少女エニタとの出会い・2
「改めまして、私はエニタ……この図書館の『図書整理補助生』として働いております」
書架が形作る死角となった、ちょっとした“秘密の場所”みたいな、一つの閲覧席で。
向かい合って座ると、エニタはそのように自己紹介した。
どこまでも真っ直ぐに人を見つめる瞳に、シェイナの姿が映っている。
「どうぞよしなに」
スッと頭を下げた少女の所作は、完成されて美しい。
声や所作を含める見目容姿は、歪もなく冷静と知的で象られているようだった。光の射し加減で鏡のような銀色に輝く瞳が印象的であり、また、抱いていた蔵書に隠れていた胸部は、【ランの証明】の艶やかな豊満ほどに豊かだった。
「この国立図書館では、閲読された蔵書は専用の係員が戻すシステムが取られています。私は蔵書の整理を業務とする『図書整理員』の一人というわけです。といっても……「補佐性」なので、表向きは奉仕活動の一環として働いている身ですが」
「正雇用者じゃないってことかしらー?」とランが頭上から声漏らした。
「お声をおかけしましたのは……図書の庫で働きながら、多くの蔵書に触れる中で、疑問に思いましたいくつかの事を……外界を巡る【環巡り】様のご見識に、お伺いしたく思い立った次第です。――しかし……もちろん然るべき振舞いにおいては、こちらも心得ございますので、その範囲で……この度は、お話を伺う機会を期待いたしました」
「…………」
紡がれた言葉に、シェイナは口を閉ざしたまま、ただ一つだけ頷きを返した。
「では……まずは、こちらをご覧になってください」
言うとエニタは、先程まで胸に抱いていた、大判の蔵書に手を伸ばし、表紙に触れた。
今は机の上に置かれたその本の表題は――『外界世界の百科事典』。
厚みのある表紙の端側へ手を滑らせ、用紙の厚みを取ると、ページも確認せずに書を開く。
開かれたページの章題は――『文明外圏に棲息する動態存在の観察的整理――一、外界生物総論。その棲域、形態、及び秩序外性について』
外界生物の定義、生態系、文明域との比較観測、その危険性と利用価値の概観など、ファンタジーの類の羅列も散見されない、緻密な情報が美しく記載されていた。
「外界生物が書物で語られるにおいては……野生的自然環境における生物種の多様性、生物の生息域、野生下における獰猛の危険度などが主題として挙げられることが通例です。外界行商人の方々や、【環巡り】として生き様を選ぶお人もまた、こちらの分類である本に関して多く利用されていることから、情報の信頼性はかなり高いと存じます。けれど……こうした書において、先に挙げた主題と同じくして……次のような記述が、よく一つの主題として取り上げられている。そのことに……私はどうにも、疑問を思ったのです」
そこまで語ると。
エニタは突然に、――机に頬を付けるようにして、体勢を横向きに倒した。
そうして、スッと懐から何らかの道具――握りやすく設計された細身の柄の先端に丸型の枠、その内に薄い布のようなものが張られた、虫眼鏡によく似た形状の器具――を取り出すと、それを口元と、書籍との間に構えてみせた。
内心で首を傾げた二人を前に。
エニタは、胸部を押し潰された饅頭のように机へぺたんとひしゃげさせながら、薄い布のようなモノが張られた丸枠の部位へ、頬を膨らませて、息を吹きかけ始めた。
――どうやら、息でページを捲ろうと試みているらしい。
「…………」
先程とは異なる意味で言葉を閉ざし、目を点にしてその様子を見つめるシェイナとラン。
やってみれば分かるが、本のページを息で捲ろうとするのはなかなか難しい。まして間に薄い布を挟めば、それは重労働となる。
顔を朱に染めさえしながら、エニタは懸命にそうしてページを捲ることに短くない時間、執心して。
やがての果て――やっと顔を上げると、まるで今ほどの様子はなかったみたいな、変わらぬ冷静の姿で姿勢を正した。
「……――これまで幾多と都市を巡ってまいりましたが、そちらのお手元の道具には、初めてお目に掛かりました。よろしければ、そちらが、どのような道具であるのか、お教え願えませんか?」
「こちらは、私が開発した道具です」
話の再開に先んじてシェイナが問うたことに、エニタはそれをシェイナのほうへ差し出しながら答えた。
「【CA送風式ページターン装置】といいます。本の頁を捲るための専用の道具で、先端にHEPAフィルターを張ったこの部位へ息を吹きかけることで、菌類、湿気を99.9%カットしながら、書籍の状態を十全に保ちページを捲ることが叶うという道具です」
「シンドリスの都市では、こちらの方法が主流なのでしょうか?」
「いいえ。私以外にこれを使っている人は、たぶん、いません」
「なるほど……」
「しかし、私は……この方法が最良であると考えています」
【CA送風式ページターン装置】の細身な柄を手に取ってしげしげと観察するシェイナの上から、「手袋を嵌めればいいんじゃないかしらー」とランが意見を漏らした。
「専用の手袋を嵌める方法や、ピンセットを使用する手法には、手間や煩わしさを無視できないという、継続利用するにおいての問題点が目につきます」
ランの声が届いているわけではないだろうが、エニタはそのことに言及した。
「しかし【CA送風式ページターン装置】であれば、手軽な持ち運びさえ叶えばそれらの点を解決できます。……そう考えたのですが。しかし、ほぼ完全な保全手段にはやはり、相応の手間や煩わしさがかかるというのが、現実における、残念な結論でした」
「――しかし、吐息の及ぼす洋紙への不都合な影響を、ほぼ完全に取り除けるフィルターというのは、凄い技術です」
「長い時間をかけて開発しました。【CA送風式ページターン装置】は残念ながら日の目を浴びることがありませんでしたが、実はこちらのHEPAフィルターのほうは開発分野において、身に余る評価を頂き、発明の発表が許されている身分であることが幸いしまして……今日、私がどうにか食べていける一助となっております」
少女エニタは、ふと、視線を遠くした。
瞳が鏡のように輝く。
「たとえそれがどのようなものであろうとも……より素晴らしいと思えるものがあれば、それを、究明したくなる。現実として、目に見たくなる。私は、昔からそうでした――」
ぽつりと声漏らした後、咳払いのように僅かの間を見て、「――さて」と仕切り直しの言葉を上げた。
「外界生物が書物で語られるにおいての、ふと疑問に思いましたところ――というお話でしたね。と、言いますのも……先に挙げた『現実的』で『有益』に主題を置いた知識記述の中に、こちらのような……どうにも、それまでの現実的な情報から浮いて見える……、『幻想論』的な題目が……多く、散見できるのです」
開かれたページの、その題目は。
『語られる幻想存在の概念整理――一、概念構造の解明』
「――――なぜ、有益性に主題を置いた書籍に、『幻想存在』という異色と捉えられるテーマが散見されるのでしょう? それについて考え巡らせました、私の推察を聞いていただけますか? ――ありがとう。
私は……外来者の方々も、度々《たびたび》に、この書籍と主題を同じくする蔵書を参考にされていた、そのことから――『外界においては【人ならざる存在】が広く、あるいは狭い範囲で認知されているもの』と考えました。――話が長くなりまして、申し訳ございません。さて、【環巡り】様、あなた様のご見識にお伺いしたい事とはつまり、そのことなのです。あなた様は、幻想存在という定義の指す例外的、あるいは高位の存在にあたる実在について、なにか、存ずるところございませんか……?」
シェイナとランは思わず、ふと、顔を見合わせた。
――まだ見ぬ知を求めてか……まるで【環巡り】の生き様のように、このとき、そのことを問うてきた少女エニタ。
奇しくも、シェイナはそのことについての詳細を知っているし、そして数奇にも、彼女の隣には真実そのものが存在している。
さて、しかし。
シェイナはそれを、少女エニタへ、明かすだろうか?
・①明かす
・②明かさない
”あなた”の選択を待っています――……。
たまたま寄っていただけた、そんなどなた様も、どうぞお気軽に選択肢のコメントをよろしくお願い申し上げます。