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※この項には残酷な表現があります。


「安心せえ、何も責め殺そうというのやないわ。客人が来るまでの、ほんの座興や」

 幸政は機嫌の良い声で言った。しかし言葉とは裏腹に、幸政の前に吊された戌郎の全身はすでに血みどろである。

 戌郎が引き立てられてきたのは、天津館の裏手の奥にある土蔵であった。侍は総じて住居が血で穢れるのを厭ったため、処罰や拷問も起居する場からは離れて為されるのが常である。ここ天津館で拷問部屋として使われていた土蔵は壁も厚く、戸をかっちりと閉めてしまえば哀れな虜囚がどれだけ断末魔の叫びを上げようと、母屋に聞こえることもなかった。

 しかし此度の囚人は、絶叫どころか呻き声すら上げぬ男であった。否、一切の声を上げ得ぬ男だったのである。

「座興」だというのはこの男──戌郎にもわかっていた。「聞きたいこと」は二の次で、本来の目的は自分を嬲ることなのだ。むろん、なんらかの情報が引き出せればなお良しという目論見もあるのだろうが、それが不可能なことは戌郎自身が知っていた。

 目の前に引き立てられてきたこの男に、幸政は最初、

「うぬが鴇姫の飼い犬か。なるほどおなごというものは、かような下賤を好むものか」

 などと言った。どうやら鴇姫が侍女ではなく下郎を伴って佐々家に輿入れしたことは、好奇の目によってそれなりに巷に知れたものらしい。

「幸隆はあの通りの朴念仁や、あの片目を掠めて戯れるなどたやすかろうな」

 戌郎は目を伏せ、頬を引き締めたままである。その表情からは、特段の感情は読み取れなかった。

「うぬを呼んだは他でもない──」

 と、幸政は続けた。

「先日、わしの手の者が無惨な殺され方をしてな。どうやら於仁丸とやらの仕業のようやが」

 そこで一旦言葉を切ると、幸政は目の前に跪かされている戌郎の表情を透かすように見た。

 そこにはむろん、何の変化もない。だが幸政は薄く笑った。全く反応がないというそのことが、逆に戌郎の胸中を晒していたのである。

「うぬもそこにおったやろう」

「…………」

 驚愕と痛恨が戌郎の心を激しく揺さぶっていた。あの時あの場に、自分たちの他にもまだいたのだ──幸政の手の者が──自分も、そしてきっと於仁丸も、それに気づかなかった……。

 顔を伏せたまま、ゆっくりと戌郎はかぶりを振った。幸政の言ったことは正しくない。戌郎が於仁丸にまみえたのは、於仁丸が三人をたおした後だったのだ。

「なんでうぬだけ殺されずにすんだのや? あれが幸隆の手駒でないなら、うぬとてあれの敵のはずよな」

 そう言いながら、幸政はかがんで戌郎を覗き込むように顔を近づけてきた。そのくせ戌郎の否定にも気づかぬ風に続けて言った。

「鴇姫も何事ものう無事や──なんでやろうな?」

 俯いたままの戌郎にも、幸政のしたり顔が見えるようであった。脂汗が額を伝った。

 無事ではなかった。自分は利き腕を落とされ、鴇姫も殺されたかも知れなかったのだ。そうならなかったのは、篝の髑髏に流した鴇姫の涙ゆえ、於仁丸が篝に免じてふたりを見逃したからに過ぎない。

 再び頭を振る。しかし幸政は、相変わらずそれを無視して言い募った。

「うぬらやはり一つ穴のむじなであろう。そう考えれば、全て辻褄が合う」

 戌郎はただ、頭を振るばかりである。他に出来ることは何もなかった。

「答えぬか──わかった」

 幸政は立ち上がった。

「裸に剥いて吊し上げろ。戌郎とやら、言うておくがおかしな真似をしてみろ、うぬの主に報いがあるからな」


 戸は閉めてあったが、小さな窓は開いていた。それでも蔵内にはむっとする熱気がこもっていた。端に置かれた火鉢に、炭が真っ赤におこしてあったためである。そこには数本の鉄棒が差し込んであった。

 四肢を大きく開き、直違すじかいの形に吊された戌郎を見ながら幸政が笑った。

「ほう……なかなかええからだをしとるやないか」

 戌郎の両足は爪先も床から離れていた。全身の傷はほぼ癒えてかさを残すのみ、全身は余分なものを削いだように引き締まり、しっかりとした骨格を支える筋肉が、縛めに抗おうとくっきりと浮き上がっている。幸政の言葉通り、若い獣のごとき強靱でしなやかな体躯であった。

「これだけの躯を持ちながら下働きの下人とは勿体なかろう。わしに仕えてみんか、ええ目を見させてやるぞ。うぬのような男には、なんぼでも使い道があるからな」

 などと言いつつ、幸政は気色の悪い手つきで戌郎の瘡を剥ぎ、全身を撫で回した。胸や腹はもとより、尻の窪みやふぐりの裏側までをもである。戌郎は奥歯を噛み締め、目を閉じて耐えた。

「さて、せっかく来て貰うたのや。ちょっとは痛い目も見て貰おうか」

 ひとしきり戌郎の肌に指を這わせた後、幸政が言った。舌舐めずりせんばかりの機嫌の良さである。獄卒が手にした笞で戌郎をしたたかに打った。

 瘡は一撃で破れ、乾ききってない傷口が再び裂けて血が流れ始めた。それは噴き出した汗と混じり、あっという間に戌郎の全身を赤く染めた。

 この笞は竹である。めったやたらに打ち据えたせいで、ささらのように割れてきた。獄卒はそれを麻縄で柄巻きにすると、再び戌郎を打ち始めた。

 麻縄の効果はてきめんで、皮膚は削り取られ、一層の血が戌郎の躯を汚した。獄卒が戌郎の胸を打った。肺から叩きだされた空気が、ひいっ、とひきつった音を立てる。続けざまに胸を打たれ、心臓が躍りはじめた。

 幸政がかすかに手を動かした。獄卒は打つのをやめた。

 縛められた躯が激しく揺れている。からっぽになった肺に、なんとか息を吸い込もうとあがいているのだ。

「ひ……っ、ひゅっ、ひゅう……っ」

 まるで「声」のように、戌郎の喉が鳴った。

「どうや、話す気になったか」

 戌郎はただ、ひっ、ひっ、と苦しげに息を継ぐのみである。うまく息を吸えないばかりでなく、激しい動悸も戌郎を苦しめていた。

「右腕の縄を解け」

 そんな戌郎を見ながら、幸政が言った。

 戌郎の両腕を縛めた縄は天井近くの横木に打ちつけられているふたつの鉄環に通し、縄尻を両脇の柱に取り付けた、同じような鉄環に結びつけてあった。その一本を獄卒が解いた。

「……っ!」

 躯が傾ぎ、左腕一本に体重がかかる。戌郎の右腕が反射的に上がった。だが縄を掴むすべもなく、手を欠いた腕はむなしく空をまさぐるのみである。

 その右腕に巻きつけてある縄を、獄卒が手荒に引っ張った。それを直接柱に結びつけ改めて固定すると、獄卒は今度は戌郎の薄く皮が張りはじめた腕の傷口を打ちはじめた。

 戌郎の躯が激しくのたうち、ついに悲鳴の形に口が開いた。だがそこからは、やはりかすかな声さえ漏れては来ない。

 奇異な光景ではあった。血の匂いが鼻をつく凄惨な拷問の場でありながら、そこにつきものの悲鳴がないのだ。呻き声すら一切ない。縄が軋み、笞が哀れな囚人を打ち据える音だけである。

「下ろしてやれ」

 戌郎は台の上に横たえられた。拷問が終わったわけではない。四肢を再び縛められ冷水を浴びせられて、意識が戻った。

「ちょっとは堪えたか」

 台の傍らに座った幸政が声をかけてきた。

「正直に話してくれたら、わしにとて情けはあるぞ」

 荒い息を継ぎながら、戌郎はわずかに首を振った。それが精一杯だった。

「叩けばたいていの人間の底は割れる……うぬもただの下人やなかろう。こんだけ責められて音を上げんのやからな」

「この男……唖では……」

 獄卒のひとりが遠慮がちに言った。幸政は戌郎の顎を掴み、そむけた顔を自分に向けさせた。

「わしを見ろ、戌郎。なんでわしを見ん? 口が利けんでも、哀れっぽい目でわしにすがることくらいはできようが」

「…………」

 戌郎は目を閉じた。

「ふん……」

 嘲るように鼻で笑い、幸政は立ち上がった。

「せっかく塞がりかけとった傷が開いてしもうたな。──血止めをしてやれ。そこのこてで、しっかりとな」

 恐怖から逃れようと、我知らず身体があがいた。だが縛めが解けるはずもない──。

 鏝が戌郎の右腕に近づいた。そこは先刻の笞撃で肉ははぜ、血まみれになっていた。さながら叩き潰された、熟れたざくろである。空気の動きにさえ痛みを感じる。鏝を押し当てられる前から、過敏になったそこは熱気に焙られ、激痛を訴えている。

 戌郎の躯が跳ね上がった。固く目を閉じた表情が苦痛と恐怖に歪む。獄卒は聞こえるはずのない絶叫を聞いた気がした。

 焼けた鏝が押しつけられた所からは、薄い煙が上がっている。のたうつ四肢に食い込んだ縄は、一層強く囚人の手足を締めつけていく。

 執拗に押しつけていた鏝を、獄卒がようやく離した。赤く熾っていた鏝はもう本来の色に戻っている。獄卒はそれを火鉢に押し込むと、別の鏝を手に取った。獄卒は、それを今度は血を流している腹の傷に押しつけた。戌郎の躯が再びのけぞった。

 笞打が骨身に堪える衝撃なら、これは脳髄をかき回す、狂わんばかりの恐怖であった。笞の痛みには耐えられても、肉を焼かれる苦痛には頭の中が真っ白になった。

 何度も冷水を浴びせられ、正気に戻ったところをまた焼かれる。戌郎の心も今や焼き切れんばかりであった。その時。

 侍がやって来て、何やら耳打ちした。幸政は唇を歪めると言った。

「通せ」


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