アイスランドスパーとアーモンド 田辺さん
ここには、秘めた恋が、もうひとつ、あった。
それに、瀬戸さんは触れていた。
彼は、笑いをこらえるように、くっと喉を鳴らして、
「俺にとっては、どちらも、ビミョー」
「いつ……、ここでピアノ習ってた頃からですか。小学生?」
彼は、組んでいた腕を外して、腰に置いた。
「気づいたから、ピアノ辞めたんだ」
「またレッスン通う口実が欲しくて、アーモンド持って来たんですか? それとも、植えるのが目的でしたか、自分の分身のように」
降参と言う代わりに、彼は両の手の平をこちらに向けた。
「生アーモンド流行ってるから、話しのネタにネットで調べたら、花言葉があって、その花の物語も。アーモンドここに植えたいなって、結構、簡単に育てられそうだったから、苗を手に入れて」
「ここ、桜も桃も梅までもあるから、それ以外のちょっと変わった木の方が、喜んで引き受けてくれそうですもんね、その理由もつけやすい。ちょっと珍しいってだけで」
(珍しさから育てたけど、こんなに大きくなるなんて、思わなかったから)とか、(客が、こういうもんで、困ってる)とか、ね。
「花言葉や訳なんて、気づかないデショーから」
「ヤレヤレ、その通り」
肺の中の空気をすべて吐きだすような長いため息の後、瞳をふせて、ピアスの石に触れた。
私は、その仕草を見ながら、
「今日は、なぜ、いつもと違う石にしたんですか」
「この前、アンタに、ペロッと石の名前、言っちゃったから、さ。調べられたらと思ったら、それをつけて、ここに来るのは、もう無理かなって」
彼は、また、ふーっと、ため息をついた。
そして、ピアスの石を見せるように、耳たぶを引っ張り、
「これは〝解放〟抑えてた心のね。さっき、彼女に植えたらって、アーモンドの種まであげちゃったんだ。これで、俺は降りなきゃな」
「降りる? 諦めるってことですか」
「離れるよ。ピアノは店で弾く程度なら、教えてもらうこと、もうないんだよ」
彼は、小首をかしげて、口元だけで微笑む。
「そうですか」
「彼女のこと、随分、想ってるのを見るのも、しんどかったし。アンタにズバズバ言われて……話せたから、吹っ切れた。引き際だ」
神妙そうに言ってるのが、おかしくて、ふっと、笑う。
「自分から、仕掛けたくせに。見知らない私なんかに、石の名前、教えるなんて」
彼は、ニヤリと口元を上げて、嬉しそうな顔になった。
「女の子だから、興味あるかなって、つい口から、出ちゃったんだぜ」
私は、手を否定するように振る。
「いや、自分で言うのもなんですけど、見た目がホスト風なひとを通りすがりの一瞬で、ピアスに興味持って声かけるなんて変なのに、ペロッと返事するから」
嬉しそうな顔のまま、彼は、おどけるように肩をひょいと上げて、
「たしかにね。だから、あっ、コイツかもって思ったから、正確に石の名前、教えたんだ」
「バラの剪定でズバズバ言った子かもってね」
「あのひとが、〝子〟っていうから、相田さんじゃないのは、わかった。でも、それらしい〝子〟は、通りすがりってんだ、教室の生徒じゃないから、気になってたんだ」
なるほど、とうなずく。
確かに、相田さんは、瀬戸さんに〝子〟って言われるような年じゃないから。
「あのひとが苦手なバラの剪定をしようと思ったような、きっかけが欲しかったんですね」
何かを吹っ切るための、きっかけ。
「詳しくは聞いてないけど、些細なことから、結構、鋭いこと言って、バラの手入れをさせようとしたらしいじゃん? 俺にも、ちょっと引っ掛けたら、来るかもって」
ハイハイ、その思惑通りにゲスい話しをしに、のこのこ来ましたよ。
彼から顔をそらして見えないように、ほんの少し、唇を尖らせる。
「……思った通りになりましたか?」
「君も俺のレッスンに合わせて、ここに来たんだろ? 答え合わせに。お互い、だね」
道端での、よく関係のわからないふたりの長い立ち話。
さすがに、瀬戸さんと相田さんが気がついて、こちらをうかがうように見ている。
そろそろ、潮時だ。
「田辺さん、結構、鋭いですね」
「それも、お互い、だ」
ふたりで瞳を合わせて、くすっと笑う。
「これで、お会いするの最後でしょうか」
彼は、ふわっと右手を上げて、体をひるがえして、
「かな? あとは、任せた」
私は見送りながら、なんとなく、袖を鼻に持っていって香水の香りが服につかなかったか、確認してしまった。




