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大変ご無沙汰しております。安穏です。
こんなに長く休載するつもりはなかったのですが、あっという間に1年経ってしまいましたorz
さすがにトップページから
「この連載小説は未完結のまま約1年以上の間、更新されていません。
今後、次話投稿されない可能性が高いです。ご注意下さい。」
はなかろうと思い、ほとんどイイワケではありますが、ちょこっと更新してみました。
トップでご案内している通り、恋恋記の更新優先は変わりませんが、今後はもう少しだけでも、まともに更新したいと思います。
最後になりましたが、このように長い間ほったらかしていた拙作を、忘れずにお訪ね下さった皆様に万謝を捧げます。
ありがとうございました。
於仁丸と幸政がはじめて対峙したかの寺で、天津の先代の法要が営まれたのは春の終わりのことである。鴇姫が天津幸政にはじめて見えたのは、実にこの時であった。
もともと先代は隠居して後は、病を理由に臣下に姿を見せることもなくなっていた。先の村上氏攻めの頃に身罷ったのを、戦のさなかゆえごく一部の近臣以外には伏せ置いたということであり、むろん幸隆には先代の死ははじめて聞く話であった。
参列した者の中には幼い頃から見知った顔もあり、そうしたひとりに幸隆は、先代の死を知っていたか、と訊ねてみた。
「わしは存じ上げませなんだが、密葬に参列したという者が身近におりましてな」
と、老人が答えた。
「わしも先ほど聞いたのですが、長患いのせいでか痩せてすっかり面差しも変わられて、たいそう痛ましゅうござったと申しておりました……それにしても」
老人は一旦言いかけた言葉を呑み込んだ。
「どうかなされましたか」
「……いえ」
そう言ってちょっと笑うと、
「我らのような年寄りは、もう殿には必要ないのでしょうな。何も言うては下さらぬわ」
と続けた。
では、と去ってゆくその後ろ姿を見送る幸隆に、声をかける者があった。
「来ておったのか」
幸隆は表情を和ませた。そこにいたのは鴇姫と真信である。戌郎の姿はなかったが、鴇姫がこの場にいる以上、これもおそらく近くにいるはずだ。
殿の手の者と行きあわねばよいが……と、幸隆はふと思ったが、ふたりは幸隆の懸念には全く気づいていないようであった。
「先ほどの方は石田様でございますか。……随分とお年を召されたような」
真信が言った。
「大殿に旧うからお仕えしとったお方やが、此度のことご存じなかったらしい……。殿が何も言うて下さらぬと寂しそうにしておられた」
「……殿のやりようには、私もどうかと思わずにおられませぬ。此度のこと……いくら佐々家に下ったとしても幸隆様は大殿のお子、殿には弟君ではありませぬか。それを──」
「口を慎め、生田」
幸隆が短く低く、だが厳しい声で叱した。鴇姫も不安げにふたりを見ている。何かに気づいたように、申し訳ありませぬ、と真信が口の中で詫びた。
戌郎は三人にほど近い楠の樹上にいた。今日の戌郎は常と違い、頭巾と忍び装束で面と身を隠している。むろんこれは人目を憚ったのではなく、幸政方の間者に見咎められることを厭ったためであった。
三人、そして幸隆と石田という老臣との会話は聞こえなかったが、その内容についてはすでに他所で探って知っている。
それ以前に戌郎は、先代がすでに去年のうちにこの世を去ったことを知っていた。跡目相続の際、幸政に毒殺されたのだ。それは隠居の前か後か……いずれにせよ、その後長く病床に伏せっていたという先代は影で間違いない。此度の法要は、それもとうとう、殺されたということだ。
噂に違わぬ、ねちっこいやり方だ……と考えたところで三人に近づく者を目の端に捉え、戌郎の頬はさっと緊張した。
「幸隆」
と、声をかけてきたのは幸政であった。
「たいそう美しい女御を連れておるやないか。もしかして、そのほうが雨宮から来たという嫁御か」
「……は」
幸隆はかすかに頭を垂れた。
「鴇でございます。……鴇、殿や。ご挨拶いたせ」
言われる間もなく、鴇姫が深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります、鴇と申します。不束者にございますが、どうぞよろしゅうお願い申し上げます」
声が微かに震えている。
このひとが主君にして愛する夫、幸隆の実兄──。
まるで似ていないふたりだった。確かに面差しは似ている気がする。存外に我の強そうな顎の線も同じなら切れ長の目元も同じ、声も似ている。だが身に纏った雰囲気はまるで違い、その顔に浮かべた表情も全く違う。何より鴇姫には、幸政の獲物を狙う蛇のような視線が耐え難かった。
そうだ、蛇だ。ちろちろと舌を出しながら、瞬きもせずに獲物を追いつめる冷たい生き物──その幸政に見つめられ、上げ得ずにいる鴇姫の額に脂汗が滲んできた。
「何もそう固うなることはない。面を上げよ」
幸政が機嫌よくそう言った。
「……はい」
顔を上げようとしたその時、ちらりと幸政の左手が目に入った。それは赤黒くまだらに変色し、指の数本が全部、あるいは途中から欠けていて、鴇姫は突然せり上がってきた吐き気を懸命に抑えた。
異形が恐ろしかったのではない。その左手が篝に何をしたか、それを思ったせいだ。
「鴇様、お顔の色がいささか悪うございます。お疲れになったのでは……?」
真信が気遣うように言った。
「……はい。申し訳ございませぬ……普段あまり外に出ることもないものですから、この人出に当たったやも知れません……」
真信の機転に気づいた鴇姫がそう答えると、幸政は気分を害したふうもなく、
「それはいかんな。生田、木陰へでも連れていって休ませてやるがよい」と言った。
頭を下げ、遠ざかるふたりを見送って幸政が言った。
「おぬし、見た目からは思いもよらぬ色男ぶりやな」
「……仰る意味を量りかねます」
「気づいておらんのか? 生田め、おぬしをまんざらでもない表情で見ておったわ……雨宮の姫のみならず、あの生田も手に入れたのか」
「生田はもともと佐々家の扈従、手に入れるも何もございませぬ」
ふん、と幸政は嘲るように鼻で笑った。
「おぬしあれとおぬしの義父、佐々兼嗣の間柄を知らんのか。兼嗣は稚児やった生田に懸想して、あれを環俗させたんやぞ。寺で生臭坊主どもに仕込まれた手管は、さぞかし兼嗣を狂わせたことやろうな」
「…………」
「おぬしはもう、あれを味おうたか」
「私にはその道はわかりませぬ」
そっけなく幸隆が答えた。
「無粋なやつ」
幸政は笑うと踵を返した。
「まあええ。嫁御にはそのうち館へ遊びに来いと伝えておけ。なかなかの美人や、気に入った。わしがじきじきに可愛がってやるとな」
幸隆の頬がきり、と引き締まった。一瞬、幸政の背中を見つめる隻眼に激情が溢れた。だが次の刹那目を伏せると幸隆も踵を返し、木陰の鴇姫と真信の許へと歩き出した。