フェンリルは災難に見舞われます
こんにちこんばんは。
フェンリルの補足話を書くことにした仁科紫です。
それでは、良き暇つぶしを。
これはチェシャ猫がアリスに立ち向かう前のお話───
「えっ。俺が?」
「うん。君にも手伝ってもらえると百人力だなって思って。」
いつも通り、お気に入りの雪山で駆け回っていたフェンリルはここ最近出会ったばかりの友人に声をかけられていた。...正確には、スカウトともいうべき内容だったが。
「いや、そうは言っても俺は大した力を持っていないが?」
「いやいや、長き時を生きるフェンリルが大した力を持っていないなんて言っちゃったらダメでしょ。
この世界でも10本の指に入るくらいには強いんだしさ?」
そうおどけたように言ったのはこの世界で改革を起こそうと世界を回っているチェシャ猫という猫だった。
好奇心の宿る瞳とニタニタと笑うような口元が特徴的であるが、性格は悪いものではなく正義感に溢れつつも割りとサバサバとしていてフェンリルは気に入っている。
しかし、チェシャ猫の言葉には反論したくなった。確かにそうかもしれない。だが...。
「俺は火でも、水でも、土でも、風でもない。ましてや、光や闇でもない。俺は氷だ。水と土が統合した中途半端な属性だ。
既に水竜の翁もガーゴイルの若造も仲間にしたアンタには要らないんじゃないか?」
味方とするには不十分な混合属性である己は必要ないだろう。突き放すようにそう言ったつもりだった。
それでもチェシャ猫はニヤニヤと歪む口を開いた。
「君は卑屈だね。そんな事は関係ないんだよ。別に属性で選んでいる訳じゃないんだからさ。」
「いや、でも集めてるんじゃ...」
「それがねぇ?たまたまなんだよ。出会った順番がそうだったというだけで、僕は属性なんて気にしない。全ては強さだよ。」
彼女と敵対するなら、そうでなければならない。暗にそう言ったチェシャ猫をフェンリルはジーッと見つめた。
フェンリルは結びつきが見える能力を持っていた。それは縁や巡り合わせ等と呼ばれる出会いを見るものから離別や物理的に結合されているものまでそれこそ何でも見える。
尤も、相手がフェンリル以上の実力を持っていれば話は別なのだが。そんな相手はフェンリルよりも長く生きる水竜か、それこそこの世界の創造主である夢見る少女くらいのものだ。
そして、今見たチェシャ猫と自分には確かに縁が繋がっていた。それは今切ったとしてもすぐに繋がる程に強固なものだった。
どれほど足掻いてもそれに抗うことは出来ない。そのことを十分な程にフェンリルは知っていた。
だからこそ頷いたのだ。内心では今後、どのような苦難が待っているのか戦々恐々としながら。
「仕方がない。俺は貴方に従おう。...加護を贈るか?」
「あー...いいよ。また今度で。皆、心配症なんだよね。気づけばいっぱい贈られちゃってるんだから。」
あははと頬をかくチェシャ猫は苦労しているというよりも、仕方がないと妥協しているようにも見えた。
その胸から自身へと伸びる縁の色は黒。黒の意味は...死をも共有する仲。苦難を共にする一蓮托生の関係、である。
本当に、どうしたもんかなとフェンリルはどんよりとした今にも雪が降りそうな曇天を眺めた。
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月日は流れ、遂に顔合わせの日となった。
フェンリルとしては何時までも生まれ育った山にいたかったが、そうもいかない。各地では徐々に夢見る少女による被害は拡大しているのだ。
それはフェンリルの住む雪山とて例外ではなかった。
「ここも雪が...。」
「クゥーン...。」
眷属であり我が子とも言うべき子犬が悲しそうに雪のない岩肌を鼻先でつついていた。
少し前までは確かにここは雪で覆われていたのだ。しかし、それもここ2、3日ですっかり溶けきってしまった。それも氷の精霊に近しいものであるフェンリルが力を注ぎ、雪を維持しようとしていたにも関わらず、だ。
随分と影響が増したものだと心中で悪態をつく。
「やはり、行かなければならないな...。」
認識を改め、フェンリルは予めチェシャ猫から指定された場所へと飛んだ。眷属には雪山の可能な限りの維持を頼みながら。
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「すまん。待たせたか?」
向かった先の街中にあるカフェの個室では、既にチェシャ猫以外の4人...いや、5人の姿があった。
一人は踊り子のような民族衣装を身にまとった燃えるような赤髪が特徴的な成人前くらいの少女。一人は艶のある白髪にところどころ黒髪が入り交じる幼子であるが、瞳からはその見た目とは裏腹に狡猾さが垣間見えた。その隣には大柄な男。そして、流麗な着流しを身に纏い、まだ幼い赤子を背負った翁がその場に集まっていた。
赤髪の少女はフェニックス、白髪の幼子はビャッコ。大男は噂に聞く乱暴者のガーゴイル。赤子を背負っている翁は水竜だろうと、それぞれの風貌を見て当たりをつける。
そうしている間にも声をかけられた5人はフェンリルの方を何かを確かめるように見ていた。
「のう。フェニックス。この犬っころは話を聞いておったのかの?」
「あらやだ。ビャッコ姉さん。そんな事を言われても私には分かりませんよ。聞くならばチェシャ猫に言ってくださいな。」
クスクスと笑い合う少女達のやり取りは見た目からすると逆に思えたが、どこがしっくりとくるものだった。
しかし、話とは一体なんのことだろうか?そう考えつつもおおよその見当がついたフェンリルは苦虫を噛み潰したように顔を顰める。
「もしや、人の姿でなければならなかったか。」
「ふむ。そうじゃな。我らはそう聞いたぞい。ちと支障が出る見た目じゃからの。」
「あぅー。」
ヨシヨシと赤子を宥めながらもかけられた声にピシリッと固まる。全くもってそんな話は聞いていないが、翁が言うには事実としてそうであるらしい。確かに、獣の姿では何かと不便な面もあるだろう。旅をしていれば敵に見つかりやすいのも間違いない。
...これは、あれだな。チェシャ猫によるイタズラか。
思わず頭を抱えそうになりながらも心中で愚痴る。そう考えれば納得のいく話だった。
何を考えてかあの猫は定期的にイタズラを仕掛ける。それも他愛のないものからかなり重要なものまで実に様々だ。本人は楽しいのだろうが、やられた相手からするとたまったものではない。特に、こういった場面では。
「すまない。すぐさま転じよう。」
その場でポンっと音を立て、久しくとらなかった青年の姿へと変化する。服は必要なものだと認識していたため、適当に見繕ったものを着ていたのだが...女性陣には受け入れ難いものであったらしい。
「これでいいか?」
そう尋ねたフェンリルに突き刺さった視線はあまり心地よいものではなかった。
「その見た目でその服のチョイスとは...時代錯誤にも程がありますよ?」
「そうだの。もふもふモコモコ...妾よりもあi...コホン。暑苦しい。もう少しマシな服装にせよ。」
「ぅ?...ぶーっ!」
目が笑っていないにこやかな笑みを浮かべる赤髪の少女に嫌悪感からか顔を顰める白髪の幼子。更には翁の後ろでバツ印をつくる赤子と、否定的な考えを伝えられれば誰だって自信がなくなるだろう。
フェンリルは眉を下げ、どうすべきか尋ねることにした。
「すまないが、服はよく分からない。どう言ったものが良いのか教えてくれないか?」
「えー。嫌ですよ。」
「そうだの。それに、頼む態度もなっておらんしな?」
そう言ってニヤニヤと笑う二人の少女達に何故か背筋が冷たくなったが、ここで挫けては旅などすることは出来ないだろう。
仕方がなく二人の要求を聞くことにした。
「では、どのように頼めばいい?」
「そこはご自身で考えて欲しいところですが...仕方がありません。ここは私たちがお教えしましょう。ね?ビャッコ姉さん?」
「うむ。それが良いな。フェニックス。」
そうして二人による服選びや話し方の指導が始まった。
正直、服はまだしも話し方は今のままでいいのではとも思ったが、二人は頑として譲らず、人付き合いの少なかったフェンリルはそういうものかと受け入れる事にした。
その後、最も戸惑った慣れない話し方についてはその場にチェシャ猫が現れるまでレッスンが続き、その頃にはほぼ完璧と言っても過言ではない程度には慣れてしまっていた。
「あ。お疲れ様っす!チェシャ猫君!」
「...えっ。うん。お疲れ...って、誰...ん?フェンリル...?」
「はいっす!」
「えー...。」
結果として、それらの成果は一時間後に姿を現したチェシャ猫が、以前とは全く異なる様子のフェンリルを見て困惑する程のものとなったのだった。
救いを求めるようにさ迷わせた視線の先では事の主犯であるフェニックスとビャッコがニヤニヤと笑い、その様を傍観していた翁は苦笑い。よく分かっていないガーゴイルは早く戦いに行かないのだろうかと考えていたとか。
これが災難であったのかなかったのか。それは本人であるフェンリルにしか分からないことだろう。
「いや、十分な災難っすからね!?それ以降、口調を戻そうとする度にビャッコちゃんやフェニックスちゃんから怖い視線が来るんすから!それで威厳がないとか言われるこっちの身にもなって欲しいっす!」
こうしてフェンリルは女性陣に逆らえなくなっていったのだとか。
その後もフェンリルの受難は続きます...が、書く気はないのでお好きなようにご想像ください。
それでは、これ以降も良き暇つぶしをお送りください。