3話 不穏
カランカランと、入店のベルが鳴る。
シックな音楽が店内を包み、お洒落な雰囲気を醸し出している。所々に見える高級そうな置物は、この店の品格の高さを表していた。
店内には、スーツや、ドレスを身に纏った、貴婦人、商人、貴族、位の高い人物達が談笑や、食事を楽しんでいる。
そんな中、入店した男の格好は、どう見ても浮いていた。
シワついたヨレヨレのシャツに、年季の入ったジャケット、綻びが見え隠れするズボン、本来であれば、店に入ることすら憚られる格好だが、男に気にする様子はない。
周囲の視線を、全く意に介さず、辺りを見渡す。
男は、目的の人物を見つけたのか、そこへ歩き始めた。
男は、とある女性の横に腰掛け、話しかける。
「久しぶりです。八、九年ぶりですかね?相変わらず、お綺麗で羨ましい。」
話しかけられた女性は、艶やかな黒い髪と、すずしい目元に、吸い込まれそうな青い瞳が印象的な、端麗な顔つきをしていた。
「私は、あなたと軽口をたたくつもりはないわ。」
淑やかな雰囲気とは裏腹に、鋭い口調で返す。
「おっと、失礼。じゃあ、本題に入りましょうや。今回はどんな用件で?」
「とある人物の詳しい現在地と、監視を頼みたい。」
「とある人物?」
「万能の魔女サリィ・ルーティス。」
男は、その名を聞いた瞬間、身震いをした。
「それは無理だ。」
さっきまでの、どこか飄々とした雰囲気は吹き飛び、男は強く否定した。
「そんな依頼を全うできる気がしない、たとえあなたの頼みだとしても、今回は引かせてもらう。」
馬鹿馬鹿しいと吐き捨て、席を立とうとする。
瞬間、ぞわり、と男の背筋に冷や汗が流れる。
空気が重くのしかかり、異様な緊張感が店内を包む。
ねっとりとした魔力が、男の足を、胴を、首にと纏わり付く。まるで、逃がさない、そう言うかのように。
「あなたに拒否権はないわ。」
それに、と付け加え、言葉を続ける。
「ロズ村での一件、私は許していないもの。」
男は、思わず眉を潜め、ため息を漏らす。
自身の置かれている状況を理解したからだ。
女の依頼を拒否しても、受けても、恐らく男に先はない。
ならば...
「その魔女の居場所は?」
男は再び席に戻り、女の依頼を受けることを決意した。
「西国ロリアの、さらに西、ジェラド大森林。恐らくそこにいるわ。」
*
「術式がないってどういうこと?」
アレンは動揺を隠せないでいた。本来なら誰もが備わっている筈の物が、自身には、ない、と言われたのだ。困惑するのも無理はないだろう。
だが、そんなアレンとは対照的にサリィは、子供のように目を輝かせ、説明を始めた。
「術式がないっていうのは、ちょっと語弊があったかな。」
サリィは顎に手を当て、説明する言葉を探す。
「正確には、君には術式がある。」
「じゃあ、なんで式紙は反応しなかったの?」
「言ってみれば、君の術式は白紙なんだ。」
アレンは言っている意味がわからず、首を傾げ、詳しい説明を求めた。
「少し例え話をするよ。術式を一枚の紙と見る。そして、一般的な術式は、その紙に効果が書かれているんだ。例えばだけど、あなたの魔力を火に変換します、みたいな。」
「じゃあ、僕の術式が白紙ってことは、なんの効果も持ってないってこと?」
「そう!」
一段と嬉しそうに、手を叩き、アレンに顔を近づける。
「なんで嬉しそうなんだよ、全然凄くないじゃないか。」
アレンは顔を背け、口をへの字に結ぶ。
サリィは、分かってない、と言いたげに、チッチッチと指を振り、片頬を上げニヤついた。
「違うんだよ。本当に珍しいんだ。君には、無限の可能性がある。」
サリィは半信半疑のアレンの肩を強く掴み、興奮気味にこう言った。
「君は、君だけの術式を創れる!」
そう、サリィは、知っているのだ。
過去から現在に至るまでの長い歴史に、アレンのような無の術式は、数度、観測されたことがあるのを。
ある者は、英雄の称号を。
ある者は、落ちこぼれの烙印を。
ある者は、凶悪な殺人鬼に。
また、ある者は、一国の王に。
歴史に名を残してきた彼らは、皆一様に術式を創ったのだ。
己の努力と研鑽を得て。
無論、術式を創れず、一生を終えた者もいる。
そもそも創造するという、発想がなかったのかもしれない。
だが、幸運にもアレンには、こと魔術に関しては、莫大な知識を持つ、サリィという師匠がいる。
勿論、アレンの術式が彼らと同じ術式であったと、アレンが知る由はないが、今一度、アレンは、自身の価値について考える。
「僕だけの術式...」
アレンは呟いた。
気づいたのだ、自身の可能性に。
望む術式を得られる、そんな可能性に。
俯き気味だった顔を上げる。
失意を感じさせた目は、最早そこになく、期待に満ちた熱い眼差しでサリィを見る。
「師匠、僕に術式を教えてください。」
「勿論、私は君の師匠だからね。」
改めて教えを乞う、アレンの言葉には、強い意志が含まれていた。
*
ガタゴトと馬車は揺れる。海沿いに舗装された道は、
窓から、広大な青い海と空が、その姿を覗かせる。
まさしく絶景、そう形容するに、相応しい景色ではあるが、長い間同じ景色だと、流石に飽きもくるだろう。
最初は、心地良いと感じた潮の香りも、今では、やや苦痛に感じる。
であれば、安直ながら、寝るという手段を取れば、周りの情報を感知することもなく、時間も稼げて一石二鳥だ。
だが、決して良質とは言えない馬車の中、ましてや、たびたび揺れる車体で寝るのは、中々困難であった。
ーーもっと豪勢な馬車にすればよかった。
今更、そんなことを思っても後の祭り。
男は、後悔の念を禁じ得ないでいた。
「おーい、旦那、もうすぐ着きやすぜ。」
「あぁ。」
男は返事をして、窓を開け、外を覗く。
遠目からでも確認できる、大きな壁が姿を見せる。
とりあえずの目的地、西国ロリアの都市ローンドだ。
男は、ふぅーと息を吐き、座ったまま、両の手を上に上げ、伸びをする。
「まずは、情報収集から始めますか。」
男は、そう呟き、これからのことについて思案する。
やがて馬車は、ローンドの壁の前へと着く。
遠目からでも、その壁の大きさは確認できたが、近くで見ると、まさに圧巻。重厚感のある造りに、押し潰されそうな重圧感すら感じる。
それもそのはず、ここローンドは、西国と北国の国境付近にある都市、いざという時のための造りになるのは、当然のことだった。
「旦那、おれぁ、ここまでだ。こっから先は、入国の手続きが必要だからよ。」
「ああ、ありがとうな、おっちゃん。」
男は馬車を降り、ローンドへと歩き出す。
様々な思惑を、その肩に担いで。