37話:推しの甘いジョーク
第三回の裁判の日は二週間後と決まり、その速さから、それが最終弁論になるだろうと弁護士チームからも言われることになった。そして国王との取引がある。もう終わるということで、かなり気持ちも楽になっていた。
季節も新緑の季節から初夏を迎え、過ごしやすくなっている。
そんな中、この日の夜は、月がとても美しかった。
一度ベッドに入ったものの。
カーテンから差し込む月明かりで、目が覚めてしまった。
そのカーテンを開けると……。
すごいわ。
庭園一面に月光が降り注ぎ、銀色に輝いて見える。
そして気づく。
淡い明かりが灯っている。庭園の一角にある温室で。
明かりを消し忘れたのかしら?
いや、それはないだろう。
あれは意図的に明かりがついている。ということはそこに誰かがいるのだ。
一体、誰が……?
自分の屋敷ではないのに。
今日の私はなんだか大胆だった。
寝間着の下に着用できる簡易の下着を身に着け、さらに薄手のレースのガウンを羽織る。その上でランタンに火を灯し、部屋を出て、温室を目指す。
なんとなく。
予想はついている。
温室にいるのはエリダヌスだと思う。
でも何のためでそこにいるのかは……分からない。
ただこの邸宅において、こんな時間に温室にいるとしたら、彼以外考えられなかった。
推しに会いたい! 推しを愛でたい!
そんなちょっとしたミーハー心で、温室へ向かっていた。
ガラス張りの温室の扉、カギが掛かっているかもしれない――そう気づいたのは、扉の前に着いてからだった。
ドキドキしながら取っ手を掴む。
開く、かしら?
ぐっと扉を押すと……開いた。
カギはかかっていなかった。
温室の中は、想像より広い。そして全体に明かりがついているわけではないことは、すぐに分かった。ぼんやりと見える明かりの方へ向け、歩き出す。
心臓がドキドキとしている。
「あっ……」
突然、視界が開けたそこは、小ぶりの噴水があり、そのそばにテーブルセットが置かれている。周囲を白い花に取り囲まれていた。近づくにつれ、なんとも甘い香りがしている。
その椅子に腰かけ、フルーツと共に白ワインを飲んでいるのは推し……エリダヌスだった。私を見ると驚いた顔になったが、すぐに美麗な笑みを浮かべる。淡いランタンに照らされたその微笑みは、実に美しく、艶めかしい。
「こんばんは、ウェリントン団長」
絶対に他に人はいないだろうと、久しぶりに推しの正式な呼び名を口にしていた。
すると彼も同じように応じてくれる。
「こんばんは、アンブローズ公爵令嬢。こんな夜更けに、眠れないのですか?」
「はい。今晩は眠るのが惜しいくらい、月が輝いているので」
「ああ、そうですね。この温室も。月光のおかげでこのランタンだけで、済んでいます」
そこでゆっくりとエリダヌスは椅子から立ち上がると、私のそばに来た。
当然のように手を差し出し、エスコートしてくれる。
「この白い花、何だか分かりますか?」
「これは……何でしょう?」
「月下美人です。夜に咲く花です。美しい花で、香りも良いので、愛でていたんですよ」
ワイン片手に月下美人を愛でる。とても風流だと思う!
推しはなんて粋なのかしら!
「花を愛でていたら、本物の美しい姫君がやって来てくれるなんて。今日のわたしはついていますね」
思いがけず甘いジョークを言われ、さらに手の甲にもキスをされた。
まさに腰砕けになりそうだった。
そして手の甲へのキスで気が付く。
エリダヌスの唇はいつもより熱く感じた。
それは……ワインを飲んでいたからだ。
「こちらのベンチに座りませんか」
月下美人を眺められるように、ラタン製のベンチが置かれている。
そこに横並びで腰掛けた。
「間もなく最後の裁判ですね。それが終わると、いよいよアンブローズ公爵令嬢は自由の身です。男装の必要もなく、逃げ隠れすることもなく、ご実家に戻れます」
「そうですね。……本当にここまでいろいろとありがとうございます」
「ご実家に帰ることができる――嬉しいですか?」
ゆっくりとその長い脚を組みながら、エリダヌスが私に尋ねる。
それは勿論、嬉しいことだ。
そんなこと、聞かなくてもエリダヌスも分かっているはずでは?と思いながら「はい。家族水入らずで食事をして、ゆっくり話したいです」と答える。
「そうですよね。でも……わたしはアンブローズ公爵令嬢が帰ってしまうと寂しいです」
「!?」
そこでエリダヌスが私の肩に自身の顔を載せた。
その瞬間、月下美人の甘い香りの中に、推しのアクアの香りが広がる。
この組み合わせ、最高。
なんていい香りなのかしら。
つい香りに頭が向かってしまったが、エリダヌスがとんでもなく甘えるような一言を口にしていなかった!?
そう思い、視線をエリダヌスの方に向けようとして、その近さに悶絶しそうになる!
私の肩に顔を預けているのだから、近くて当然。
サラサラのブロンドの下の、整った顔も良く見える。
「君の美しい髪。再び長く伸びるまで、そばで見守りたいのですが……」
エリダヌスの手が伸び、私の髪に触れる。
でも今、髪が短いので、その手は私の首筋にも優しく触れて……。
首筋は……推しの少し熱を帯びた手で触れられると……なんだか体が疼く。
ところがすっとその手が下がったと思ったら……。
ドキドキしながら、エリダヌスの顔を見る。
その顔は――寝ている……?
瞼が閉じられ、あの美しい碧眼は見えない。
酔って眠くなってしまったのかしら?
陶器のように美しいその肌に触れたいと思い、手を伸ばすと……。
眠っていたと思ったエリダヌスが私の手を掴み、手の平、指へとキスをするから、心臓が大変なことになる。でもそれを終えると私の手をぎゅっと握りしめたまま、また静かになった。
なんだか甘えられているような、とにかく胸キュンが止まらない。
裁判は間もなく終わる。
そうなればここを出て、家族の元へ戻るのだ。
そうなったらエリダヌスが私の肩にもたれ、手を握り締めて寛ぐなんてことはない。
今だけ。
この月光で照らされる今夜だけは。
例え彼の心に私の知らない令嬢がいるのだとしても……。
推しのこと、独占させてください。
月下美人の甘い香りとアクアの香り。
甘く切ない香りと静謐な時間が流れて行く――。


















