最終話
「……どないする。下りて探すか……」
腕組みをし、眉を顰めてひとりが言った。
「そうまですることはない」
「幸政は、生かして連れてこいと……」
頭目が崖下を透かすように覗き込んだ。
崖と言ってもむき出しの岩肌ではなく、そこここに木や下草も茂っている。陽が翳り一帯が暗くなって来たこともあり、枝葉に遮られて川面はほとんど見えなかった。
「じきに嵐になる。そんなときにこの崖を下りられるか。こっちの身が危ないわ」
「よもや飛び降りるとはな」
違う男の言葉に、別の男が応えた。
「あの幸政の前に引っ立てられることを思うてみい。吾がとてごめんや」
「あの傷で下まで落ちたなら、どうせお陀仏や。どこぞに運よう引っかかったとしても、あの腕では上がってはこれんやろ……」
そう言いながらも男達は未練ありげであったが、やがてあきらめたか踵を返した。その時である。
「獲物を嬲るのに夢中になって、止めを差す前に逃げられたか。そこらの野狐やあるまいし、ツメが甘いのう」
どこからか嘲るような声が響いた。
びりっ、と、男達の体が見た目にもわかるほどに緊張した。
「何を驚いとるのや。うぬら、先の遣り合いを笑いながら見とったのやろうが。同じことをされたからとて、何を驚くことがある」
男達は微動だにしない。だが五感を研ぎ澄ませ、必死に辺りを探っているのは間違いなかった。
「何者や……姿を見せえ」
「アホか」
低く押し出すような頭目の言葉を、声は一蹴した。
「何しにわざわざ顔を見せたらなならん。そないにわしらの顔を拝みたいなら、うぬらで探してみたらどないや」
そう言うと、調子を変えて声が続けた。
「うぬらの訛り、雑賀の衆と見た」
「…………」
かすかな動揺が、さざ波のように空気を揺らす。
「何の縁であの幸政に肩入れする? うぬらの腕なら、もちっとましな主も見つけられように」
声音にはわずかに嘲笑が含まれていた。男達の四肢が緊張を増していく。姿は全く見えないが、いつの間にか複数の気配が男達を取り囲んでいる。
男達の背後は崖、姿の見えぬ敵に対し、形勢は圧倒的に不利であった。
「……先の小僧はおまんらの仲間か」
「そのことよ」
今度は声は明らかに笑っていた。
「あれは今では袂を分かったが、かつては確かにわれらの一員。それをああも面白半分に嬲られては、われらもいささか気が悪い。昔の誼や、あれの借りは、代わりにわれらが返してやろう」
「べらべらとよう回る舌やの……今何を言うたか、自分でわかったあるのか」
そう言いながら、頭目の掌はべったりと脂汗に濡れてきた。
「ふは……」
頭目の心の裡を読んだか、声がまた笑った。
「うぬらはこれより冥土に赴く身、土産のひとつも持たせてやろうと思うてな」
「ああ……!」
緊張を破り、男のうちのひとりが駆け出した。
ちいっ、と頭目は呻いた。
もはやこれまで。他の男達も、釣られたかのように未だ見えぬ敵に向かっていった。先の男が刀と見えた得物を打ち振る。それは倍の長さに伸びた。男はその長巻を振り回したが、切っ先はむなしく草の葉を刈るのみである。
ぎゅう……っ、という、人のものとも思えぬ声が上がった。長巻を振り回していた男が力を失い、倒れる。その喉には、先刻男達が打った棒手裏剣が突き立っていた。
一旦は散りかけた男達が、また一箇所へと固まった。
「なんでや……てきゃらなんで姿を見せん……」
ひとりが呻くように呟く。この野っ原に、身を隠すところなどない筈なのに──ましてや複数が──。男達の目には、あからさまな恐怖が浮かんでいた。
手下の怖じ気に、頭目は歯噛みしながらも忙しく頭を廻らせていた。どう考えてもこれはおかしい。自分たちとて数多の修羅場を潜ってきた手練れではないか。こうもあっけなく、嵌められるなどあり得ない……。
「くっ……!」
かすかな気配を捉え、頭目が手裏剣を打った。がつっ、と手応えが返ってきた。
草むらからぬうっと木棒が立った。そこには手裏剣が刺さっている。そしてその棒を握った右手が現れた。
「ほう……。思てたよりは、やるな」
最後に男が立ち上がった。野良着姿の細身の男である。言葉とは裏腹に、精悍な頬に浮かべた笑みも余裕綽々の表情であった。
「…………」
頭目は眉を顰めた。傍らの男が手裏剣を打つ。眼前の男は微動だにせず、どこからか飛んできた別の手裏剣がそれをはじき飛ばした。
「おまん、何者や……誰に雇われた──」
頭目は最初の問いをまたくり返した。
「土産がひとつでは不足か?」
男は不敵に笑うと応えた。
「まあええ。うぬらとてどこの誰に討たれたかもわからんでは、悔しゅうて三途の川も渡れまい」
ぐあ、と、また呻き声が上がった。どさりと倒れる音。獣じみた呻き声が途切れないのは、どうやら死に損なったらしい。だが頭目は振り返ろうともしなかった。その目は眼前の男に釘付けである。
「われらは黒髪組。雨宮知徳が隠し刀よ」
「雨宮……知徳、やと……?」
頭目の表情が歪んだ。
「雨宮の……、ほんなら、やっぱり……」
「何を勘違いしとるのやら」
男がまた笑った。
「兄弟喧嘩などわれらは心底どうでもええ。そやけど雨宮の姫様は守らにゃならんからな。幸隆はそのついでや」
言うなり男は前へ出た。手にした棒が、頭目の腹を目指して突き出される。頭目は手にした刀でそれを切り上げた。次の刹那。ふたりの男が交差した。
「ぐう……っ」
呻き声と共に頭目が腹を押さえ、膝をつく。
充三の左手には、諸刃の短刀が握られている。それを瞬きする間に右手に逆手に持ち替えると、充三は頭目の首筋を掻き切った。鮮血が噴き上がる。それを合図にしたかのように四方から手裏剣が飛んだ。
一帯は阿鼻叫喚の地獄と化した。見えぬ輪に囲い込まれ、男達は先刻自分たちがして見せたままに嬲り物となったのである。「借りは返す」、その言葉を村衆はきっちりと遂行した。
殺戮を終え男達の死体を崖から投げ捨てながら、ひとりが
「充三」
と、声をかけてきた。
「相変わらず、おまえの術はたいしたもんよの」
充三は足元に転がった頭目の死体に目を移し、ふん……、と鼻で笑った。
「造作もない……」
そう吐き出し、それを蹴り落とす。
「於仁丸は……」
別のひとりが低く呟いた。充三はほんの少しの沈黙のあと、
「放っておけ。あやつらも言うとったやろう」
と応え、続けて言った。
「あの傷でここから下まで落ちたんなら、探し出してもどうせ助からん。もしあれがどうにかして生き延びたなら」
そこまで言うと、充三はかすかに口元を歪めた。
「放っといても向こうから来る……わしらが手間をかけるまでもないわ」
充三のわずかな目の動きに応じ、村衆は無言で次々に姿を消した。
用が終われば長居は無用だ。空は一層暗く重く、雲はとぐろを巻き、風は先とは打って変わって鋭く冷たい。野分である。遠く雷鳴が轟いていた。
復讐鬼/了
ようやく二部完結いたしました。
何度も長期休載を挟みながらのだらだら連載、ここまで見捨てずおつきあいくださった皆様に万謝申し上げます。
もう少し簡潔にまとめるつもりだったのですが、プロットの緩さもあり、えらく長くなってしまいました。
ちょっと終わりが……^^; 思いの外血なまぐさくなってしまったのですが、これも3部へのイントロということで^^;
批評感想等、ぜひお聞かせ下さい。よろしくお願いいたします。
3部は来年、年が明けてから再開予定です。
再び優しく明るい於仁丸をお目にかけたい所存です。どうぞお楽しみに(^-^
2010.9.26 あんのーん拝