第一節「出会い」第二項
「なに、今の……」
チンピラの右手はなんともない。明らかに燃えていたにも関わらず、やけどの跡など見当たらないのだ。
フレナの虚をつかれた表情に気を良くしたのか、男は懐から一枚の硬貨を取り出した。
「見ろよこれ」
そう言われてまじまじと硬貨を見つめる。なんの変哲もない、ここら一帯で流通している中で一番価値の低い、普通の硬貨に見えた。反応を返さないでいると、チンピラはまるで見る目がないなとでも言いたげに鼻で笑った。
「これを持っていると不思議な能力を使えるようになる。ボスのところからかっぱらってきたんだ。ちなみに俺達はこれを『絆鎖』って呼んでんだ」
「……それがあなた方のボスとやらにばれたら大変なんじゃないの?」
「そんなわけねえだろ。あんなぽんこつ、今の俺だったら二秒で片付けられるぜ」
酔ったような表情でしばらく硬貨を見つめていた男だが、ふと思い出したようにフレナを睨みつけた。
「そんなことより俺様の金を盗んでくれた落とし前をどうつけてくれるんだ?」
チンピラが使った未知の力、人智を超えた現象。さっきまであんなに勇ましかったというのに、フレナはすっかり弱腰だった。裏返りそうな声を必死に抑える。
「わかった、返せばいいんでしょ? 返せば」
「おいおい、今の自分の状況わかってんのかぁ? それだけで済むわけねえだろ」
チンピラはフレナに向けて一歩踏み出した。いったいなんだと思う間もなく、無骨な拳がお腹に突き刺さる。凄まじい衝撃、頭が一瞬真っ白になる。激しくむせ、喉元までせり上がってきた胃酸が口からこぼれる。かすかに塩っ辛い肉の味がした。
単純な暴力は、不思議と摩訶不思議な現象よりも死を身近に感じた。押し寄せてきた恐怖と不安にフレナの心は押しつぶされそうだった。
「その表情だよその表情! ぞくぞくするぜ……」
性悪そうな、今のフレナからすると悪魔のように見える笑みを浮かべて「おい知ってっか?」と言った。
「俺の炎は『性欲に応じて』激しく燃え上がるんだ。特に最近女を抱いてねえからさあ。あんまり興奮させると」
男はいったん陶酔したようにため息をついた。
「消し炭になっちまうぜ?」
「あんたみたいな薄汚い男に私は似合わない! 商売女でも抱いてろ盗賊崩れ!」
フレナは恐怖の中で精一杯の虚勢を張る。こんな態度でいないと、今すぐにでも涙がこぼれてしまいそうだったからだ。しかし冷静さを欠いていたとは言え、この態度は悪手である。これが男の怒りに油をそそぐことになるのはある意味自然なことであった。
「このクソアマ! どうやらまだ立場ってもんがわかってないらしいな!」
憤怒の形相で右手を振り上げた。そして顔に迫ってくる拳、恐怖に身を固くして目を強くつぶる――――。
「ごめんくださぁい。ちょっとお邪魔しますよ?」
暴力が渦巻いているこの場にはそぐわない、随分と気の抜けた声がした。目を開けると眼前で停止した拳、扉の方を睨んでいるチンピラ。
フレナも同じ方向に視線を向けると、ちょうど若い男がおんぼろの扉をがたがたと鳴らしながら小屋に入ってくるところだった。「ごめんなさいね、いきなり。……おおっとやっぱりここにいたか」
突然の乱入者はフレナを見つけると安堵したように顔を緩めた。その表情はなんだか見覚えがあるような気がした。
「おい、返せよ俺の懐中時計」
そう言われて、はっとする。あれからどれくらいの時間が経ったかはわからないが、自身の記憶によれば先ほど串肉をごちそうになった人ではないか。
フレナが黙ったままでいるとそれを返す気がないと受け取ったのか。やや焦った様子で続けた。
「あれは大事なものでさあ、あれがないと困るんだよねえ……。頼むよ返してくれよ」
「おいてめえ、いきなり入ってきてなにごちゃごちゃ言ってやがる」
フレナが戸惑っていると、しびれを切らしたチンピラはすごんだ声色で青年に食ってかかる。彼よりも一回り大きいから、怯んだって全然おかしくない。だが彼はチンピラを歯牙にもかけず、真正面から睨みつけた。
「うるせえんだよボケ」
「んだとてめえゴラァ!」
チンピラは肩を怒らせ、額に青筋を浮かべた。それでも全然押し負けない。そこでフレナの脳内に先ほどの光景が浮かび上がった。
「き、気をつけて! そいつ、手から火を出して……なんでかはわからないけど、とにかくそいつは危ないんだって!」
「手から火を?」
驚いたように青年、ディルがフレナを見つめる。その視線でふと我に返り、自分の言ってることの馬鹿らしさに恥ずかしくなって声を小さくした。
「し、信じられないかもしれないけど……」
「いや、信じるよ」
「……えっ?」
拍子抜けしているとチンピラの手元が赤く光った。炎だ。あっという間に肩の高さを超え、壁を明るく照らす。ホコリを焼く焦げ臭さをばらまきながら、ディルを燃やそうと躍りかかる。
空気をはらみ、膨れ上がりながら迫りくる炎。まともに喰らえばひとたまりもない。それがわからないわけではないだろうに、彼は避けるそぶりすら見せなかった。
炎が一層強くなり、思わず目を閉じた。視界がまばゆく瞬き、熱風が頬をなでる。彼が黒焦げになる惨劇が鮮明に想像でき、背筋が凍った。
「ずいぶんとぬりぃな」
ディルのどすの聞いた声のあと、火とは別の赤色を感じ、轟音を聞いた。それにともない、凄まじい衝撃が起きる。地面がぐらぐらと揺れ動いた。
ぱらぱらと小さい何かが顔に当たる。目を閉じていてもまぶしさを感じた。空気の流れが明らかに変わった。
目を開け横に顔を向けると、壁に巨大な風穴があいていた。そこから差し込む太陽の光、吹き込む清新な風。
先程よりも随分と明るくなった。そして目前には地面に座り込むチンピラとその子分。そういえばディルは大丈夫だろうか。見てみると、彼は怪我一つなくしっかりと立っていた。
「な、なんだ今のは……」
怯えるというよりも、驚いたようにディルを見るチンピラたち。
「お、お前もまさか俺たちと同じ……」
「知らねえよそんなこと」
彼は一言で吐き捨て、体を震わせる。
「ただ俺はむかついてんだよ。この街に来てゆっくりする間もなくスられてさあ……」
「それってそこの女のことじゃ……俺たちは関係ないような……」
「うるせえ!」
ディルが叫ぶと、その身体から赤い蒸気が噴き出した。
「ひいっ」
「とにかく今の俺は無性に腹が立ってるんだよ」
「それって八つ当たりじゃ……」
彼は聞こえているのだろうが、無視をした。
「隠すようなことでもないから言うが、俺の能力っていうのは『怒りに応じて』強くなるんだ」
赤い蒸気がより一層多くなり、彼の身体にまとわりつく。
「だからさあ、よく知らないやつを殴る時、俺は祈るんだ。それはもう、一心に」
「い、祈る……? それってなにを……」
ディルがにたりと笑うとチンピラはごくりと生唾を飲んだ。
「できればこいつが、むかつくほどのクソ野郎でありますようにってなあ!」
一段と膨れ上がった赤い気がゆらめいて、収縮した。煙のようにふわふわしていたそれが、鋭い刃を形作ったのだ。ほとんど第三者の位置にいるお陰で客観視できるフレナならわかる。サイズが小さくなったからといって威圧感が減少したわけではない。むしろ命を直接狙われるような、非常に濃厚な殺気をまとい始めた。
刃は空中を自由自在に飛び回る。それはある種の殺陣のようにも見えた。
「感情によって膨れ上がる赤い気、銀の懐中時計……。お前まさか、『悪辣軍団』をけちらしたっていう……!」
「ん? お前ら悪辣軍団の一員か?」
そう聞くとチンピラたちは小刻みに頷き、それから無理矢理に笑ってみせた。
「俺たちに手を出せば『悪辣将軍』が黙ってないぞ……。いいのか? お前だって将軍の恐ろしさを知らないわけじゃないだろう……」
その言葉に彼はうなだれたように下を向いた。
「……もちろんだ。あいつが敵に回ることの恐ろしさは誰よりもよく知っているつもりだ。……そうだな、じゃあ将軍に伝言を頼めるか?」
そう言うとチンピラたちは喜色満面の笑みを浮かべた。なんとか命の危機を脱した、そんな表情だ。
安堵している彼らに合わせるように、ディルも笑顔を見せた。だが決して柔らかい表情ではない。
口の端が目にくっつきそうなほどにつり上がった、今まで目にしてきたどんなものよりも凶悪な笑顔に、チンピラたちはおろかフレナの背筋も冷たくなる。
「次に会った時がてめえの最後だってなあ!!」
赤い刃がチンピラたちにおどりかかる。フレナはとっさに目を閉じたが、一瞬のことなのできっと見ていてもわからなかったに違いない。そして次に目を開いたときには、チンピラは床にどうと倒れていた。
その胸元から亀裂の入ったコインが転がり、床に落ちると粉々になった。
「安心しろ、命まではとらないでやったぜ」
そう言うとフレナを縛る鎖を解き、壁には風穴が開いているというのに律儀に入ってきた場所から出ていった。小屋の中に残っているのは口から泡を吹いているチンピラとその子分、それとフレナだけだった。
「……よし」
前髪がなびいた。彼女は静かに息を吸い込み、吐いた。焦げた臭いはもうしなかった。腹筋に力を入れて密かに決意を固める。茫然としているチンピラの子分を一瞥したあと、小屋を飛び出してディルを追いかけた。
まだ遠くへはいっていないはずだ。古ぼけた家々の間を駆け抜ける。期待のせいか、急に運動をしたせいか心臓が激しく鼓動を刻んだ。やがて探していたその背中が見えると、喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。
「待って!」
振り返るディル。なんだまだ用でもあるのかと言いたげだった。
「私を助けて!」
19時投稿の予定でしたが早めることにしました。次回は20時になります。