16 王子の闇 ※セバス
※※※ セバス ※※※
「セバス、久しぶりだね」
「お久しぶりでございます。レオン様」
『空の子』様の教育を任されてから、ひと月。
久しぶりにお会いする第3王子殿下――レオン様は柔かな笑顔をされていた。
初日に軽くご挨拶はしたものの、執務に加え急増した来客の対応に追われていらしたレオン様とは、今日までこうしてきちんとお会いする機会もなかったのだ。
人払いがされており、二人だけなのでそのお姿をじっくりと拝見する。
もう15歳。私が教育係を務めさせていただいていた頃の幼さはない。
ご成人前とはいえ、こうして執務机についているお姿も堂々としたものだ。
成長著しいレオン様のお姿は眩しく、私は目を細めた。
「突然お願いして悪かったね」
「とんでもないことでございます。大役をお任せいただき光栄でございます」
「それで、チヒロはどうかな?」
「そうですね」と前置きして。
このひと月の少女の様子を思い出し、思わず頬が緩んだ。
「面白い方ですね。初日にちゃん付けで呼ばれた時は驚きました」
「は?ちゃん付け?セバスを?」
「はい。私もこの歳で生まれて初めて言われました。
はは、『空の子』様は随分と変わった発想の持ち主でいらっしゃるようですね」
初日はどうなることかと思った。
初見の――しかも初老の男を《ちゃん》付けで呼び、握手を求めてきた『空の子』様。
その後ろから慌てて『空の子』様の口を押さえ、「すいません」を連発していた専任護衛。
あの日の事だけで長時間語れそうだが、今日は教育係としてきちんと報告をしなければならない。
こほん、とひとつ咳払いをして本題に入ることにする。
「それはともかく。随分と高い教育を受けていた方のようです」
「そう」
「授業、といってもこの世界のことを覚えていただくのみという感じです。
それも既に良い土壌ができているので水がしみ込むのも早い、ということでしょうか。
覚えるのが早く、教え甲斐がありますね。
得意不得意はありますが、どれも文句なしに及第点を差し上げられます。
――ああ。ただ、意外なことに人の名前を覚えるのは大の苦手なようです。
なんでも《ヨコモジ》だの《カタカナ》だのは苦手だから、とおっしゃってましたが」
「《ヨコモジ》?《カタカナ》?なんだろう」
「さあ。私にもわかりませんでしたが。
どうもそのせいで長い名を覚えるのが苦手だと言いたかったようです」
「ふうん。……まあ、それはいいや。他には?」
「……お聞きしていた通り植物にはかなり興味がおありのようです。
植物の栽培方法についてだけでなく、植物の用途についても細かく質問を受けました。
……特に、薬の原料であることには大変興味を持たれたようです」
レオン様の顔が鈍く変化した。
「薬か。……《西》の、第2王子の管轄だね」
「はい。他に、この国の治療術についても聞かれました。
ご自身に医術の心得がある訳ではないそうですが気になるから、と。
当然のように医局を見たいと言い出されまして。
無理ですとお伝えはしましたが納得されたようには見えませんでした。
またすぐに言い出されるでしょう」
「……そう」
私は居住まいを正した。
「これは、架空のお話ですが。
もし。万一《北の尊い方》に尋ねられれば、私はここまではお答えするしかありません。
……よろしいでしょうか」
「ああ、構わないよ。セバスが《北》と縁が深いのは承知の上でチヒロの教育を頼んだんだ。
……覚悟はできているよ」
一礼をし、レオン様の様子が変わらないことに安堵しつつ、私は次に不本意ではあるが聞かずにはいられない話をすることにする。
「では、ここからはただの雑談です。……もし、ですが。
もし、あの方に淑女教育をお望みでしたら、さすがに私の手に余ります。
その際は、王太子妃様に教育係をご紹介いただいてはどうでしょうか?」
「淑女教育?チヒロに?何故」
「……妃にお望みなら、と」
「妃?――僕の?」
レオン様の訝しげな――何を言い出すのか、というお顔。
それを見てやはり、と答えを察するが、噂になっていると聞く。
話しておくべきだろう。
苦く思いながらも私は口にする。
「『空』は捧げられた祈りが届いた時に『空の子』様を降ろされると」
レオン様は短い沈黙ののち、苦笑された。
「なるほど。そうだね。
チヒロは《自分にはこの国のためになるような高い知識はない》と宣言した。
しかも少年ではない。初の、少女の『空の子』。
そんな『空の子』が現れたのは儀式の時、僕が『空』に国のためになることを《祈った》のではない。
僕個人のことを《願った》からだ、と考えたわけか」
「申し訳ありません。下世話な勘繰りを」
「いや。多分、皆がそう思っているだろう。
僕は儀式でチヒロを抱き上げたし、謁見では彼女の手をとり《名前で呼んで欲しい》と言ったからね。
抱き上げたのは裸足の『空の子』を歩かせるわけにもいかなかったからだし、名前の方は彼女を手に入れようと考えていた貴族への牽制だったのだけれど。
チヒロの気をひこうとしたように取られてもおかしくないか。
皆に僕が《『空』に妃を願った》と思われていても当然かな。
――ああ。国王陛下もそう勘繰ったのかな。
未婚の男女であるのに僕の暮らす《南》にチヒロを入れたのはそれでか」
「いえ、それは――」
それは予期していなかった『空の子』様が現れたからだ。
誰が王子が祈って『空の子』様が現れると想像出来ただろうか。
『空の子』様の為に用意できた宮も、護衛もあるはずもない。
『空の子』様には現在、王族が生活されているどの宮かに入っていただくしかなかったのだ。
国王陛下の北、王太子殿下の東、第2王子殿下の西、そしてレオン様の南。
そのいずれかならばここ、レオン様の南の宮が最適だ。
この南の宮だけは、他のどの宮とも全く作りが違う。
門を中心にして左右はまるきり別棟だ。宮を二つ繋いだような構造なのだ。
男女で左右に入られてもなんの問題もない。
確かに王子の中で唯一、未婚である自分の宮にチヒロ様を入れられたのだ。
レオン様が国王陛下にも《自分が『空』に妃を願った》と勘繰られた、と思ってしまうのも無理はないが。
国王陛下の判断は正しい。
そう進言しようとしたが、レオン様に手で制された。
「いいよ。気にしていない。ともかく。……ふうん。
僕に娘をすすめにくる奴らがいなくなったのはそういうわけか。それはそうか。
高い知識がないとはいえ『空の子』と敵対したくはないだろうしね。
ふふ。面倒がなくていい。皆にはそのまま勘違いしていてもらおうか」
「勘違い、ですか」
「ああ、大きな勘違いだよ。
僕は『空』に自分の妃が欲しい、なんて《願って》はいないよ」
レオン様のお顔を見つめる。そのお言葉が紛れもなく本心であると知れて安堵したような残念なような。なんとも複雑な気持ちになる。
そんな気持ちのまま「そうですか」と短く答えればレオン様は声もなく笑った。
「お前のことだ。では僕が何と《祈った》からチヒロが現れたのか。気になって仕方がないのだろう?セバス」
「は?……ええ、それはまあ……」
レオン様は上体を後ろにそらした。
はずみで椅子が軋み、小さく音をたてる。
「……そうだな。セバスには言ってもいいかな。本当のことを」
「……本当のことを、ですか……?」
ぞくりと身体を逆撫でされたような悪寒がはしった。
嫌な予感がする。この先は聞いてはいけない。そんな思いにとらわれる。
レオン様は唇の端だけで笑っている。
「そう。本当のことだ。
そもそも僕はあんな儀式を信じてはいなかった。
バカバカしい。茶番だとさえ思っていたよ。
だから僕は『空』に何の《祈り》も捧げてはいない。
ましてや《お願い》なんて、してはいないんだよ」
「―――」
「……そうだな。強いて言うなら『空』に喧嘩を売ったかな」
「……喧嘩……ですか……」
予想以上の言葉に声が掠れた。
「それとも罵倒したとか、挑発したとか言えばいいのかな」
「―――」
もはや声も出なかった。
『空』になんということを―――
さすがに肝が冷える。
『空』に喧嘩を売った?
それでは『空』はレオン様に喧嘩を売られたから『空の子・チヒロ』様を降ろされたことになる。
それは………まさか『空』は―――
「――『空』は相当、僕にお怒りのようだね。ふふ。
何もしてくれないくせに、ちょっと喧嘩を売られたくらいで怒りはするんだ。
まあ長年同じように罵倒され続けたんだ。我慢の限界だったのかな」
「――――」
「だけど、まさか《少女》の『空の子』をよこすとはね。さすがに驚いたよ。
だからチヒロはすぐに空へ戻されると思っていたんだ。
でも既にひと月も経つ。
妙だよね。『空』は僕をいつ罰する気なのかな。
僕が心を入れ替え謝罪するのでも待っているのかな。
それとも時間をかけて、もっと僕を苦しめたいのかな。
もしくは……そうだな。
すぐに戻すつもりだった『愛娘』が、意外にもここでの生活を楽しんでいるようだから、しばらく遊ばせてやろうとしてるのかもね」
ご存知なのだ。当然だ。レオン様が知らないはずはない。
ご存知なのに。何故―――
『空』の怒りに触れ、『空の子』様を空に戻されたならレオン様は終わりだ。
いや。それだけでは済まない。済むはずがない。
―――――《王家は二度と愚かな真似はしない》―――――
王家は誓ったのだ。そして辛くも破滅を免れた。それなのに。
再び同じ罪を犯すことなどあってはならない。
《愚王》の再来など決して許されない。
これはレオン様だけで済む問題ではない。
道連れだ。王家も。いいや、この国さえも―――
それを知っていて………
身体が震える。
どうする? どうしたらいい。
何か。なんとかしなければ。
だが国王陛下にも我が主人にも。とても話せることではない。
お二人はどちらも国を守るお立場だ。
国に危険が及ぶかもしれないこの事態。
お二人が知れば、レオン様を棄てる選択をする以外なくなる。
どんなに非情だろうが、国を守るために。『空』の怒りをおさめるために。
《愚王》と同じようにレオン様を葬る以外ない。
たとえお二人がそう決断しなくても他の者は許さない。
レオン様を『空』に差し出せと迫るだろう。
誰一人、レオン様を救おうという者は……ない。
………話せはしない。誰にもだ。ならばどうする。私がなんとかしなければ。だが
どうしたら――――
必死に思案する私の前でレオン様は――腕を組み、ひとり笑われていた。
見覚えのある闇をまとった笑顔。
ああ、やはり、と目を伏せた。
遊びでしかないのだ。この方にとっては。
この世の全て。自分の命でさえも遊びの《駒》でしかない。
何とかして差し上げたいとずっと思ってきた。
それは私ひとりではない。レオン様のお側にいた者は皆、心を痛めてきた。
それが5年前。
我が主人に出逢われたレオン様が変わられていくのがどれほど嬉しかったか。
このままゆっくりと。レオン様の闇が消えていくことを願っていたのに。
それを
まさか……『空』に歯向かわれるとは―――
「ふふ、ああ。それともそれで薬、なのかな?『空』も面白いことをするな」
理解できた言葉ではない。
しかし意味を教えていただくことはしなかった。
そうするしかない、凍るようなお声だった。
これは偶然なのだろうか―――
南の宮が他の、どの宮とも全く作りが違うのは。
二つの宮を繋いだような構造なのは。
かつて未婚の男女が一緒に生活されていたことがあるからだ。
―――300年前
『空』に祈りを捧げた王女様と、
王女様の祈りで降ろされた『空の子シン・ソーマ』様が暮らした宮。
それがここ、南の宮だ。
もちろん、改装・改築などが繰り返されて当時の姿ではない。
それでも、大きく形は変えていない。
その南の宮に今、揃ったのは……
闇を抱えた王子レオン様
『空』がレオン様に降ろされた性別の違う『空の子』チヒロ様
そして……《シン》の名を持つ我が主人
これが本当に偶然なのだろうか。
『空』が仕組んだことではないのだろうか。
レオン様を。チヒロ様を。我が主人を。
『空』はいったい、どうしたいのだろうか――――
私はただ、立ちつくすしかなかった。




