とは、
言わなかった。これこそ本当に蛇足だ。
汗が冷えてべたつく。喉が渇いて仕方ない。
予想もせずに訪れた、五月蝿くてうざったくて疲れる、眼が覚めるだけの夜だから、
だからまだ少しだけなら、続いたっていい。
〈 どこまでも馬鹿な男 何処までも、選んだ男 〉




