27
影──於仁丸を取り囲んだ侍は五人。見た限りでは極めて平静で、すでに朋輩を何人か殺している於仁丸に対し、特段の感情も持っていない様子である。
「うぬがあそこで動くとは思わなんだぞ。国境を越えれば後は山道、うぬにもその方が都合が良かったろうに」
侍のひとりが頬を歪めて笑うと言った。
「あてが外れたわ……うぬを始末し、ついでに佐竹にも貸しとしてやろうと思うたにな。まさか佐竹に憚って、こないな野っ原で仕掛けてきたというのやあるまいな」
侍の言う通り、さほど広くはないが開けた場所である。木はまばらに生えているが、身を隠すに充分とは言えぬ。ここは山地の高台であり、崖下には川が流れていた。
「思惑が外れて残念やったな。罠でも仕掛けとったか」
険を隠さぬ声で於仁丸が応える。
「罠? 罠なら今かかったとこやろうが」
侍達が声を上げて笑った。
「どのみちうぬはもう袋の鼠や。観念せい」
「…………」
於仁丸は我知らず眉根を寄せ、奥歯を噛み締めた。
侍のなりはしていても、こやつらはこれまでの連中とは違う──。
天津幸政は戦に備えてかそれとも他の理由でか、数多の牢人を雇い入れているという。幸政と共に篝を嬲り、惨殺した近従も、元は牢人であった……そこに思いが至った時、於仁丸の心に憎悪の火が点いた。
瞬く間にそれは於仁丸の心を灼き、燃え上がった。憤怒に体が熱くなり、利き手が震え出す。
「ち……」
かすかに於仁丸が呻いた。自分でも思いもよらなかった変調である。これは、拙い──。
於仁丸と侍達が動いたのがほぼ同時、於仁丸は間合いを取ろうとしたが侍はこれを許さない。五人の動きは驚くほどに統制されており、その身のこなしは素破のものであった。
やはり焦って仕掛けるべきではなかった……。
そう後悔しても、もう遅い。風が出始めたのも拙かった。夜条は細い糸にも等しい得物である。良かれ悪しかれ、風の影響を強く受ける。一気に片をつけるもりだったから仕掛けたが、し損じた今となっては逃げきることが全てであった。
だがこやつら、おいそれとは見逃してくれそうもない──。
四方から棒手裏剣が飛んできた。いくつかは避けたが、最後に死角から放たれた手裏剣が於仁丸の腿に深々と刺さった。
「っ!」
三十匁ほどもある鉄の棒である。衝撃に於仁丸の膝が砕けた。
機を逃さず、背後からひとりが飛びかかった。於仁丸の、夜条を放とうと挙げた右手を後ろから掴み上げる。上背のある侍に飛びかかられ腕を取られたまま、於仁丸は地面に叩きつけられた。
於仁丸の背に馬乗りになった侍は手早く於仁丸の腰の短刀を引き抜くと、押さえつけていた於仁丸の利き手の甲に突き立てた。
声にならない悲鳴が上がる。短刀は薄い掌を貫き、地面に突き刺さっていた。
すかさず左腕をも掴み、侍が後ろ手に捩り上げる。再び於仁丸が呻きとも悲鳴ともつかぬ声を上げた。
「なんや、たいしことあらへんやないか。この程度の小僧にしてやられるとは、天津の侍どもも腰抜け揃いやのう」
侍の言葉に、ふたりを取り囲んだ他の侍はげらげらと笑った。件の侍も笑いながら片膝を於仁丸の背骨に抉り込み、逆手に捩り上げた腕を一層押し上げてきた。
「ぐう……っ」
食いしばった歯の間から獣じみた声が漏れる。痛みに耐えかね於仁丸の体がのけぞったが、侍は一層おのが体重をかけ、於仁丸の体と腕を押さえつけてきた。地面に串刺しにされた利き手は、体が動くせいで揺さぶられ、すでに血まみれである。
「うぬ、妙な技を遣いよるそうやな……ほやけど手が利かねばそれも叶うまい」
侍の目にも声にも、獲物を嬲る残虐な悦びがあった。
「さあ、どないしたろうか? このままゆっくりへし折るか、それともたたっ切るか。折って動かんようにした後で、指を一本づつ切り落とすのも面白かろうな」
荒い息が漏れ、於仁丸の額に脂汗が滲む。折からの突風に長い髪が乱れて舞い上がった。と、その刹那。
そのひとすじが於仁丸に馬乗りになっていた侍の喉元に、一条の黒い光となって奔った。
「この……!」
侍は反射的に於仁丸の腕を掴んでいた手を上げ、それを遮ろうとした。
「が……っ!」
悲鳴とも怒号ともつかぬ声が上がった。侍の指はことごとく飛び、次の刹那、ちぎれかけた首がぐらりと傾いだ。
「……っ!」
ざわっ、と周囲の空気が粟立つ。周りを取り囲み、にやにやと於仁丸の苦悶を眺めていた侍どもが我に返り刀を振るうそれよりも速く、於仁丸が動いた。
上半身を捩り、自由になった左腕を揮う。奔り出た黒い光が、侍どもに挑みかかる。野っ原に叫喚が谺した。斬りかかった切っ先を避け、於仁丸の体が反転した。利き手はそこを貫いた短刀もそのままに、力任せに地面からひき剥がした。
侍どもの怯む隙もあらばこそ、剣刃をかい潜り、於仁丸はおのが手の甲から引き抜いた短刀で、次々にそれらの首を掻き切った。
短刀を地面に突き立て、手招くように差し出した於仁丸の左手に、ひとすじの黒髪がまるで生き物のように巻きついていく。それはあたかも、愛しい男に寄り添い、絡みつくかのようであった。
於仁丸はおのが許へと返ってきた夜条に口づけた。
「篝……!」
小さくその名を呼ぶ。風に舞い狂う長い髪が、涙に濡れたその頬を隠した。やがて於仁丸はそのひとすじを、大事に懐にしまい込んだ。先には他人にはわからぬように髪に編み込んでいたが、今は一刻も早くこの場を去らねばならず、また両手がうまく動かない今の状態では、そもそも元通りに編むのは無理なのだ。
長い袖を引き破り、細く裂いて右手の甲、それから腿にも巻きつけ血止めをする。地面に突き立てた諸刃の短刀を引き抜くと右袖と脇の間に挟み込み血糊を拭き、腰の鞘に収めた。痛みに耐えながらのろのろと立ち上がり、その場を去ろうとした於仁丸は不穏な気配に動きを止めた。
「面白いものを見せて貰うた。小僧、なかなかやるやないか……」
振り返ると忍び装束に身を包んだ、数人の男が立っていた。それまでに気配も何もなく、まるで野っ原から湧いて出たようである。
「…………」
脂汗が額を伝った。精も根も尽きかけているのが自分でわかる。すでに傷つき、今戦いになったら生き延びるのは困難だろう。そしてそれは、もはや避けられないのだ。
頭目らしき男の口元がひきつれるように歪んだ。
「ほやけど吾がらは、同じようにはいかんぞ」
利き手に握力はなく、いまや全く役には立たない。於仁丸はなんとか左手を遣おうとしたが、わずかな動きに激痛が走った。
「うう……っ!」
思わず呻き声が出た。どうやら侍に手荒く逆手に捩られた時、関節を痛めたようである。先刻は無我夢中だったからどうにかなったようだが、一旦気持ちが落ちた今はもういけなかった。
ふっ……、と、別の男が笑う。
「所詮は半人前。よう頑張ったが、もうあかんやろ」
「つまらんのう。もうちっとは活きがええうちに料理したかったとこやが」
別のひとりが言うなり鎖鎌を揮った。なんとかそれを避けたものの、痛む足では踏ん張れない。踏鞴を踏んだところで二投目に背中を切り裂かれ、於仁丸はたまらず膝をついた。
「さきの侍、何て言うてたかいな。腕を折って指を落とす、やったか」
「それも面白いな。どのみちこれの両腕、潰さんではおけんやろ」
この場で仕留めるつもりもないのか、恐ろしいことを軽口のように叩きながら、男達は逃げるもならず、反撃もままならない於仁丸を嬲りものにし始めた。
「こやつ、よう見たら女のような顔立ちやないか」
ひとりが刀の峰を於仁丸の顎の下に差し込み、これを上げた。反撃の可能性を全く考えていない訳でもないらしく、男達は真近には近づいてこない。
屈辱と痛みに歪んだ於仁丸の、凄惨ながらも美しい顔立ちに他の男どもも気付いたらしい。
「これは確かに言われてみれば、えろう別嬪やないか」
別のひとりが笑い声を立てて言った。
「ちょうどええ。両腕を潰した後は邪魔な摩羅も切り落とすか。しおらしい娘になったら、吾がらでたっぷり可愛がったろうわい。ますますしおらしゅうなって、どこぞの殿様にええ値で売れることやろうよ」
その言葉に、他の男どももどっと下卑た笑い声を上げた。
「…………」
於仁丸は奥歯を噛み締めた。
復讐もならず、こんなところで嬲られて果てるのか──それもこれも、自分が判断を誤ったばかりに……。
痛みと絶望に意識が遠のく。新たな痛みがそれをまた現実へと引き戻す。
いや、まだだ……。
於仁丸は歯を食いしばり、消え入りそうな気力を掻き立てた。
この命が消える前にあきらめるなど許されない。この命は、篝の復讐のためのもの──。
男達は、まずは着物を剥いでやるか、などと言いながら、於仁丸を嬲った。着物はすでにずたずたに切り刻まれ、それに包まれた皮膚も同様のありさまである。体を膾に刻まれながらも、於仁丸はじりじりと這うように移動していた。ただそれは、男達には哀れな獲物の、痛みから逃れようとせんがための痙攣としか映っていなかったようである。
「く……!」
僅かに残った最後の気力と渾身の力を振り絞り、於仁丸は身を起こし駆け出すとともに左腕を振った。その先には一本の木、その向こうは崖である。
「!」
さしもの男達も、自分たちが切り刻んだ於仁丸に、そんな力がまだ残っていたとは思いもよらなかったらしい。夜条は男達が於仁丸を捉える前に木の枝に巻きつき、反動で跳んだ於仁丸はそのまま崖へと飛び込んだ。
「ちいっ!」
頭目が鋭く舌打ちする。崖へと駆け寄った男達の耳に、ばしゃん……、という、物が落ちた水音が届いた。