異世界は夢にあふれていますか?
俺こと、スオン・レーゼスはかなり恵まれた人間だと思っている。
地球と呼ばれる世界で暮らしていた俺は、17歳のサブカルチャー大好きな高校生だった。そんな俺が事故で死んでしまい、気づいたらこの『テデス』という異世界に生まれ落ちていた。最初は混乱と望郷で涙に暮れていたため、赤ん坊時代の記憶はほとんどない。だけど2、3歳ぐらいになって、いい加減認めた。もともと流されやすい性格である。もう仕方がないじゃん、と17年の人生を思い出として胸の奥にしまったのだ。
そうやって考えるようになると、自分がどれだけ恵まれた人間だったのかに気づいた。まずは転生できたことだ。地球で暮らしていた記憶を持ったまま、漫画や小説で憧れていた異世界にいる。興奮しない訳がない。さらに転生特典だからなのか、魔力が人よりも多く、様々な属性を使えた。さらに興奮したのは、言うまでもない。
何より、泣き続けていた俺を大事に育ててくれたこの世界の両親。自分でも気持ちの立ち位置が複雑だが、大切な人たちなのは変わらない。老後は絶対に楽にさせてやろう、とニートにはならないことを幼少期に心に決めた。というより、将来の夢はすでに決まっていたのだ。
「母さん、父さん。俺も父さんみたいな冒険者になって、いっぱい稼いでくるよ! すごい魔法使いになってやるんだっ!」
5歳ぐらいの子どもに夢を語られた両親の顔は、驚きと一緒に微笑ましそうだった。同時に冒険者は危ない、とも教えられたが。それでも今のうちにたくさん努力をして、勉強して、強くなれば、と当時の俺はめちゃくちゃ輝いていた。冒険、という言葉に心が弾んだ俺は、やっぱり餓鬼だったんだろうなーと思う。もし冒険者になっても、小心者だったから、サブカルチャーの主人公みたいな大活躍はできなかっただろう。
それでも俺は、自分で言うのもなんだが、かなり努力をした。『テデル』のだいたい中心地に位置するこの国は、武力や魔法が盛んな大陸の中心的な場所だ。そのため学ぶ施設が豊富で、実力主義な国だった。俺は平民という地位にいながら、この国でもトップに位置する魔法学校に10歳で入学を果たせたのも、魔法という力があったおかげである。
入学した俺は、自重しなかった。平民というだけで、どうせ浮いていたし、魔力検査で歴代トップを取ってしまった時点でやっかみは当然。この学校を卒業したら、すぐに冒険者になって国を出て行ったら忘れてくれるだろうと思っていた。両親がいるため、むやみに喧嘩を売らない、買わないようには気を付けた。
あとは、魔法の勉強が楽しくて楽しくて仕方がなかったのだ。小心者の俺が脇目を振らずに走り続けられたのも、どんどん上達していく魔法が嬉しかったからだ。目立ちたくない気持ちもあったが、それだと魔法を習うのに手間がかかる。自分でも色気のない、魔法一色な生活であったと思う。貴族とか、国とか、世界とか、自分は関係ないから、なスタンスだった。
……でも今思うと、もうちょっと自重をすればよかった。せめてテストの時だけは手を抜けば、あるいは隙を見せないように卒業まで眼光を鋭くしておけば、自由気ままな冒険者になれていたかもしれない。いや、そもそも彼女に目をつけられていた時点でアレか。
長々と思い出に耽っていたが、結論から言おう。俺の夢や幻想は、木っ端微塵にまで砕かれてしまいましたとさ。そんな俺が、昔の平和な時を回想してしまった理由はただ一つ。
「スオン、依頼が来ました。異世界から勇者を召喚するために力を貸して下さい」
「…………えっ?」
ただ、ものすごく現実逃避がしたかった。
******
「――スオン、聞いていますか? この私の話に上の空になるなんて、もう一回躾が必要かしら?」
「あっ、すみません、ごめんなさい、本当に申し訳ありませんでしたっ!」
「あら、じゃあまた『どげざ』というものを見せてくれない? あなたの前世では、それが謝罪の礼儀なのでしょう。私、あのポーズは気に入っているの」
「……お姫様が、男の幻想をぶち壊すほどのドSってねぇよ」
「また前世の言葉? ……当然褒めているのよねぇ」
「イエス、マイプリンセス!」
とりあえず土下座は勘弁してもらいました。俺は深く溜息を吐くと、自室の椅子を彼女のところに持っていき、着席してもらう。いくら長い付き合いとはいえ、男の部屋にお姫様が堂々と入ってくるなよ。彼女のことだから、気づかれないように細心の注意を払っているだろうけど。
俺の将来設計を盛大にぶち壊して下さったのが、今目の前にいるお姫様である。異世界『テデル』の中心にある、人間の国の王族。銀の髪と青い瞳を持つ『氷姫』と呼ばれる18歳の女性であった。彼女にそんな二つ名がついたのは、寒色な色彩と冷たい瞳とまるで彫像のように美しい美貌を持った美女だったからだ。残り半分ぐらいは、性格の所為だと俺は確信している。
魔力が多いとはいえ、平民の俺が本来ならお目にかかることもできないような人物。それが、リヴィア・エルシアナ・ノーゼンス様である。彼女はこの国の王女で、俺ことスオン・レーゼスのご主じ……上司です。誰が何と言おうと、上司です。
「あなたって、魔法以外は本当に情けないわね。もう少し威厳を持ちなさい。あなたはこの国の王女の、お抱え魔法使いなのですから」
「お抱えという名の、厄介処理係というか、おもちゃというか…」
「あら、その認識は悲しいわ。大出世にご両親は大層喜ばれたでしょう?」
「そうですね! 泣いて喜ばれて、本気で引っ込みがつかなくなりましたよ!」
今更冒険者になる、なんてことはできなくなってしまった。王女の魔法使い、という地位を手に入れてしまった俺は、色々とやばいことになったからだ。王宮が予想外に魔窟だった。世界が本当に魔窟だった。暗殺者とか泣きたくなった。ハニートラップが怖すぎて、恋愛ができません。どうしてこうなった。
退職しても、平穏はない。俺は魔法使いとしてはっちゃけすぎた。彼女の魔法使いになってから、とにかく必死すぎて、気づいたら本国にも他国にも『氷姫の死神』という二つ名命名をされた。マジ泣きした。こんな活躍望んでいない。
そんな職場だが、俺が留まるのには理由がある。まず普通に権力に負けたのは、仕方がないこととして。有名になりすぎた俺の両親や友人の保護を、リヴィア様が王女の権限を持って守ってくれていること。普通に給料や待遇がよかったこと。何より目の前の王女様を含め、目の保養が半端なかったことだ。
俺は19歳になった今でも、これまでの事情で全く彼女が出来なかった人間である。侍女含め、かわいい女の子がいっぱいの職場を放棄するって辛い。ハニーは恐いけど。ちょっと覗いてみた冒険者をしている人たちは、想像以上にむさかったから余計に。
「って、そうじゃありません! リヴィア様、勇者召喚ってどういうことですか!? しかも、俺が召喚するんですかっ!」
「私が召喚権をお兄様からもぎ取ってきました。スオンの実力ならできると信じています」
「今の言葉に俺は喜ぶべきっ!? やっぱり泣くべきっ!?」
「泣いて喜びなさい」
このお姫様、相変わらずのアグレッシブで実力主義なお方です。
「きょ、拒否権は俺に、ありま……せんよね…。国の命令だし。しかもあの王子様からもぎ取った。……いや、でも。一応聞きますけど、何故今勇者召喚を? あと、勇者なんて本当に実在するのですか?」
「魔国との関係が思わしくないのは、スオンも知っているでしょう。あなただって、戦場に駆り出されていたのですから。勇者の伝説は、歴史書に今でも語られています」
「……戦争の話はいいです。あと勇者とか本当なのか…」
俺が生まれるよりも前から、この世界は争い合っていた。ただ俺が生まれたこの国は、大国ということもあり、その戦火から遠い場所だったのだ。だから俺は、あそこまで平和ボケできていたのだろう。魔国ってありがちなファンタジー、ぐらいの認識で、冒険者になったら戦火から遠い場所を冒険しようと思っていた。
そんな俺がリヴィア様と出会い、そしてお抱えにされたのは15歳の時。それから4年間で、俺は色々なものを見てきた。同盟国からの救援要請で向かった先で、初めて戦争を、戦いではなく、殺し合いをした。昨日まで一緒に酒を飲んでいた友達が目の前で死んだ時は、頭が真っ白になった。これ以上死なせたくなくて、前線で魔法を撃っていたら、気が付けば全身が真っ赤に濡れていた。
思わず、俺は腕を摩り、視線を服に向ける。摩った腕に、あの時のような気持ち悪い濡れた感触はない。服は王族のお抱えとしていただいた、深い緑色に装飾がされた綺麗な服のままだった。それに俺は、心の底から安堵する。これに慣れることは、たぶん一生ない。
半年ほど前から魔国との戦争は、一時的な休戦となっている。束の間の平和だということはわかっていた。彼らとの戦いは、実に何百年と続いているのだ。だけど、何故今更勇者召喚なのか。もっと早く召喚されていてもおかしくない。俺が勇者伝説がただのお話だと思っていたのは、そういう気持ちもあったからだ。
「これは王族や重鎮しか知らないことですが、まぁいいでしょう」
「えっ、じゃあいいです」
「勇者を召喚するには、周期や時空の属性を持つ者がいるのです。そして膨大な魔力と知識を必要とします。多くの魔法使いを動員しなければならない大規模術式です。そのため戦争でいつ戦火に見舞われるかわからない中で、勇者召喚をするのは、あまりにも危険な賭けでした」
「あー、やっぱりこうなるー」
「しかしそんな現状に現れた、一人で膨大な魔力を持った人物。次元の波の周期も丁度合い、異世界の魂を持っているからか、高水準の時空属性を持つ。しかも現在は休戦中ときました。ここまで条件が揃ってしまえば……」
「……リヴィア様がこういう方なのは、ちゃんと知っていましたよ。そんないじめっ子みたいな顔で、ニヤニヤしないで下さい」
相変わらずの唯我独尊っぷり。俺が学校に入学して一年後に、リヴィア様は魔法学校に入学した。その時、彼女は身分を隠してお忍びで入学したらしい。国王様を自ら説得しに行き、魔法学校の入学試験を真正面から受けに行った。己の魔法と知識の研磨と、人材発掘のために。王女なのにすごい行動力だ。いや、王女だからこそなのだろうか。
少なくとも前世の知識があったとはいえ、平民である俺でさえ平和ボケしていたのだ。そんな国で王女として何不自由なく暮らしていたにも関わらず、彼女は世界を憂い、出来ることはなんでもやった。そんな彼女が、魔法使いとして自重していなかった俺に目を付けたのは、必然だったのだろう。
当時の俺にとってリヴィ、……じゃなくてリヴィア様は魔法学科の後輩だった。生意気で、向上心が高くて、女王様で、とにかく目立つ少女だった。身分を知った後は、全然忍んでねぇ! と不敬でバッサリされてもおかしくないことをツッコんだと思う。冒険者になって、国を出ることにいつも怒られていたが、まさか無理やりお抱えにされるとは思っていなかった。
彼女がいなければ、俺はきっとこの国を出ていただろう。戦争にも参加しなかっただろう。そんな勇気を俺は持ち合わせていない。お国や世界のためなんて、そんな無茶なことを言うなって思う。だから彼女を恨んでいない、と堂々と言えるのかはわからない。
それでも、リヴィア様がいなければ、俺はこの世界を真剣に受け入れてはいなかった。冒険者になっても、どこかで野垂れ死んでいた可能性は高い。いくら魔力や力があったって、俺はただの考えが甘い人間だったのだから。戦争で真っ赤になった俺に、血で汚れることも厭わずにずっと傍にいてくれた彼女がいたから、あの時は乗り越えられた。もし一人だったら、と想像したら怖気が走った。
そんな流されるように生きてきた俺の前に出てきた案件が、『異世界からの勇者召喚』であった。前世で何度も見た、アニメや漫画や小説によく使われたワンシーン。すべての始まりと言ってもいい、大切なプロローグである。この世界の人間にとって、勇者とは希望の光だろう。
しかし、この世界の人間でも前世の知識を持っていた俺は、この世界の基準で言えば……かなりひねくれていた。いやいや、希望の光って。異世界からの召喚って。そんな失笑ものだった。サブカルチャーに染まりまくった17年の前世の記憶が、俺に訴えてきた。
俺はこれでも、自分はまだマシな性格だと思っている。自惚れかもしれないが、少なくとも誰かを不幸にしたいとは思ったことがない。彼女を作ったやつらに、リア充爆発しろと呪詛を吐いたことぐらいはあったが。異世界だからって犯罪に手を染めることは、抵抗感が当然あった。
そんな俺だからこそ、思うのだ。いくら王族の命令でも、いくら世界の危機だったとしても、異世界から勇者としていきなり召喚するって――
「……そんな誘拐犯には、なりたくねぇよッ!!」
「…………えっ?」
リヴィア様の呆けた顔は、すごくかわいかった、とだけ伝えておく。