バレンタインのチョコ事情 朝陽
バレンタインのチョコ売り場はものすごい人だ、毎年。
そういう意味ではもう見慣れた風景だと思う。
売り切れがいやで開店早々に売り場へ行く。
友人の亜紀と一緒にカタログを見ながら、試食をしチェックしたりして一つ一つのブースを見る。
皆、冬物を着ているから他の季節に比べて体の幅も大きくなっている人をかき分け、汗をかきながら、行列を見てあきらめたり、パティシエのサインをのぞき見したり、疲れるけど、楽しいイベント。
亜紀が彼のためのチョコに並ぶと言うから、私はその間に翔たちのチョコを買って、インフォメーション辺りで待ち合わせをすることになった。
彼女を待つ間、カタログを見ていると、隣に人の気配。
ちらと見ると、キッチリとネクタイを締め、スーツを着た男の人が口を半開きにして、途方に暮れた顔をしていた。
私の視線に気がついて、ハッとし、慌ててキュッと口を閉じた。
細身で中年の男の人、年はお母さんくらいか? 男の人の年はわからないけど、あまりこの場所にひとりでいるのは相応しくない感じ。
こほんと喉を鳴らし、彼は困ったように首をかしげて微笑んだ。
「いや、すごいとは聞いていたけど、こんな、なんですね。参ったな」
人懐こい笑顔に私もつられて笑う。
「こんな、なんです。今日は休みなんで、特に。でも、平日だって混んでますよ」
「久しぶりの日本で、ものめずらしさから見に来たけど、これだけで土産話になるな。何個も違う袋持ってる人って、どういうこと? 義理じゃないよね」
「そうですね。もう、義理チョコなんて減っちゃって、むしろ、自分へのご褒美的にいろんなのを何個も買う人や友チョコ、友達にとか、逆に男の子が女の子に渡す逆チョコもあるんですよ」
彼は売り場の方を見て、はぁーと感心するような声を出した。
こういうのをカルチャーショックというのだろうか。
「パートナーがチョコレートが好きで、日本の今の時期なら、バレンタイン用のおいしいのがあるからお土産に買ってきてって言ったから……。この売り場に入って選ぶなんて僕はできないな」
私は手に持っていたカタログを差し出した。
彼は受け取り、ん? と言って、ページをめくると瞳を見開き、驚いた顔で私を見る。
「カタログ? こんなブックで? え? フリーなの」
私は肯定するようにうなずいて、あ、と思い出して、バックから紙を出し掲げた。
「それはこの売り場に出店しているチョコのカタログです。あと、これが店の配置図です」
彼はカタログをパラパラめくり、首を振って諦めたようにふぅとため息をついた。
「ただ、売り切れの場合もありますし、期間限定の店があるのですが。試食できる店もありますよ。この時期しか手に入らなのばかりです、パートナーのためにどうぞ」
彼は、ちらっと、私の持っている紙袋を見る。
「ちなみに、君はどれを買ったの? どうやって選んだの?」
「私? は、ええと、ここのです。弟がガナッシュ系が好きで、あと母も。あんまりビターじゃないやつを」
と地図を指さしながら、彼を見るときょとんとした顔していた。
どうした? という風に私も首をかしげて、あぁと気がつく。
「父は、いない……、亡くなってるんです。だから、毎年、弟と母にあげてるんです」
「ごめんなさい」
彼は申し訳なさそうに、瞳をふせた。
大人に謝ってもらうのに慣れていないから、こちらもなんだか、余計なこと言ったな、と反省する。
そうか、この人、父親くらいの年の男の人だ。
だから、なんとなく、ほっとけなかったんだ。
「いいんです。パートナーの方の好みはご存知ですか」
瞳を上げて、ホッとしたような表情をして、
「まぁ、似たようなものかな。うーん、ちなみに去年とかは、どれにしたの」
幸い、去年、買ったメーカーは今年も出店していたから、地図の中の位置を指さす。
うん、うんと彼は頷き、意を決したように地図を持ち、売り場を見る。
「行ってきます。とりあえず、そこを目指します」
覚悟を決めたような真剣な口調に思わず、ふっと笑ってしまった。
彼も照れくさそうに笑う。
「いってらっしゃい。ただ、どーしても無理なら、地下のお菓子売り場にも色んなチョコはありますからね」
「ありがとう」
と手を振って、売り場の人だかりに消えた。
見送ってから、手に下げている紙袋の中のチョコの箱を見る。
同じものが四個、翔とお母さんと叔母の旦那さん、父の分は、いずれ、私がいただく自分用。
もう一つ買っておこうかと思う。
亜紀はまだ来ないし、もし、もう一つ買った後、あの人にまた、ここで、もしかして、別の場所で出会ったりしたら、渡してもいいな。