神様との距離
--桃side--
部活のあと、いつものように教室に迎えに行ったら、スズモトは数学をしていて、「キリのいいとこまでやるから」と、言われた。
だから先に帰れば。ってニュアンスで。
そこは「待ってて」って言ってほしいとこだけど、スズモトはそういうことは言わない。
どんだけ待っても、部活の後で腹が減ってても、オレはスズモトと一緒に帰りたい。
だから、スズモトの前の椅子に座って、細い手がシャーペンで数式を並べていくのをみていた。
オレのクラスじゃやらない、応用問題。
高校二年になると、クラスは文系・理系に分かれ、さらに数学はテストの結果次第でクラスが変動するようになった。
能力別4クラスのうち、当然のようにスズモトは一番上のクラスにいて、オレは3番目にいて。
スズモトがためらいなく解答していくその問題は、オレには解く手がかりさえみつけられそうにない。
ノートから目を上げないまま、スズモトが言った。
「モモ、成績上がった?」
「……上がった」
スズモトとクラスが分かれてから、オレは成績が上がった。
スズモトのほうばっか見てないで、授業に集中するようになったから。
最初、4番目に分類されてた数学クラスが、この間、3番目になった。けれどもそれは、スズモトに自慢できるレベルではない。
「よかったね」
スズモトが次の問題に取りかかる。どうやらワークの一番下の問題まで解いてしまいたいらしい。
「待ってるなら、課題やったら」
スズモトが言う。さらさらと、オレに解けない問題を解きながら。
オレはカバンの中から、古典のワークをひっぱりだす。
ほんとは古典の課題は出ていない。課題が出てるのは数学で。
だけど、スズモトの前でそれを広げたくなかった。
ちらりと古典のワークを見て、スズモトが目を細める。
「数学やりなよ。課題出てるんでしょ。終わったの?」
終わってない。部活終わって、ここに直行したから。
スズモトは、そんなのお見通しだ。
だけどオレは、スズモトとオレの距離が、遠すぎるのを確認したくない。3番目クラスの、スズモトにとって易しすぎる問題にさえ、きっとオレはつまづく。
「わかんないとこ、教えるから。数学やりなよ」
オレのささやかな見栄など一蹴して、スズモトはそんなことを言う。
仕方なく、数学の課題プリントを広げた。
スズモトに背を向けて、スズモトの前の席で、問題を解く。
15問のうち、解けないところが、2箇所残った。振り返ったら、スズモトは数学を片付けて英語に入っていた。
「ココ。と、ココ」
スズモトの英語のノートの上にプリントをぺらりと載せて、解けないところをシャーペンで指した。スズモトは一目見て、ああ。と言った。
机から数学の教科書を取り出して、ぱらぱらめくり、例題を指差す。
「コレと、似てるでしょ」
教科書に課題プリントを載せて、返される。
オレはまた、スズモトに背を向けて。
教科書を眺めながら、ああこの解法が頭に入ってなかったんだな。と思った。
どこがわからないのか、わからない。それが一番つまづく原因で。
スズモトは、オレの見失った「どこ」を見つけるのがうまかった。
菅原の道真よりも強力な、オレの勉強の神様。
教えてもらった例題をもとにすれば、あんなに悩んだ問題はあっさり解けた。
―――やっぱすげーな、スズモト。
中学のころから、その気持ちは、変わらない。
けれど、ときおり、オレの心に影をおとす。
なんで、俺はできないんだ。なんでこんなに遠いんだ。
スズモトという神様は、頭上はるか上、おれの手の届かないところにいて。
その距離は計り知れない。
どのくらいがんばれば手が届くのか。そもそもがんばったところで手が届くのか。
わからなくて、手を伸ばすことさえ、諦めたくなる。
外はすっかり日が落ちて。
しんとした教室で。
解き終わったプリントを、再びスズモトに提出する。
プリントは、すぐに返された。どうやら、間違っているところはないらしい。
「モモ、元はいいんだから。ちゃんと、やったぶんだけ、できるようになるから」
スズモトがオレの目をみて、静かにそう言った。
―――やればできるようになるから。やりなよ。
中学のころから、何度も言われて、乗せられて。
底辺をさまよっていたオレの成績を、ひっぱりあげてきた言葉。
ついに神様と同じ高校にまで入れてくれた、お守りのような言葉。
神様は、オレがあきらめそうになるタイミングさえお見通し。
澄んだ夜色の目で、まっすぐにオレを射抜く。
「さっさと、うちのクラスまで上がっておいで」
神様のいる、クラスまで。
上がっておいで。
「モモなら、できるから」
やさしく笑うスズモトは、未来さえ、お見通し。
俺がなんとかそれを実現させたのは、約1年後。
数学クラスの振り分けをみた神様は、「ほらね」と、涼しげに笑った。




