だってあの子は欲しがりさん
――ステファン様のことは、本当にお慕いしていたのよ。
でも、ある日私はお父様に言われたの。
「ステファン様の婚約者は、妹のマルティナに代える」と。
「理由は分かるだろう?」とも。
私、本当に驚いたわ。確かにあの子は昔から私の持ち物を何かと欲しがる子だった。でも、まさか……まさか本当に婚約者まで欲しがるなんて――。
「聞いたわよエレナ。貴女、婚約者まで取られたんですって?」
顔を合わせるなり私が問いただすと、親友のエレナは寂しげに視線をカップへ落とした。久しぶりに会った彼女は少し痩せたようにも見えて、私は義憤に駆られてしまう。
「仕方ないわ。マルティナが、どうしてもあの人じゃないと駄目だと泣くんですもの」
「泣くって……子どもじゃあるまいし! 婚約者よ、婚約者。玩具やドレスなんかとは比べものにならないのよ?!」
つい語気が荒くなり、周囲の視線を集めてしまう。エレナが「そんなに怒らないで」と窘めるけれど、その諦めきった態度が気に入らなくて、かえって苛立ってしまった。
学習院で出会ったエレナは、私にとって親友と呼べる存在だ。控えめながらも心優しい彼女は、みんなの人気者だった。
本当は、彼女にはたくさんの友人がいたはずだったのに。気づけば彼女の友人たちは次第に双子の妹マルティナとつるむようになり、やがてエレナのもとを去っていった。
まぁ、彼女たちは貴族の割にあまり素行が良いとは言えなかったけれど、それでもマルティナについた途端、エレナを見下すような態度を取るのは、見ていて気分の良いものではなかった。
けれど、今回は婚約者だ。友人を失うのとは訳が違う。それなのにエレナは全てを受け入れたような顔で、カップの縁を指でなぞっている。
「もう、あんなに素敵で大切な人だって言ってたじゃない! あの人だけはマルティナに取られないようにしないとって、いつも傍にいたくせに!」
エレナの婚約者だった上位貴族のステファン・ターリー。正直、私はあまり好きなタイプではなかったけれど、エレナは彼をとても愛していた。最初こそよそよそしい態度だったものの、いつからから教室でも仲睦まじく過ごすようになって、政略結婚とはいえ良い関係を築いていると思っていたのに。
「婚約相手を代えるだなんて……ご両親もよく許したわね?」
「双子だもの。あの人たちにとっては、ターリー家と繋がりを持てるなら私でもマルティナでも構わなかったのよ。ターリー家も同じような考えなら、見た目も人当たりも良いマルティナを選んでも仕方がないわ」
まただ。また、「仕方がない」。それはエレナの口癖だ。
エレナはあまりにも優しすぎる。大事なものを奪われているのに、どうしていつも黙って受け入れてしまうのか、私には理解できなかった。
エレナとマルティナは双子でありながら、驚くほど似ていなかった。エレナは思慮深かったけれども、一言で言えば素朴な顔立ちで、目を引くタイプとはお世辞にも言えない。
一方のマルティナは愛嬌があって人の懐に入り込むのが上手だった。
そして、何かとエレナの持ち物を欲しがった。
エレナが貰った花束や小物。同じ日に同じ店で買ったまったく同じアクセサリーですら、エレナが「素敵ね」と目を細めると、「エレナの方が丁寧な仕上がりだわ」と言って交換を強請った。ここまでくると、もはや病的だ。こんなにも人のものを欲しがるなんて、劣等感の表れに違いない。なんでも卒なくこなせるエレナと違って、マルティナは不器用さんだったから。
ただ、エレナにも悪いところはあったと思う。本当に大切なものなら最初から隠してしまえばよかったのよ。なのに彼女はこれ見よがしに大切なものを褒め称えていた。
「このアクセサリー、とても綺麗な色でしょう? ステファン様に頂いたの」
「王妃様に頂いた紅茶、とても素晴らしかったわ! 珍しい味で毎日でも飲みたいくらいよ」
「私は友人に恵まれているわ。話題も豊富で楽しくて仕方ないの」
「サヴァン先生はとても素晴らしい人よ? 厳しいのだって、愛情の裏返しに違いないわ」
「ステファン様と出会えて本当に良かった。あんなに逞しくて頼りがいのある方、他にはいないもの……」
こんなふうに、まるで私には不相応なほど素晴らしいものだと誇るものだから、それがマルティナを刺激してしまう。
ご両親はマルティナにも同等のものを用意していたけれど、人ばかりは取り換えがきかない。なのにマルティナはエレナの持ち物だけでは飽き足らず、人まで奪うようになっていった。
「それなら貴女は一体誰と結婚するのよ?! こんな歳になっても婚約者を持たない人なんて、訳ありくらいなものよ?」
「……実はね、マルティナの婚約者だったミドルと婚約を結ぶことになったの。ミドルには何の非もないのに、マルティナがステファン様を選んでしまったから……」
「ミドルって……嘘でしょ? マルティナがどうしてもって言って、釣り合いも取れないのに無理やり婚約者に選んだ、あのミドリアル?」
彼も学習院に通ってはいたが爵位を金で買ったような新興貴族だ。エレナだってよく思っていなかったはずなのに。マルティナったら、なんてことなの……!
「私、文句を言ってくるわ! エレナのことを馬鹿にしすぎよ!」
「いいのよ、仕方ないわ。ミドルも振り回されて気の毒なんだし、私が我慢すれば済む話だもの」
「だからって……! あぁもう、エレナばかり犠牲になるなんて信じられない!」
私が怒りをあらわにすると、また周囲の客の視線を集めてしまい、エレナがそっと手を握って窘めてきた。いけない、知り合いだっているかもしれないのに――。
「トゥーリ、いつもありがとうね。私は大丈夫だから本当に気にしないで。私のことを心配してくれる、こんな素敵な親友がいるんだもの。私は本当に恵まれているわ……」
「エレナ……」
――私のことも、そんなふうに言ってくれるんだ。
今まではどこか遠慮がちに接してくることが多かったのに、こうして親愛の情を見せてくれるのは初めてかもしれない。親友だと思っていたのは私だけだと思っていたのに……。
「何かあったら私に言って。あまり役には立てないと思うけど、エレナのためならなんだってするから!」
そう彼女を励ますように言うと、エレナは目を瞬かせて、それからにっこりと微笑んだ。
後日、エレナとミドルの結婚式が行われたと聞いた。
けれども私は招待されなくて、贈ったプレゼントも、結局マルティナが身につけていたらしい。
──◇◆◇──
今日は、ステファン様とマルティナの結婚式。
先に式を挙げていた私はミドルと共に参列し、二人の愛の誓いを最前列で見守ることになった。
はるか後方の席には、トゥーリの姿も見える。
……あの子は本当に私から何でも奪ってしまうのね。
密かに苦笑を漏らしてしまう。
マルティナは昔からそう。私が大切だと言うものを、何でも欲しがった。
それは生まれ持った性格なのか、それとも何か理由があるのか。深く知ろうとしたことはないけれど、私だって自然と防衛術くらい身に付けるわ。
簡単なことよ。私にとって不要なものをさも大事そうに吹聴すれば、勝手にマルティナが引き取ってくれたわ。
私だって馬鹿じゃないもの。取られると分かっているのに、本当に大事なものなら最初から見せびらかしたりなんてしないわ。
「このアクセサリー、とても綺麗な色でしょう? ステファン様に頂いたの」
私の好みではなかったあのネックレス。
婚約者からの贈り物だからと渋々身に着けていたのに、欲しがりな妹は我儘を言って、私から奪い取った。
王妃様に頂いた紅茶の葉も、好みの味ではなかった。
私の周りにいた友人も、くだらない話ばかりで一緒にいても退屈だった。
サヴァン先生よりも、マルティナの家庭教師の方が穏やかで羨ましかった。
ステファン様だって……。最初こそ素敵な人だと思ったけれど、高圧的で、将来苦労するに違いないと感じたから、どうにかしてマルティナに押し付けたかった。
ミドルのことだって、私が先に一目惚れしたのよ。
けれど、ステファン様との婚約があったからどうすることもできなかった。
それなのに――うっかり「ミドルって素敵ね」とマルティナに漏らした途端、彼女は親に泣きついてすぐに婚約を結んでしまった。
まさか本当にそこまでするとは思わなかったけれど……どうにかステファン様に気を向けてくれたから、結果としては良かったわ。
誓いのキスを交わす二人は、幸せそうに微笑み合っている。
そしてマルティナは私を見下ろすと、満面の笑みを浮かべるの。
それは、優越感からくるものかしら?
きっと、あの子は全て自分の思い通りにいったと思っているのね。
でもいいの。貴女のこと、私は大好きよ。
だって、私が大切にしていると思い込んで、不要なものをなんでも欲しがってくれるんですもの。
双子だもの。あの子の性格くらい、よく知っているわ。
──◇◆◇──
式を終えた私たちは、ステファン様の部屋でワインを傾けていた。
これは、エレナが王妃様から贈られた結婚祝い。笑顔で受け取りながらも「私には大層なものだわ」としきりに恐縮していたから、いつものように貰ってあげたのだ。
確かに、小さい頃は分別なんてつかなくて、我儘を言ったこともあるわ。だからエレナも本当に大事なものは、絶対に私の前で褒めたりしなくなったのよね。昔からそう。
でも、私だっていつまでも子どもじゃないわ。エレナと違って、少しでも気に入らないからって、すぐに手放そうとは思わないもの。
「ステファン様も、いかがですか?」
「頂こう」
礼服を脱ぎ楽な格好になった私たちは、互いにワインを注ぎ合い、グラスを重ね合わせる。
確かにステファン様には少し傲慢なところがあるけれど、むしろ、気を許した相手には優しく接するし、意外と一途な面も持ち合わせている人だった。
なによりも、ターリー家との婚姻は必要なものだったしね。
――そう。エレナが不要と捨てたがったものは、どれも捨ててはいけないものばかりだった。
世間体や家のしがらみを気にして、表立っては口にしなかったけれど、その態度を見れば嫌でもわかるわ。
だから仕方なく、私が全部貰ってあげたの。
そう、私が我儘を言って無理やりエレナから奪ったのだと思わせて、ね。
だってあんなにあからさまに嫌そうにしていたんですもの。
頂き物は相手に対して失礼になるし、友人とは家の繋がりもある。先生だって、面目が潰れてしまうわ。
だったら、私が我儘を言った形にすれば角は立たないでしょう?
お父様もお母様も私たちの性格を熟知していらしたから、すぐに私の手に渡るよう手配してくれたしね。
エレナも、少しばかり同情を誘うように困った顔で微笑むだけ。私を悪く言ったり文句を言うような愚かな真似はしない。正義感に駆られた友人や大人たちに、余計なことをしてほしくないものね。
……あぁ、トゥーリがそうだったかしら。いつものように同情して欲しかっただけなのよね。
残り少ない家族団欒の場で「素敵な親友に恵まれたわ」と、チラチラと私を見ながらやたらとトゥーリを褒め称えるんだもの。学習院にいた頃は私に奪われまいとしていたのに……正義感の強さが鬱陶しくなったのかしら?
式の前。いきり立ったトゥーリが私を訪ねてきてくれたものだから、それとなく真相を伝えたら彼女はエレナと距離を置くようになってしまったわ。でも、それがエレナの望みなのだから仕方がない。私の友人としてちゃんと貰ってあげたのだから、問題はないでしょう?
まさかステファン様まで手放そうとするとは思わなかったけれど、ミドルのことがよほど好きになってしまったのね。
婚約者を代えるとなると、さすがに手続きには時間がかかる。
だから、無理やり婚約を結んで彼を留めていた私に、感謝のひとつくらいしてほしいものだわ。
「……本当に私でよかったのですか?」
お酒も回り、つい問いかけてしまう。
そこまで知れ渡ってはいないとはいえ、私は「欲しがりな妹」。外聞が悪くないかしらと少し気にしていたけれど、彼は苦笑しながら頷いた。
「私の妻となるには、君くらい思慮深い者でなくては務まらないよ。エレナも悪くはないと思っていたが、彼女は少し浅はかすぎる。それにいくら政略結婚とはいえ、私を嫌う者を娶っても上手くいくはずがないだろう?」
「あら、私はステファン様を好いていると?」
「これからもっと好いてもらえるよう、努力するつもりだ」
そう言って、ステファン様は私の額にそっと口づける。
……私だって、貴方のような方が良かったのよ。
応じるように頭を擦りつけ、甘えてみせる。
きっと、あの子は全て自分の思い通りにいったと思っているのね。
でもいいわ。貴女のこと、私は大好きだから。
『要らない』とも『交換して』とも素直に言えない。
その見栄っ張りで、本当に欲しいものだけを残してきた姿勢もね。
双子だもの。あの子の性格くらい、よく知っているわ。
誤字脱字報告感謝です…!