好き-6-
--桃side--
「モモ、お前なにやってんの」
朝の教室で、そんなセリフが降ってきた。
うつ伏せていた机から顔を上げれば、前の席に座っていたのは横田だった。
「ケンカ? 昨日、鈴本さんお前のこと心配してたよ。俺に話しかけてきたんだからよっぽどだろ」
「へぇ」
スズモトが横田に話しかけたとは。
「で、さぁ」
言いにくそうに、横田がオレから目をそらす。
「どうせどっかから噂まわってくるだろうし言うけどさぁ。鈴本さん、会長と一緒に帰ってたよ。お前、いいの?」
「いいわけ、ねーけど」
けど。
「もーやだ。しんどい。だってスズモト、会長のことアキラくん、て名前で呼んでんの。オレのこと桃井じゃん。ありえねぇだろ。ほんと、スズモトが何考えてんのかわかんない」
横田が呆れる。
「お前、ふたりきりの時はモモって呼ばれてんだろ。名前ぐらいで、なに妬いてんの?」
「ぐらい、じゃねーよ」
あのスズモトから名前呼び。
それがどんなに難しいことか、オレは知っている。
「つか、桃井、の時点で奇跡だろ」
「はぁ?」
「鈴本さんが呼び捨てにするの、お前だけじゃん。アキラくんて、所詮くん付けじゃん」
「はぁ……」
曖昧に相づちをうちつつ、スズモトがまわりの男どもを呼ぶときを思い浮かべる。
くん、だな。確かに。呼び捨てにしている相手など誰一人いない。女でさえサンかチャン付け。
なんだそれ。オレだけ特別?
でも「アキラ」って名前で、「モモ」って名字の一部だぜ。
しかも。
「オレさぁ、好きって言われたことない。だからスズモトがオレのこと好きかもわかんない。だからもう、これは諦めろってことかな、て」
自分の言葉にダメージを食らって、うう、と机に再びうつ伏せる。と、上から頭を勢いよくはたかれた。しかも物で。
「痛ぇ! ちょ、何!」
起きあがってわめくと、生徒会書記の沢野が古典の教科書を振りかざす。
「んな甘ったれたこと言ってるとカドで殴るよ、カド」
「なんだよ沢野はよ! カンケーねーじゃんか!」
「関係大ありよ! せっかくの戦力なのに、スズちゃんが抜けたら生徒会困るっての!」
「はぁ?」
「しっかり捕まえといてよ。言っとくけど会長本気だからね。モモ、相当やばいから。だいたい『アキラくん』が気に入らないなら、スズちゃんに名前で呼ぶのやめろって、はっきり言えばいいじゃない。何で言わないのよ」
「だ……って、スズモトだぜ? あれこれ言って嫌われたらどうすんだよ」
好かれているかどうかさえわからないのに。
「あんた、スズちゃんに好かれてるから。大丈夫だから、言いなさい。ついでに好きって言わせるぐらいしなさい。彼氏でしょ」
むに、とほっぺたをつねられる。痛い。本気で痛い。
「沢野、まじ暴力! 横田止めて! こいつ止めて!」
ぎゃぁぎゃぁ騒いでいると、ぱっと沢野がオレの頬を離してそそくさと去っていく。
横田もさっさと自分の席に戻っていった。
なんだ?
ほっぺたをさすって、すぐ横の廊下側の窓を見てぎょっとした。
スズモトが立っていた。
「あ……、おは、よ、ございます」
とりあえず朝の挨拶をした。
手の届く距離でスズモトを見て、潔く諦めた。
スズモトを諦めることを、諦めた。
こんなに好きなのに、無理だ。
あいつになんか絶対、やれない。触らせたくない。
「おは、よ」
スズモトが俯いて呟く。スズモトの視線がオレの机あたりに落ちる。
うわ。
スズモトがオレのクラスに来たことなんてこれまで一度もなくて、どれだけ勇気がいったかなんて簡単に想像ができた。
窓越しに、スズモトが緊張した顔で言う。
「昨日、なんで」
「ごめんなさい。あの、ちょっと待って」
クラス中から視線が集まっていて、スズモトは怯んだような精一杯の顔をしていた。オレは全然平気なのだが、この状況で話をさせるのは、さすがに。
後ろの扉から廊下に出て、スズモトの半袖ブラウスの袖を少しだけつかんで、廊下の端にスズモトを引っ張っていく。
「あの。ごめんね? 昨日は、えーと、オレがちょっと、へこたれました」
真っ先に謝って白状する。
こんなふうに教室まで来させてしまったこと。
昨日、帰ってしまったこと。
電話にも出なかったこと。
全部含めて。
「ごめんなさい」
もう一度謝ると、スズモトが俯いたまま聞いた。
「好きな人、できた、の?」
「は……?」
何を言われたのかわからずに聞き返す。
「好きな人、できたの?」
スズモトは泣きそうな顔をしていた。
「最近、あ、あんまりしゃべってくれなくて。また明日って、言ってくれなかった、から、だから」
いやいや。
「それ、ありえないから。オレ、スズちゃん以外、ほんと眼中にないから」
なんでいつもこうなるのか。
なぜ、オレはこんなに信用がないのか。
「オレ、スズちゃんのこと好きだから。ほんと。大好きだから」
ていうか。
こういうこと聞いてくれるってことは。
おそるおそる、尋ねてみる。
「あの、さ。スズちゃんさ、オレのこと好き、なの?」
スズモトがぴたりと固まる。
あー、いや、わかった。わかりました。
「ご、ごめん。いい。答えなくて」
この質問は、スズモトにはハードルが高すぎる。オレとスズモトでは言葉の重みが違いすぎるのだ。
「わかった。スズちゃんオレのこと好き、だね。えーと、うん。わかった」
言いながら自分で顔が赤くなるのがわかった。
やばい。
もう無理。ほんと無理。廊下だってのに触りたくなる。いやそれは抑えろ。
頭が混乱してきた。まずい。
ええと。
そう、ちゃんと言えと、沢野が。
「あのね、スズちゃんね、会長のこと名前で呼ぶのやめて。オレが悔しいから。あと簡単にお菓子もらったり頭なでたりさせないで」
あーあ、こんなこと言いたくないのに。
器の小さい男だな、とか思われたらどうしてくれるんだ。
しかし、嫌なものは嫌なので、全部吐き出す。
「オレ以外の男に触らせないで。触らないで」
小さく、スズモトが頷く。
いつもこのパターンで泣かれるのだが、スズモトは泣かなかった。
おお、と思って、頭をなでる。
と、泣かれた。
わぁっ!
「ご、ごめん。あのね、できればでいいから。ほんと。できたらの話。オレの希望ってだけ。そんな重い話じゃない。できなかったら別れるとか、そういう話じゃない。そもそも、オレ、絶対別れないから」
焦って言葉を重ねる。
「今日は、ちゃんと迎えに行く。えーと、今日はどこ? 教室? 図書室? 生徒会室?」
「……せ、生徒会室、だけど、モモが嫌なら、もう行かない」
いやそれもまずい。沢野に教科書のカドで殴られる。
つーか、そこまで制限するとはどんな男だ。
「や、あのね、いいから。そこまで束縛しないから。オレだってスズちゃんが生徒会で楽しいなら、嬉しい。生徒会室ね。行きます。楽勝」
手を伸ばして、俯いたままのスズモトの涙を指で拭う。
スズモトが身を竦ませて、ますます俯いた。
あー、これだよもう。
距離感が。距離感がつかめない。
難しい。
慌てて手を引っ込める。
「ご、ごめん。えーとね、とにかく迎えに行くから、待ってて」
かすかに頷いたスズモトが、ぽつりと呟いた。
「すき」
スズモトはなかなか本音を言わない。
言葉は遅れてやって来る。
そのことを、知っていたのに。
―――スズちゃんさ、オレのこと好き、なの?
質問の答えが、今、来たことが不意打ちすぎて、廊下にしゃがみこんだ。
しかも初めての言葉だったりして。
あーもう、もう、無理。
スズモトの顔を見れない。だってオレ、絶対、顔が赤い。
「あー、スズちゃん……」
答えなくていい、て言ったのが正解だった。
これほどの衝撃だとは。
ほんとに心臓が吹っ飛ぶな、と思いつつ、どうにかなんとか、スズモトを見上げる。
「ありがとー」
オレはそれだけ言うのが精一杯だった。
耳まで真っ赤になったスズモトは、何も言わずにオレの横をすり抜けて、自分の教室の方へ去っていった。
オレはしばらく、その場にへたり込んでいた。
やばい。心拍数がやばい。部活の短距離ダッシュ何本分だってぐらい脈が速い。
ふらふらしつつ教室に戻れば、様子を窺っていたらしい沢野と横田につかまって、恥ずかしすぎる、初心者すぎる、と大いにからかわれた。
初心者上等だ、ばかやろー。




