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19

 次の日の朝のことである。佐々屋敷に門付けの僧があった。見れば法衣も破れ汚れ放題で、使用人はひそかに眉を顰めたが、鴇姫は女房に命じて台所の残り物を持ってこさせ、

「こんなものしか差し上げられず、申し訳ありませぬ」

 と言いながら、鉢によそってやった。

 礼を述べながら、

「奥方さま、何やら心配事があるのではございませんか。拙僧、微力ながらお役に立てるやも知れませぬ」

 囁くように乞食坊主が言った。鴇姫はふと何かに気づいたように目を上げた。

 目深に被った笠を、坊主がわずかに持ち上げた。口の端が、親しげにゆるく持ち上がっている。

「────」

 鴇姫は一瞬目を見張ったが、すぐにまた視線を落とすと低い声で答えた。

「実は……怪我人が伏せっておりまして……。傷がひどうて、どうにかしてやれんかと……」

「それはさぞかしご心配なことでしょう」

 坊主は気遣うように言った。

大谿だいけい寺をご存じですかな? あそこはよう賑わっとって物売りも多いが、その中によう当たる八卦見がおりましてな」

「…………」

「この男の作る膏薬が、殊の外よう効くそうです。膏薬作りは門外のことにて、特に売り物にはしてへんのやが──」

「お坊さま……」

「誰か使いをやって、怪我人のことを占うて貰うたらよろしい。きっと膏薬も分けて貰えましょう」

「ありがとうございます」

 鴇姫は頭を下げた。坊主も一礼して去ると、鴇姫は真信を呼んだ。

「お呼びですか?」

「忙しゅうしとるところをすまんが、使いをお願いしたいのです」

「はい」

 と真信は穏やかに答えた。出来るだけ、この傷心の女主人の力になりたかった。

「どこへなりともお申し付けください」

「そなた、大谿寺を知っておろう。そこによう当たる八卦見がおるそうや」

「八卦見……ですか?」

 真信は怪訝な表情になった。

「すまぬが行って、戌郎のこと占うてもろてきておくれ。その男、よう効く薬も作りおるそうや。それも分けて貰えるよう、頼んでみておくれ」

 真信にもようやく鴇姫の本意が知れた。真信は笑みを浮かべると、

「わかりました。すぐに行って参ります」

 としっかりと言った。


 大谿寺は天津の中心よりは雨宮の領地に近く、この頃にはおおいに栄えた寺であった。

 参道には数多の物売りが座りおり、参詣者に声をかけたり袖を引いたりしている。真信はぶらぶらと物見遊山を装いつつ、目当ての者を探して歩いていた。

「お侍さん──」

 参道からは少し離れたところから、声をかける者があった。真信は立ち止まり、声の主を見た。

 粗末な単を着込んだ小さな男だ。腰には煮しめたような色の包みを結びつけて筵の上に座り、膝前には算木が積んである。菅笠を被り、面体はわからなかった。

なんやら心配事でもおありかね。わしの占いはよう当たるよ」

「…………」

 真信は用心深く、だが何気ないそぶりで男に近づいた。

「屈託があるように見えるか?」

「おお。大ありやろ。顔に書いてある」

 そう言うと男は懐から何やら掴み出し、手の中で振り始めた。真信はその様子をしばらく黙って見ていたが、やがて言った。

「怪我人が出てな……助かるかどうか、お方さまがたいそう気に病んでおられる」

「ほう。その怪我人というのは、お侍さんの主か何かか」

「……そうや。それでわしも心配で、こうしておぬしに見て貰う気にもなったという次第や」

「ふうん」

 男の気のなさそうな声が応えた。

「大事なおひとや。死なせるわけにはいかんのや」

「…………」

 男は占いに没入し始めたようだ。もう黙って応えず、無心に手の中のものを振っている。やがて投げたそれを見ると、小さな賽子さいころであった。それを見、算木をひとつ取って並べては、また同じことを繰り返す。そうやって算木を並べ終えると卦を読んでいるのだろう、しばらく考え込む風だったがやがて言った。

別状べっちょない、その怪我人は助かるわ。お侍さんがその怪我人をなくす卦は出てへんからな。もしかしたらお侍さんより長生きするかも知れん」

 男の言葉に、真信は我知らず息をついた。最後の言葉は耳にも入らなかった。

「それよりも……」

「? なんや?」

 聞き返した真信に、男はなんでもない、という素振りで賽子を懐にしまうと、代わりに腰の包みを解き中から片手に乗るほどの大きさの壷を取り出した。

「これをやるわ。よう効くぞ。それから」

 と、再び中身をまさぐり、今度は布包みを引っ張り出してきた。

「これも持ってったらええ。大怪我したんやったら血も沢山ようさん流したやろ。血が足らんと治るものも治らんでな。これを粉にしてな、湯に溶かして怪我人に飲ませたれ。たっぷりとな」

 真信はかすかに眉を寄せた。

「怪我人に水を飲ませてもええのか?」

「怪我人でのうても、水を飲まな死ぬやろが」

 男は笑ったようだった。真信は鼻白んだが、それはおくびにも出さず、

「かたじけない、恩に着る……見料はなんぼや」

 と、受け取ったものを持参の布に包みながら訊ねた。

「そうやな……一貫文でも貰うとこか」

「一貫文だと?」

 一貫文といえば、米が一石ほども買える値段である。思わず真信は気色ばみ、聞き返した。

「見料と膏薬、それに薬湯も“込み”や、安いもんやろが」

 男はしゃあしゃあと言ってのけた。真信は不快をあからさまにしたが、受け取ったものを突き返すことも出来ず、また、目の前の男を切り捨て品を奪うことも、背を向け逃げることも出来ぬ以上は交渉するしかない、と思い定めた。何より真信は、己れを使いに遣った鴇姫の面目を考えたのである。

「今はこれだけしかない」

 真信は百文ほどの束を男の前に置いた。

「これではな……」

 そう言う男の、笠の中の表情を透かし見るようにしながら、真信は懐から巾着を取り出し、口を緩めて掌の上で逆さに振った。砂金がいくつぶかこぼれ出た。

 銭に換算して、四、五百文といったところである。

「これはどうも、言うてみるもんやな」

 先刻とは打って変わった、上機嫌な声である。真信は砂金の粒を、差し出した男の掌に乗せてやった。

「お侍さん、あんたも気のええおひとやな。言うちゃなんやが、そんなんでべっちょないんかいな……悪いのに騙されんようにしいや」

 そう言いながら男は荷物を再び包むと腰に結わえ、無視して立ち去ろうとしていた真信に続けた。

「気分よう見料払うて貰たんや、もうひとつ教えたるわ。あんたのほんまの主人のことや」

 ぴり……っ、と、真信の周囲の空気が微かに動いた。真信は立ち止まった。

「争乱の卦が出とる……戦になるな。これは避けられん。あんたの主人は人を見る目はあるようやが……」

 男はここで一旦言葉を切った。ほんの少しの沈黙の後、

「よう気をつけることや。勝ち目はあっても、機を読み間違えたら命を落とすことにもなるからな」

 と続けた。真信は黙ったまま、再び歩き始めた。



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