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不快指数満点の湿った炎天下の昼下がりだった。
その日私は電車の乗り換えを嫌い、六本木から飯倉、麻布十番をぬけ、芝浦まで歩いたのだった。
東京という街は、JR、地下鉄2社、私鉄各社が縦横無尽に線路を巡らせており、何処にいてもおおかた10分も歩けばどこかしらの駅に辿り着く。しかし、目的地への移動を考えると必ずしも便利とは言えず、乗り換えを繰り返し、大きく遠回りをしてようやく辿り着くという場合も多い。
私はそんな電車の乗り換えが大嫌いである。だから一駅程度の距離であれば徒歩で移動するようにしている。
まして毎夜浮き足立ち酔い狂った若者達で賑わう六本木という街は、ターミナルである東京や新宿と違い言わば陸の孤島の様な場所であり、周辺各地への移動は以外に歩いた方が早いことも多い。
地政学を多少かじった私は、訪れる度にこの地に歓楽街が出来たことを謎に思うのであった。
地政学といえば、多くの人間は地理学を暗記科目と考えて敬遠しがちである。
しかし地理学は地政学に代表されるように、歴とした科学なのだ。
1+1=2であるように人間の社会活動には根拠や法則性が存在する。
例えば新宿駅が池袋駅を抜き世界一の乗降客数を誇るに至ったのは、JR、小田急、京王、西武、地下鉄各路線が集まり、お互いに相互直通運転をすることで人の流れが加速したことに由来する。それに70年代の淀橋浄水場跡地での高層ビル建設ラッシュが増えるオフィス需要の受け皿として人口流入に拍車をかけ、今では日に350万人近い人間がこの駅を利用することとなったのだ。
因みに350万人という数は横浜市の人口に匹敵する。恐ろしいことである。
正にこれは根拠を元に結論が発生した紛れもない科学である。
対して、「港区六本木」そのアドレスのブランドに群がるミーハーな人々によって、「科学」すること無く発展してきたこの街が私は大嫌いである。
まして移動の不便さを考えると、出来ることなら立ち寄りたくないエリアの最右翼であった。
さて、今回の最終目的地は芝浦である。
六本木ヒルズの喫煙所から見下ろせば目の前に見えるその街は、同じ港区に存在しながらも電車での移動を考えると果てしなく遠い街に思えた。
「よし、歩こう」
乗り換え嫌いの私はそう決意し、六本木交差点から、関東連合によるあのおぞましい事件の有ったロワビルの前を通り、飯倉方面へと足を進めた。
Tシャツの袖からタトゥーを覗かせたもう若いとも言えない連中とすれ違い、心底嫌気がさす。
タトゥーだなんて格好良く横文字を当ててはいるが、言わばただの「刺青」である。まっとうな人間が好んですることではない。
この街はこういう連中がその文化を作り上げてきた街なのだ。
思わす表情が強張った。
それにしても六本木という街はいつ来ても下品かつ粗野であり、汚れた街である。
路上には無数のガム痕が残り、ここに集まる人々の品性が容易に伺える。
「一刻も早くこの汚れた街を後にしたい…」
その思いから本来歩行スピードの遅い私の足取りはいつもよりも速まった。
汗がジワリとにじみ出た…
正面に東京タワーを眺めながら外苑東通りを緩やかに下る。
首都高速都心環状線に突き当たったところを右に折れ、今度は東京タワーを左手に眺めながら高速道路脇の坂を下り、麻布十番の交差点へさしかかった。
週末のカフェは半袖短パン姿の麻布のロハス達で溢れ、皆一様に楽しそうに休日を過ごしていた。その傍らをフィオラノの至宝フェラーリ459イタリアがあたかも交響曲のように乾いたNAのV8サウンドを奏で走り去って行く。
「畜生…、どいつもこいつも幸せそうにしやがって…」
そう思いながら所用を済ませた私は、かつて世界一を誇った西武グループのボス堤義明の最後の富の象徴である深緑の芝公園にそびえ立つプリンスパークタワーを左手に赤羽橋に向かって歩く。
80年代のバブル景気時、先代からの相続財産である各地の不動産を元に爆発的にその財産を増やし世界一の大富豪にまで上り詰めた堤義明はバブル崩壊と共に没落し、先代の康次郎が築き上げた財閥をあっさりと崩壊させ、当時これもまた世界一の預金総額を誇ったみずほ銀行に経営を譲った。
思うに堤一族とは金にものを言わせて、生殖器を振り回してきた下等の一族である。
義明は康次郎の愛人の子であり、その義明が妻ではなく愛人のために建てたのがこのプリンスパークタワーである。
「夏草や 兵どもが夢の跡」
松尾芭蕉が、奥州藤原氏によりかつて栄華を誇った平泉の地で詠んだ歌であるが、そびえるホテルを見上げ私もそれを頭の中で詠んでいた。
男はいつの時代も愛ではなく性を求め、自らの力を誇示するがために愛の無い金を求め没落する。
自分は例えささやかであっても、一人の女性のために愛を捧げたい…
そんな事を想い芝公園を後にした。
そして桜田通りを右へ。
「暑いな…」
無意識につぶやきながらもひたすら歩く…
じわりじわりと滴る汗が、眼鏡のレンズを汚し、視界を遮るようになった頃、私の右手には慶応大学の東門がそびえ立っていた。
福沢諭吉が「学問のすゝめ」で説いた理想の祖国を具現化せんと、若者に夢を託した学び舎の荘厳たる門である。
数々の偉人達がこの地で学び、日本という我が祖国を牽引してきたのだ。
この地で学ぶことに憧れた田舎の高校時代に思いを馳せ、勉学を怠った自分の半生を悔いながらも、どこかその時代を懐かしく思う。
あの頃の私と今の私。
いったい何が変わってしまったというのだろうか…
15年以上の歳月を重ねた今も、夢や本当の愛を求め生きている。
そのステージは北の大地札幌から遥か大東京へと移ったが、それは私自身の変化ではなく、環境の変化である。
ラーメンとチャーハンが大好き。
びっくりドンキーでは300gのライス大盛り。
カレーは飲み物と思っている。
昔も今も、私は大食いであり早食いだ。
「何も変わらないではないか…」
「いや、でもどこか違うんだ…」
自分の変化に気付けないということは、自らの成長を止める事にもなりかねない。
必死に考え、私は最も大きな自分の変化にようやく気付いたのであった。
そう、あの頃の私は58kgだったのである。
「チェッ…」
思わず舌打ちをした。持ち上げる自らの足が随分と重いのだ。
Panasonicのロードバイクのサドルに跨り、札幌市西区の実家を出て坂を下り、発寒、新琴似、屯田、篠路と平坦な石狩平野でひたすらペダルをこぐ。
辺りからは家屋が消え、一面の草原が広がり、その中を陽光を浴びながら風を切ってしばらく走ると遥か向こうに橋が見える。
石狩川である。
日本で3位の長さと流域面積を誇る広大なこの川を渡ると、今度は再び登り坂だ。
ペダルを踏む脚に力が入る。
筋肉の組織の一本一本に力を込め、地平線まで続く直線の坂を登る。
登りきるとその先には大きく右に曲がるカーブだ。
トップスピードのままカーブに進入し、大きく体をハングオフさせた。
遠心力が一気に身体にのしかかる。
それまで前進するために筋力を集中させていた脚から、今度はバランスを取るため一気に上体へとパワーバランスをシフトする。
ドロップハンドルを握る腕と大胸筋に力を入れ、遠心力に対抗するのだ。
普段私達が過ごすこの世界は、いわゆる1Gの世界である。
その世界において、加速、減速、旋回をする時には、1Gを超える重力が身体にかかることとなる。
サー・アイザック・ニュートンが示した万有引力の法則やアルバート・アインシュタインが解いた万物の相対性理論の中の世界がそこにはある。
「僕らは科学の中で生きている。」
そう実感する瞬間だった。
カーブを曲がり切ると、目の前は断崖絶壁の崖の下に広がる一面の海だ。
その海にダイブしていくような下り坂を突き進む。
クロウチングフォームをとる。
空気の抵抗を最小限に抑えるその姿勢も正に科学そのものである。
普段その存在を忘れてしまいがちな空気にも確かに質量が存在し、高速で走行する生身の僕には大きな壁となって立ちはだかった。
その抵抗を最小限に抑えるために創造されたのが、下方に大きく湾曲するドロップハンドルなのだ。
「この世界は全て科学の支配下にあるのかもしれない。」そう僕は思った…
その先に夕陽の丘はあった。
北海道浜益村にあるその丘は真西に海を見下ろす高台の展望台だ。
僕はそこに自転車を停めてヘルメットを脱いだ。
実家からもう80キロは走り続けていて、程よい疲労が身体を包む。
大きく息を吸い込み、遥か海の彼方へ目を移す。
そこから眺める海は格別だ。
午後の陽に照らされ金色に輝くその海が僕の一番のお気に入りだった。
金色の海、淡い緑色の草原、パステルカラーの青い空に浮かぶ真っ白な羊雲…
そのカラフルな世界に身を置くと、科学が司るこの3次元の世界を超越する時の流れの存在を忘れ去ることが出来たのだ。
目を閉じると聴こえてくる風の音…
さらに耳を澄ますと、カモメがさえずり、さざ波が岸壁に打ち寄せる音が聴こえる。
そこにはいつも変わらぬ世界があった。
「何分たっただろうか…」左腕にはめたGショックに目をやり、時刻を確認して現実世界に戻る。
「やはり時は存在しているんだ。」
そう、太陽は止まるのとなく輝き、そして地球は回り続けている。
そこには悠久の昔から変わらぬ世界が存在しているが、確実に時代は進んでいるのだ。
人間の営みによる進化のスピードと、変わらぬ自然の世界のアンバランスが北海道にはある。
だからこそ自分の変化に対して敏感でいられた。
大都会の中では時の激流に流され、自分がどこにいるのかが分からなくなる。
「自分がどこからきてどこに向かっているのか…」
そんな事を考えることすら許されない圧倒的な時間の流れが都会にはある。
そして自分がどう変化しているのか、気付かないまま時だけが流れていくのだ。
まだ社会すら知らない若い僕はそんなことを考えた。
そして真っ赤に燃える太陽が今日も海や空を自らと同じ赤色に染めていく。
やがて漆黒の闇が辺りを覆い、何億年もこの大地を見下ろしてきた満天の星空が僕を包み込んだ…
そこには僕が愛して止まない北海道があった。
「そろそろ帰ろうか…」
僕は再びパナレーサーに跨った。
「暑い…」
エアコンの室外機から放出される熱が容赦無く僕を突き刺す。
私は思い出した。そう、ハタチの私はそれなりにスポーツマンであったのだ。
カチカチの腹筋は6つのブロックに割れ、ロードバイクで鍛え上げた脚はさながら人体標本の様にくっきりと大腿四頭筋の象を露にしていたのだった。
今も腹は割れているが、それは柔らかい脂肪で3段に割れるいわゆる「三段腹」である。
見る影も無くなってしまった肉体から繰り出す重くなった足取りに、昔と今とでは随分と差があることをあらためて痛感し自らに失望した。
札の辻を左に折れ、第一京浜を渡りきると田町駅の喫煙所で一服した。
大嫌いだった煙草の残り香を、今は自分がまき散らしている。
「やっぱり俺は堕落してしまったのか…」
私は思わず苦笑した。
駅の連絡橋の下で日陰だったせいか、一瞬でも暑さを忘れられる心地よい休息だった。
ここまで来れば目的地の芝浦まではもう一息だ。
最後の力を振り絞りまた歩く。
「暑い…」
日陰での休息を味わったせいか、気温と湿度が一層私に重くのしかかった。
15分程歩き、芝浦に辿り着いた頃には全身汗びっしょりで、裕に2リットルは汗をかいたのではないかという程に、私の体は全身汗まみれになっていた。
目的地の芝浦の取引先に到着し、K氏と挨拶を交わした時、彼の視線が容赦無く私の胸元に突き刺さった。
その視線を辿り自分を見た時、私は唖然とした。
薄い水色だった私のYシャツが濃い水色のまだら模様に様変わりしていたのだ。冷房の効いた室内にいたK氏からは、私の姿は異様に見えたに違いない。
私の名刺を受取るK氏の指がどこかぎこちなく、あたかも汚物に触れるかの様なありさまだった。
無理もなかろう。目の前に現れた男は全身から汗を絞り出していたのだから…
挨拶と軽い雑談をしてK氏と別れ、ビルの外に出た時には陽も幾分西に傾き、辺りは少し涼しくなっていた。
高層ビルから吹き下ろすビル風にあたりながら一息つき、私は芝浦アイランドに立ち並ぶタワーマンション群や、その上空を飛び交う羽田から離陸したばかりのトリプルセブンを見上げた。そして、私は人知が造りあげた「物」に対して畏敬の思いを抱いた。
そして私は、ニンゲンが科学の力で作り上げた目の前の建物が元々は砂利や石ころだった事を不意に想像していた。
「自然界に転がる石ころが姿形を変え、この巨大な建物に生まれ変わっているのか…」
粉砕され粉となった石の粒子が水を加えられセメントとなり、砂利を混入しコンクリートとなっていく光景を思い浮かべ、そんな人間の操る科学という知恵に感心したその時だった。
「ちょっと待てよ…」
不意に私はひらめいたのだった。
「石ころがコンクリートに姿を変えても、物質の質量は変わらない。1トンのコンクリートは1トン分のセメントと砂利と水から作られる。こういうのはたしか質量保存の法則って言ったっけ…」
化学変化の前後で物質の絶対的な質量は変化しないという化学の基礎知識を思い出した次の瞬間、私は汗でびしょ濡れになり身体に貼り付いた自分のシャツを見つめ考えていた。
「仮に俺が2リットルの汗をかいたとすると、原則として俺は2kg痩せているのではないか?…」
「いや、汗に含まれる塩分の比重を想定すると、もっとドラスティックに減っているかも知れない…」
「80-2=78…」
小学校1年生が習う簡単な引き算をした刹那、一筋の陽光が背後から私を照らしたように感じ、私は浮き足立ち、そしてほくそ笑んでいた。
「よし。またあの頃に戻れるかもしれない…」
その日の朝まで池中玄太と同じ80kgだった私は足早に帰宅した。
帰宅するなり私は、30年近く前に小学校の理科の実験で習った化学の基礎知識を論拠として、淡い期待を胸にいざ小走りで体重計へ向かったのだった。
「あ あれ?…」
「い いや、そんなはずは無いんだけどな…」
「何かの間違いが起こっているんだ。そうに違いない…」
「…」
「そうか靴下を履いているからだな…」
「…」
「えーい!パンツも脱いでやれ!」
一枚一枚ミートテック以外の「脱げる」衣類を減らしては体重計に乗り降りする私をよそに、左腕のSEIKO5の秒針が虚しく時を刻んでいた。
「チッチッチッチッ……」
しかし、当然だが結果は何度測っても同じだった。
「もう脱げる物は何も無い…」
そしてしばらく呆然とした末、全裸の私はその信じ難い事実を受け入れる覚悟を決めたのだった。
そう、それは私が信じたくないに決まっていた。
何度も乗った体重計のモニターは驚くべき事実を映し出していたのだから…
その黒地にエメラルドグリーンの文字は、一際鮮明に3つの数字を映し出し、私に叩き付けるのだった。
実に、そこに映し出された数値とは…
「81.0…」
心地よい疲労感に酔い、小躍りしながら帰宅した私に対して、体重計という科学の産物は実に「+1kg」という容赦ない現実を叩き付けていたのだった。
そう。驚く事に私の体内では「質量保存の法則」に反する非科学的現象が起きていたのだ。
「近代化学の父と言われるラヴォアジエもその実は大嘘つきだったということか…」
落胆し大きくため息をつきながら、私は偉大な科学者をとても恨めしく思った。
若かりし日に考えた、世界と科学の支配関係。
それを絶対のものと思って止まなかった私に、今更叩きつけられたこの非科学的事象はあまりにも受け入れ難いものであり、ショッキングな事実であった。
我に帰った時、私はバルコニーで缶ビールのタグを開けて夜空を眺めていた。
そこには一つも星が無かった。