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どこまでも馬鹿な男 24


それからしばらくは平穏だった。御影の家で寝起きし、講習に行き、林場と綾瀬と昼食を摂って御影の家に戻り、リビングで勉強。弟の部屋にある勉強机を使っていいと言われたがやはり自分の目の届かないところに誰かがいられるのが嫌でリビングでやり通している。三木と真野も二日にいっぺんは顔を出し、どんどんと作業を煮詰めているようだった。たまに他のメンバーも顔を出す。

御影との距離は相変わらずだった。決定的なことも致命的なことも訊かれず、こちらも言わず。ただ真鍮のホイッスルだけは避けられ、話題にも登らない。

不自然な形だが気は楽だった。いれる家があるというのはやはりいい。

そんな風な日が数日続いた、ある日のことだった。

夜八時、そろそろ御影がバイトから帰って来る頃。しんとしたリビングで問題集を解いていると携帯が鳴った。―――眉を顰める。あの女か。

だがフリップを開くと名前が表示されていた。あの女の番号はこちらは登録していないから出るはずがない―――「林場 楓」の名前だった。

一瞬考えたが、何か講習の連絡かと思い通話ボタンを押した。

『―――蕪木? 俺、林場だけど、』

こちらが何か言うよりも早く、余裕のない林場の声が早口に喋り出す。

『お前今日スーパーに行った? ゆかり見てないか? どこかで見かけてないか?』

「は? 見てないし行ってないけど」

なんだこいつ、と胸中で呟く。ざわざわと聞こえるバックの音からしてどうやら外にいるらしい。

『そ、そっか。そうか。わかった。……あのさ、頼みがあるんだけど、ゆかりを探してくれないか。いないんだよ。あいつの足だからそんな遠くには行けないはずだから蕪木んちの近所とか、』

「ちょ、待てよ」

探す前提で紡がれる言葉を強制的に遮った。苛々とシャーペンで参考書を叩く。

「自分で探せよ。それか警察に連絡しろ。ガキがうろついてんなら動いてくれるだろ」

『けい、さつは駄目だ。連絡出来ない』

「は? なんで」

『……おや、が……』

クラクションの音。泣き出しそうに、林場の声が歪む。

『親が出てったきり帰ってこない、から。……警察にばれたら、児童相談所に連絡が行く。ゆかりと引き離される』

絞り出すようなか細い震えた声。ぼつぼつと小石のように落ちていた疑問が全て溶けるようにして無くなる。―――だからか。

『周りには、親は共働きってことにしてんだ。母親がゆかり産んでどっか消えて、だからゆかりの家族は俺だけなんだ。離れるわけにはいかない』

掠れているのに湿っている声。苛々する。苛々する。苛々する。

まるで不幸そのものを背負っているかのような―――

「……だとしても知るか。俺には関係ない」

時間がない。余所見をしながら時間を無駄にして大学に合格出来るほど頭はよくない。一分一秒が惜しい。

「俺には関係ない。自分で探せ」

通話を切ろうとした瞬間、電話の向こうで林場が叫んだ。

『おまえ、だって似たようなもんだろ! 女の家に入り浸ってんだろ、あの女の家に住んでんだろ! 俺らは未成年だ、垂れ込めばあの女を未成年略取で警察行きに出来る。

―――頼むよ、お前にはわからないだろ、きょうだいなんだ。俺はひとりじゃない。だから生きていけるんだ。あいつのためならなんだって出来るんだよ』

「脅しかよ。そしたら俺が出て行くだけだ。目撃はされたかもしれないけど証拠はねえだろ」

鎌かけだったがそれは正解だったらしい。林場は息を呑んで黙った。

「今から出て行く。行き場所は御影にも言わない。だからあの女を訴えるのは無理だよ。……じゃあな」

見付かるといいな。そう言うのだけはやめて、今度こそ通話を切ろうと、した。―――す、と、手の中から携帯が消える。

「もしもし、林場くん?」

やわらかい声。荒ぶっても、平坦過ぎるわけでもないいつも通りの声。

ぎょっとして振り返る―――いつの間にか帰ってきたのか御影がそこにいた。自分の携帯を耳に当て、電話の向こうにいる林場と言葉を交わす。

「ゆかりちゃんがいなくなったんだよね? 最後に見たのは何時でどこ?」

早口ではないが無駄なく繰り出される言葉。静まり返った家の中ではスピーカーを耳に当てていなくても微かに林場の声が聞こえた。六時に家を出た時は家にいたと。御影も背後で自分との会話を聞いていたのか。

「わかった。大通りで一度落ち合おう。今から行くから。私の番号は、」

口頭で番号を羅列する。すぐにかけて、と言い置いて通話を切り、次の瞬間、今度は御影のスマホが鳴ってすぐに切れる。

御影が顔を上げた。

「出て行く必要はないよ。君を今こんな形で放り出すわけにはいかない」

それはもしかしたら、はじめて御影が自分に一歩踏み込んだ瞬間かもしれなかった。

「家にいて。私はちょっと出てくるから」

「出るって、なんで」

苛立つよりもまず呆れた。御影にとってはたった一度会ったことのあるだけの人間だ―――そこまでする必要は何一つとしてない。

「あんたがやる必要ないだろ。他の誰かがきっとやる」

「それでも頼れるひとがいなくて林場くんはともりくんに電話してきたんでしょ?」

「だとしてもそれは俺に対してであってあんたには関係ない。……あんたさ、何がしたいんだ? 俺を拾ったり関係ない人間探そうとしたり、いいひとになりたいわけ? それとも知ったら罪悪感があるから見ないふり出来ないってだけ? それなら尚更気にすることないだろ」

誰だって適当に無視して、割り切って、通り過ぎて。

次の日にはそんなことがあったことすら忘れてるじゃないか。

そんな風にやり過ごして生きてるじゃないか。それが普通じゃないか。

「あんたがそんなことやったってどうにもならない」

「だとしても」

強い声ではない。……けれど、芯のある声だった。

「だとしても、林場くんは助けを呼んだ。……ひとを、呼んだんだ。彼はちゃんと呼べたんだよ。……そんな人間を、ひとりきりで行かせたくなんかない。……これはわたしのエゴだから、気にしなくていい」

一瞬、彼女の眼が出会った時のあの赤さを含んでいるように感じてどきりとした。が、彼女は泣いていなかった。泣き顔とは程遠い顔だった。

背中を向ける。歩き出す。

その体が余りにも小さくて。背中が余りにも頼りなくて。

口を開く。―――なんと言っていいのかわからない。

「……だってさ」

遠去かる。

「……んなことしたって、なんにも……」

距離が空く。

「無駄な、だけで―――」

誰かを、呼ぶことが―――出来たから?

「―――ああ」

畜生。

「―――御影!」

叫ぶ。走る。追いかけて―――その薄い肩を掴んだ。

「俺も、行く」

「いいよ別に、もう暗いんだから―――」

「だからだろ。御影は女なんだから」

「ともりくんは高校生で、」

「うるさい、行くぞ」

返事は待たない。靴を引っ掛けて、ドアを開ける。

「待って―――上着!」

ばさりと投げられたジャケットを後ろ手でキャッチした。もうどうにでもなれ。

歩き出す。

横に並ぶ、自分より軽い、もうひとつの足音。





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