どこまでも馬鹿な男 20
夕飯まで居座った真野と三木(の方は居座ったという形ではない気がするが)は十時頃引き上げて行った。言っていた通り明日も来るらしい。撮影前準備というのは意外と書類仕事ばかりらしい。が、翌日の朝食の段階で真野だけ御影家を訪問してきたのは仕事が理由ではないだろう。
「早くないですかひろ先輩」
「迷惑か」
「いや別にいいですけどね。ご飯は食べて来ました?」
「食べた」
じゃあ待っててくださいね、とテーブルに戻った御影を視線で見送り、その目が自分へと辿り着く。
「どうも」
「……おう」
御影の手前一応あいさつしたが反応は芳しくなかった。どうせこちらの監視兼牽制だろう。牽制ならもうひとりの後輩の方が既によっぽど効果的できついのを一発くれてくれたが。
もりもり食うだけ朝食を胃に収め、御影が淹れたお茶を飲み干した。身体中の細胞がよろこんでいるような心地。昨日よりもさらに体が軽い。食った物がしっかりと行き渡っている気がした。
「……うまい」
「そりゃそうだろ」
ぼそりと零した声に返したのは御影ではなかった。じろりと睨むが同じように睨み返される。
「……食ったらやるぞ。さっさと。俺今日バイト入っちまったから」
「……バイトって、何してんの」
インフルエンザとか何もこのタイミングで、とぶつぶつ呟く真野に話しかける。自わからきちんと話しかけたのははじめてかもしれなかった。は? と顔を上げた真野が、思っていたより普通に返す。
「居酒屋だよ。インフルで今日一人潰れたから俺に回ってきたの。どうしても断れなくて」
「居酒屋って、儲かる?」
「夜入れば、まあ……でも割には合ってない。高校生だと一応十時までってなってるから深夜料金は付かないし、今は向いてないんじゃないか」
酒が絡むところで働きたくはない―――が、時給が高いのならば。とも思ったが、やはり現実は甘くなかった。昔調べたのとやっぱり同じか。
短時間で、それなりの額を。―――そう考えると取れる手段は酷く限られていて、今自分が選んだ「稼ぎ方」は正しくはないけれど間違ってはいない。
塞ぎ込むようにして考え込みはじめたこちらを、真野は少し思案顔で眺めている。
「あ。吉野だ」
ぴくんと御影が反応し、ぱたぱたと玄関まで迎えに行く。特に何か合図があったわけでもないのに、戻ってきた御影は三木をうしろに連れて来た。
「三木も呼んだのか」
「うん、来れるなら早くおいでーって」
「おはよーございますひろ先輩。おはようともりくん。……なんかあった?」
「……別に」
「そう。あ、卵焼きおいしそう」
「あーん」
「あーん」
ナチュラルにいちゃついた女二人はもぐもぐと食べ終え、三木がゆるりと首を傾げる。
「ともりくんも撮影手伝う?」
「……時間、ない」
「時間?」
「ジュケンセイなんで」
「あー、そっか」
「……勉強するのもいろいろ金かかるからな」
少し腑に落ちたように真野が言った。言葉は決して、硬くない。
「参考書とか結構するし」
「ん。……古いのでよければあるよ?」
見てみる? という御影に一も二もなく大きくうなずいた。明日からまた講習だし、昨日丸一日何もしていない。痛いロスだった。
「ユキに勉強教えてもらえば? こう見えて頭いいよこの子」
「めずらしく褒められた」
「ストレートな褒め方じゃないだろ」
「うれしい」
「……聞いてるか?」
ぺしん、と真野が御影の頭を軽く叩いた。気にせず三木が続ける。
「この子高校の時特待生だったんだよ。環境的に英語喋れる子だし」
「へえ」
環境的? よくわからなかったが、特待生というのは確かにすごい。視線を向けると御影は立ち上がった。
「私の部屋に問題集とかあるから。全部持ってこようか?」
「や、とりあえず何冊かでいい。見して」
「うん。三木、真野さん、先にやっておいて」
テーブルを片付けた御影のあとに続き二階に上がる。二階ははじめてだった。木目調の階段と手すりと、白い壁。よくある一軒家だが明るく見えるのは窓が大きいからか。
その内の一室に御影は入った。あとに続く。―――一番最初に目に入ったのは本棚だった。三つの大きな本棚にぎっしりと本が詰まっている。『ライティング』『一眼』などの実用書もあったが、九割を占めるのは小説だった。文庫本や新書やハードカバー、ありとあらゆる本が並んでいる。
「……本、好きなんだ」
思わず呟くと、御影は備え付けのクローゼットを開けながらうなずいた。
「うん、好き。ひと休みしたい時は何か持ってっていいよ。推理小説がほとんどなんだけど」
「ふうん……これ、原作?」
日本の出版物でないような、粗い紙質のペーパーブックが机の上にあった。ぱらぱらと捲るとどのページも英語。シャーペンで単語の意味を書き込んであるページもあった。
「うん、翻訳版も持ってるんだけどね、それ大好きなんだ。だから英語でも読んでみようかなーと。時間かかるんだけどね」
机とセットになっているキャスター付きの椅子をころころとクローゼットの前に持っていく。世界的に有名になった魔法使いの少年の物語。本棚を見ると確かに翻訳版がずらりと並んでいた。
「ともりくん、椅子押さえててもらえるかな」
「は。……ああ、上にしまってるの」
「うん」
御影が椅子の上に立とうと足をかける。それだけでキャスター付きの椅子はからりと動いた。
「……俺が取る」
「え?」
「そんなのなくても届くから。どいて」
「重いよ?」
「いいから。どれ」
押さえていたって不安定なものは不安定だろう。強引に割り込むように入り、椅子を退けた。
「ありがと。そのグレーの箱」
「……だからあんたが言うことじゃないだろ」
呟く。手をかけると確かにそれなりの重量だった。ゆっくりとそれを下ろす。ぱかりと蓋を開けた。
「わ、懐かしー」
ちょっと弾んだような声を上げて御影がよろこんだ。手を差し入れ、一冊取り出しぱらぱらと捲る。同じように違うものを捲るとあちこちに書き込みがしてあった。続いて問題集を捲ると、数字や図形にチェックしたようなあとが見られる。頭がよかったのは本当らしい。
「問題集も使えそうだね。計算とかはノートにやってたもんな」
「使っていい?」
「いいよ。あと何か必要なのある?」
「……電子辞書、ある?」
「あるよ」
立ち上がり、机の上から白い二つ折りのそれを取る。はい、と手渡されたそれを思わず大事に抱えた。
「……りがと。助かる」
「いいえ」
にこりと微笑む御影に居心地が悪くなって顔を逸らした。本棚、机、ベッド……それから写真。写真好きなのか、あちこちに飾ってあった。その内の一枚を覗き込む。
「……これ、かぞ……く?」
疑問系になってしまったのは、それが少し不自然な写真だったからだ。
いや、写真自体はいいものだった。四人が写っていて、その全員が楽しそうな笑顔をカメラに向けている。御影と、御影によく似た顔の四十代くらいの女。恐らく母親だろう。
それと豪快に笑っている大柄な男。父親だろう。ここまではよかった。が、もう一人の少年が不思議だった。自分の人工的な金色とは違う、茶色の混じった金髪に青い目の異国的な顔立ちをした御影より年下であろう中学生ぐらいの少年。こいつがいることによって何のメンバーの写真なのかが一気にわからなくなる。いや。
彼は日本人でしょう。御影の言葉が甦る。
「うん、そうだよ。連れ子同士の再婚なの。だから父さんと弟とは血の繋がりはないんだ」
何かがすとんと腑に落ちた。御影とよく似た顔のやさしげな女は確かに血の繋がりがあるとしか言いようがない。御影が隣の写真を指差す。三人で写っている写真。
「そっちが血の繋がりのあるお父さん。事故だったんだけどね」
離婚ではなく死に別れのようだった。三人の写真の方の御影はまだ十歳ほどの少女で、右の写真よりも若い母親の膝の上に抱えられている。その母親を更に膝の上に乗せている柔和な顔立ちの男は、確かに御影と雰囲気が似ていた。目鼻のパーツなどは母親似なのに、全体的な雰囲気は父親譲りだ。
「お父さんがいなくなったあと、私が中学に上がってから父さんと再婚して、」
お父さんと父さん。義理の父を疎んでいるわけではなく、単なる区別のためそう呼んでいるようだった。
「父さんは遺伝子的には日本人なんだけど生まれも育ちもアメリカだからもう中身は完全にアメリカ人で。そっちで出会ったひととの間に弟が生まれて、父さんが弟を引き取って、日本に仕事に来た時にお母さんと出会って数年後再婚して。……で、今は仕事で全員海外にいる」
愛おしそうに、御影の指先が写真盾を撫でた。かつての家族と、今の家族を。
想うことも、想い出すこともたくさんあるのだろう。きっと。
「……遺伝子的には日本人なのに大柄だな」
「あはは。そうだね。中身がアメリカンだと体も大きくなっちゃうのかな」
自分が今借りている服を摘みんで言うと、少しだけ遠くに行ってしまいそうだった御影が笑った。その笑顔はまだ自分に身近く感じることが出来て、何故だか少しだけ、ほんの少しだけほっとした。




