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 ひとりの小柄な男が立っている。まだ幼さの残る、女のような面立ちの少年だ。色褪せたひとえに同じく粗末な山袴というなりをしたそれは、旅の途中なのか背中に包みを背負っていた。

「……!」

 名を呼びそうになったのを、鴇姫は慌てて堪えた。

「なんや……きさま」

 駕籠舁きは相手を半人前の若造と見、侮るような表情で言ったが、透かすようにその男を見ていた使いの口から、あっ、という声が上がった。

「於仁丸……!」

 駕籠舁きの表情も一瞬で引き締まった。去年、於仁丸は寺で行きあった幸政の配下のうち、自分を追ってきた者を全て殺している。於仁丸の顔を見知っていたということは、使いはその時幸政の側に残った者のひとりと見えた。

「……ほう。わしの名を知っとるのか」

 於仁丸のかたちのよい唇の端がひきつれたように上がった。

「うぬら幸政の手の者やな……こないなところで行きあうとは、ここでわしと遭うたが身の不幸と思え」

 男達は一斉に刀を鞘から抜き払った。

「ぬかせ……! うぬの素っ首、叩き落として手土産にしてくれるわ」

 駕籠舁きの得物は息杖と見えた仕込み刀である。一方於仁丸は得物も取らず両手をだらりと下げたまま、無防備に突っ立っているだけだ。無造作に落ちかかる長い前髪が、その表情を隠している。単の袖がやたらに長く、於仁丸の指先までを隠しているのが奇異といえば奇異であった。

「侮るな……こやつ、妙な技を遣いおるらしい───」

 じりっ、と間合いをはかりながら、男が己れにも言い聞かせるかのように言った。

「夜条が技、見たいか?」

 そう言って、にっとしろい歯を見せ笑うが早いか於仁丸の両手が動いた。

「ぁあ!」

 駕籠舁きのひとりが頓狂な声を上げた。己が得物が、いきなり勝手に隣に立っていた朋輩の胴を薙いだのだ。

「きさま……な……、何を……」

 腹を押さえ、がくっと膝をついた男が、驚きと恐怖にみちた目で自分を切った者を見上げた。切った当人の目にも、同じ色が浮かんでいる。慌てて刀を引こうとした時、於仁丸の腕、そして長い袖に隠された指がまた動いた。

 ずぶり……、と、刀が駕籠舁きの腹に一層食い込んだ。それを握った、もうひとりの右手からも血が噴き出していた。

「きええっ!」

 叫ぶや使いの男が空で刀を振るった。於仁丸は飛びすさり、弾かれたようにふたりの駕籠舁きがのけぞった。

 鴇姫は見た。幾条もの黒い光が於仁丸の手元からはしり出、また吸い寄せられるのを。

 腹を押さえ蹲った男はまだ動いてはいたものの、力はもう尽きていた。於仁丸は刀を八双に構えた使いの男と睨みあっている。もうひとりの駕籠舁きは刀を握ってはいるが、その腕はすでに血まみれであった。駕籠舁きは左腕で腰から何かを掴み出すと於仁丸めがけてそれを撃った。駕籠舁きを見もせず、ただ於仁丸の腕だけが煽るように動いたかと思うと、反転したそれが駕籠舁きの眉間に突き刺さった。

 於仁丸が動いたと見るや、男が斬りかかった。於仁丸は大きく体をしならせてそれを避けた。男が白刃を閃かせ、於仁丸がまたこれを避ける。まるで舞でも舞っているかのようだったが、この舞に優美さはなく、舞台となった野っ原にも、舞手の命を削りとらんとする禍々しさが満ちていた。

 男が刀を払った刹那、於仁丸が軽々と飛んだ。男の刃が、於仁丸のいたはずの場所にあった、手裏剣が眉間に刺さったままの首を刎ね飛ばした。

「ぐうっ……!」

 呆然とへたり込んだまま、荒々しい舞から目を背けることも出来ずにいた鴇姫は、突然後ろから喉元を締め上げるようにして立たされた。我知らず、踏み潰された蛙のような呻き声が漏れる。

 男は対峙した於仁丸から自分の体を隠すように、鴇姫を前面に押し出していた。首を力任せに締め上げられ、身動きどころか呼吸さえままならない鴇姫には、そのせいで男の悪鬼の如き形相は見えなかった。

 は……っ、と於仁丸が鼻で笑った。

「何のマネや? その女御が楯になるとでも思うたか。それはわしにとっては仇の嫁やぞ」

 男の、そして鴇姫の顔色も変わった。

 男の腕に一層の力がこもった瞬間、鴇姫が隠し持っていた簪を、渾身の力でその腕に突き立てた。

「この……っ! あまあぁあ!」

 怒号とともに男の手にした白刃が閃いた時、絶叫が上がった。女の悲鳴ではない。男の野太い咆哮である。

 刀を握ったままの、男の右手がぼとりと落ちた。於仁丸はすでに男の懐にあり、鴇姫を突き飛ばすが早いか腰の山刀ウメガイを抜き払い、男の喉笛を掻き切った。

 噴き出した血が於仁丸を、そして手をついたまま振り返った鴇姫をも汚した。端正なかおを血で彩り風に長い髪を舞い踊らせ、なまぐさい死の匂いを一身に纏ってひとり立つ於仁丸の姿は、まさにひとならぬ修羅の住人のそれであった。

「お……、於仁丸……」

 しばらくの後、ようやく鴇姫が口を開いた。その声は硬く、震えていた。

「於仁丸……わたくしを、助けてくれたのか……?」

 於仁丸が鴇姫を一瞥した。冷ややかな視線に背筋が凍る。

 これがあの於仁丸か……

 村で会った時、また雨宮屋敷まで出向いて来た時も、於仁丸は快活な明るい少年だった。その表情に曇りはなく、自信と確信に溢れた、温かな目をしていた。篝とともにいる時、そしてその名を語る時の於仁丸の、初々しくさくら色に染まった頬の輝きを、鴇姫は美しい……と感じていた。

 しかるに今、目の前にいる於仁丸はどうだ……

 女と見紛みまがう美貌は変わってはいない。だがそれゆえに、頬もそげくらくきつくゆがんだ表情が、いっそう禍々しく無惨に見えた。怒りに燃え立つ瞳の狂気すら孕んだ煌めきに、鴇姫は思わず目を伏せた。

「お久しゅうございます、鴇様」

 そう言った声もまるで別人だった。

 ひどく潰れた低いそれもまた、凍るように冷たかった。

「……於仁丸……」

 鴇姫は俯いたまま、わななく声で再び名を呼んだ。

「幸隆様を仇と言うたな……殺すか……幸隆様を……。このわたくしも……」

「…………」

 於仁丸は空を見上げた。先にはなかった隼の影がそこに舞っている。

 戌郎が来るか───。

 そう思った刹那。

 どこからか飛んできた短刀が於仁丸の肩先をかすめた。続けざまに手裏剣が、二投。最後の一投が身をかわした於仁丸の背をかすめ、荷を包んでいた布を裂いた。丸い包みが於仁丸の足元に転がり落ちた。


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