6話:壁ドンからの……!
私の髪を推しが切った。なぜ……?
「本気で捜索の目を逃れたいなら、これまでを捨てる覚悟が必要です。この髪と同じで、昨日までの自分とは決別してください。使用人もいない。すべて自力ですることになる。食事も粗末になり、服装もみすぼらしくなるのです。髪の手入れをして体を磨き上げるような時間はなくなると、自覚する必要があります。髪は切り、男装をする。マルシク、君は町の男が着ているような服を、調達して来てください。今、すぐに」
エリダヌスの言葉に、驚き、でもそれは間違っていないと理解する。
それはマルシクも同じだ。
「……承知いたしました。お嬢……主様、行ってまいります」と部屋を出て行く。そうしている間にも、エリダヌスは私の髪を切り落としていく。
貴族令嬢は幼い頃から髪を伸ばしている。長い髪を美しく結いあげ、着飾ることが基本だからだ。前世よりもこの世界の方が“髪は女の命”だった。
「理容師ではないですからね、わたしは。これが限界です。ですが騎士は、戦が長期化する場合、自分や仲間の髪を切ることもある。決戦に備え、こうやって髪を切り落とすこともあるのです」
「つまり遺族に髪を届けてもらうために……?」
「ええ。恋人や婚約者、妻から渡されたハンカチに切り落とした髪を包み、甲冑の裏側に忍ばせるのです。敵は倒した兵や騎士の装備を奪いますが、ハンカチだけは置いていく。援軍が来た際、回収できるように。ハンカチには紋章や名前が刺繍されています。それが遺族に届けられることも多いと聞きました。昔は今より戦がずっと多かったので」
そこでエリダヌスは私を粗末な水場へ連れて行く。
バスタブと洗面台がある。
「この部屋は娼館の中では最上級の部屋です。水場が併設されているのですから。他の部屋に、水場はない。情事の後の汗と匂いを落とすこともなく、部屋を去るのが当たり前なのですよ、ここでは」
その水場の壁には、鏡が埋め込まれていた。
そこに映るのは、さっぱりと髪が短くなったメリディアナだ。
元々小顔であり、そして私は前世の感覚もあるので、この短い髪型に違和感はない。でもこの世界の感覚からすると、少年に見えるだろう。
「ありがとうございます、ウェリントン団長」
鏡越しにそう伝えると、エリダヌスは不可解な顔になる。
「レディの髪を切り落としたのに、御礼を言われるとは……」
「辱めるために切り落としたのではなく、潜伏するために必要と判断した結果です。そしてその考えに、私も同意しています。何より自分では……マルシクでもこんな綺麗に切れないと思うのです。ですから助かりました」
その瞬間。
両肩を掴まれ、くるりと回転させられたと思ったら、エリダヌスと向き合う形になった。
突然回転させられ、私はよろっとして壁にもたれている。
エリダヌスは、壁に手をドンとついた。
まさに壁ドンされている状態になっている。
「……さっきから一体、どうしたというのですか? 連行されるとなり、猫を被ったのかと思いましたが、そうではない。護衛騎士に感謝を伝え、髪を切り落としたわたしにまで御礼を言っています。これまでの君からは想像できない言動です。なぜ急に、態度を変えたのですか? 君は本当に……あの、メリディアナ・リズ・アンブローズなのですか? よもや替え玉だったりしませんよね?」
悪役令嬢メリディアナ・リズ・アンブローズらしく振る舞う必要があると、分かっている。でもどうしても前世の私が出てしまう。そこで考える。彼女だったら今のこの状況で、どんな態度を取るのかと。
「!」
それはもう突然で不可避だった。
もし回避できたとしても、回避は……しなかったかもしれない。
だって。
推しが!
王立騎士団ルミナスの団長、エリダヌス・ロイド・ウェリントンに、キスを……されている……!
しかもそれは唇が触れ合うようなライトキスではない。
心臓が爆発しそう。
全身が火照り、息遣いが荒くなった。
連動して推しのアクアの香りを思いっきり吸い込み、さらに興奮が高まっていく。
体の奥の方が、熱く痺れるように感じている。
時の経過を忘れ、意識が飛びそうになる寸前で彼の唇が離れた。
クールなはずのエリダヌスの頬が上気しているのを見て、心臓がさらに反応してしまう。
少し呼吸を乱しながら、推しは私に指摘する。
「人は追い詰められた状況に対応するために、新たなる人格を生み出すと聞いたことがあります。戦場で極限状態に追い込まれた兵が、突然人が変わったようになることもある。それもそれが原因だとか。自覚がないようですが、君にも同じようなことが起きているようですね。メリディアナ・リズ・アンブローズ、その人であれば、すぐにわたしを平手打ちしたはず」
エリダヌス……私の推しはなんて頭がキレるのだろう!
多重人格の概念が、この世界にあるかは分からない。
しかしその分析、間違っていないと思った。
むしろそう思ってもらった方が、いいかもしれない。
「そう……なのかもしれません。もしもそのせいで何かご迷惑をおかけしたら、申し訳ないです」
私の返事を聞いたエリダヌスは大きく息を吐き、自身のサラサラのブロンドの前髪をかきあげる。
「……まいりましたね」と。
その様子があまりにも艶やかで、ドキリとしてしまう。
大人の男の色気。
まさにそれを感じ、なんだか下腹部が落ち着かない。
だがそこに扉をノックする音が聞こえ、別の意味でドキーンとしてしまう。
もうマルシクが戻って来たのかと、嬉しさ半分、残念さ半分と複雑な心境になる。
同時に。
推しとのキスという非現実的な出来事に、今すぐ意識を飛ばしたくなっている。
だが。
「あらあ! 大当たり。すごいタイプ!」
「やーん、今日のお客様で、人生の運を全部使い尽くした感じがしちゃう!」
二人の娼婦が部屋にやって来た。


















