手をつないでて-5-
--鈴side--
一番前の、一番廊下側の席。
それが、私の、数学クラスでの定位置だ。
本来なら席は自由なんだけど、メンバーがあまり入れ替わらないので自然と席は決まってくる。私の隣は、生徒会長だ。
「鈴本さん」
会長がいつもみたいにノートを開いて声をかけてくる。
いくつかある解法の、どれで解いたか、みたいな、他愛もない会話。
このひとは面白い。
たまに、突拍子もない方法で解いていたりする。思わず笑った、昨日みたいに。
だけど。
「……会長。気、つかわないでいいよ」
会話の合間に告げた。
それだけで伝わったようだった。
「気つかってないよ? 鈴本さんと話すのって楽しい」
会長は笑顔で。
さらりとそんなセリフを言ってのけるあたり、世慣れているというか、生徒会の人、って感じだった。
「あのさ、鈴本さんって」
会長の手がこっちに伸びる。
教科書の下に隠していた、小さなメモを抜き取られる。
いつもの嫌がらせ。
別れろ、ブス、釣り合わない、死ね、暗い。
見なくてもわかる。そういう類のもの。
もう慣れたもの。
「こういうの、平気なの?」
ふたつ折りのメモを開いて眺めて、会長が私を見る。
「……慣れてるから」
目を伏せて答えた。
平気では、決してない。
でも、書かれてることは、本当だと、思うから。
メモに、言い返せることは、何もない。
「誰かに、相談は?」
首を振る。
「彼氏さんにも?」
もう、彼氏ではないけど。
それでも。
知られたくなかった。
一番、知られたくなかった。
「……言ったからって、どうなることでも、ないと、思うし」
言えばモモが私を守ろうとするのは目に見えていた。
机に、靴箱に、更衣室に、移動先の教室に。
どこにでも紛れ込んでくるメモ。
守りきれないことも、目に見えていた。
だったら、別に。
慣れた方が早い。
それより、メモを見られて、その通りだって思われる方が怖かった。
最初は「気にすんな」って言ってくれるかもしれないけど。
積み重なれば、そのうち、モモだって、メモ通りだって気づくかもしれなくて。
いつか別れる。
その期限が早まる。
その方が、メモなんかより、よっぽど怖かった。
だから、モモにだけは隠し通すと決めていた。
でも。
「もう、別れたから。こういうのも、なくなると思う」
別れたこと、初めて人に言った。
ああ別れたんだな、と実感がわく。
もうあの犬は私を追ってこない。
ね、自由、だよ。
私は自分に自信がなさすぎて、首輪もリードもつけられなかったよ。
だからどこに行っても自由なんだよ。
最初から、モモは自由だったんだよ。
会長がわずかに目を見張る。
「別れたって、いつ?」
「……おととい」
「コレのせい?」
ぱん、と指でメモを弾く。
「ちがう」
嫌がらせなんかどうだってよかった。
何を言われようと、構わなかった。
ただ、モモに似合いの人がいるなら。
モモがその人を好きになるなら。
さっさと、こっちが消えようと思っただけで。
「他にも、こういう思いしてる人がいるかもしれないから。一度、生徒会名義で、警告書を出そうと思ってるんだけど」
言いながら、会長がメモをズボンのポケットにしまった。
「鈴本さん、協力してくれない? これまでの嫌がらせメモ、保管してる?」
嫌がらせが、エスカレートしたときに備えて。
いつか役立つかと思って、保管していた。
メモの裏側に、受け取った日付と場所を記録していた。
家に、どっさり、ある。
「うん。でも、できれば、私の名前、出さないでほしいんだけど……、それは、無理?」
生徒会に協力するのは生徒として当然の義務だ。だけど、条件をつけた。
モモに知られたくない。ただそれだけの理由で。
今でも、知られたくない。
別れたのに、今でも。
モモの中での私の印象を、落としたくない。
まだ好きだなんて、つくづく馬鹿だな、と、自分を嗤う。
あんな人気者、さっさと諦めればいいものを。
夢を見られたよ、ありがと。って精算すればいいものを。
できずに、まだ引きずってる。
会長が、私を安心させるように言う。
「大丈夫。名前は絶対出さない。被害者保護が最優先だから。口固いやつらだけで、最小の人数で作業するから、安心して」
私が無言で頷くと、会長は、ほっとした表情をした。
「じゃぁ、今までのメモ、明日、持ってきてくれる? それ見ながら、放課後、鈴本さんの教室で、話さない?」
放課後の教室、は、私にはまだちょっと痛い。
モモを待ってた場所だから。
……だけど、いい加減、現実を見なきゃ。
会長の言葉に、ためらって、それから、頷いた。
「生徒会って、守備範囲、広いね」
呟くと、生徒会長がにこりと笑った。
「生徒の安心安全が第一、だよ」
ああ、この人は、信用できる。
授業開始のチャイムが鳴った。




