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クラティア特殊部隊『マーズ』の参戦により、戦場の様相は一変していた。一方的に攻撃を受けるだけだった自衛隊の面々は、生き残ったクレイトスと歩兵を集め、さらに後方へと避難するだけの猶予が生まれたのだ。もはやクレイトスの一撃も効かないと判断された今、彼らが展開していることには何ら意味が無い。早々に現場の最高権限はマーズの隊長である藤波正義に移行し、その命で全部隊はマーズに属する五人よりも五百メートル以上に後方待機となった。
悠長にも礼を言って去っていく元現場指揮官の男を見据え、藤波は視線を前方へと戻す。
クレイトスが下がるたびに鳴り響く地響きすらも上回る、夜闇を切り裂く轟音がある。それは大砲と言う兵器に属するものではなく、ただ単純な拳打の音。互いの拳が打ち合わされ、そのたびに衝撃波が地面を抉り、空気を圧して音を鳴り響かせる。そこにあるのは、もはや人間同士の戦いではない。共に怪物、人の身を超えた鬼と、そもそもが人の身より外れている悪魔の闘争に他ならない。
大災のクラティア――天魔。
クラティア特殊部隊、コードネーム『オウガ』――九鬼神功。
共に超常の力を宿す二人が、爆発的な魔力を叩きつけて原始的な殴り合いを繰り広げている。その中で瞬くのは、空を呑み込むほどの黒喰の魔力と、それすらも燃やし尽くそうと猛る赤銅色の魔力である。
そんな様子を眺め、そこにいた最も常識的な思考を持つ女性、近衛一美は頭を抱えた。チラッと見据えた先で再度一騎打ちの殴り合いに講じている神功の姿を認め、ため息を吐く。もはや彼女にとっては見慣れた彼の姿に、しかし言っても言っても言い足りない文句だけはしっかりと口にする。
「ほんっとに、あのバカ。なんでいっつもいっつも誰かと組んでること忘れて一直線に向かってくかなぁ!」
その能力の特性上、単独任務の多いマーズの中でも比較的他者と組み、神功とも接する機会の多い彼女の当然の文句に対し、答えたのはその隣に立つ口を真一文字に結んだ男だった。何故か瞳孔の開ききったその男は、眼球が乾かないのか、ずっと瞬きをしていない。その両の眼で激闘を繰り広げる両者を眺め、いつもと同じ言葉を繰り返す。
「うむ、その通り」
これである。
またも近衛は頭を抱え、そんな変わり者の同僚、黒木大助に呆れ果てる。人の話を聞いているのかいないのか、仮にも近衛にとっては後輩に当たる男だが、その真意は判然としない。
そんな二人の様子を豪快に笑い、神功の様を許容する男がもう一人。彼らマーズを束ねる隊長である藤波は、この荒れ狂う戦場の雰囲気はどこへやら、どこまでも活力に満ち満ちた表情で近衛の背中を叩く。
「まぁまぁ、気にするな! どうせ奴も力の差を理解して戻ってくる」
暢気に隊長がそんなことを言うものだから、その場にいる近衛を除いて緊迫感を抱かない。そう、そこに残った誰も。何故かキャンディーを加え、この夏の時期にパーカーを羽織り、男物のズボンを履いたプラチナブロンドが美しい小さな少女さえも。
その視線が近衛と重なる。何とも小さいのに気だるげな瞳をした少女である。年の頃は十二、三歳くらいだろうか。あれほどの状況を見ても落ち着いてるのは驚くべきことだが、それよりも近衛には、この少女について藤波に聞きたいことがある。
「っていうか隊長! どうしてこんな危険な場所に小さな女の子がいるんですかっ!?」
その当然の叫びに、しかしその少女――桜庭恋は馬鹿にされたとでも思ったのか、咥えていたキャンディーを口から離すと、ボソッと一言だけ呟いた。
「胸がでけぇってこと一々アピールしてんじゃねーよ。逆セクハラかよ」
「胸の話なんてしてないよ! って、何この子!? すっごい口悪いんですけどッ!!」
言いながら、その豊満な胸を隠す近衛。マーズに支給されている防護服が余りに身体にフィットしているためにはっきりと分かってしまうそれに若干頬を赤らめながら、彼女は恋の態度の悪さに目を剥く。実はこの二人、今日が初対面であり、さらに言えば、近衛は事前に恋の存在を知らせていなかったのである。そもそもがバラバラに行動していたために現地集合となった五人であり、大まかな作戦概要や事件の顛末は追っているものの、未だ正しく事態を把握しているかと言うとそうではない。突如として国家安全対策室室長から緊急を要する任務だと言われて現場に赴き、そこで彼女は初めて恋を見たのだ。
「こいつは俺の秘蔵っ子だ。後一、二年もすりゃマーズの一角を担うようになる。ここらででっかい事件に当たらせて経験積ませとくのもありかと思ってな」
「事件がでっか過ぎるでしょう!! クラティア災害ですよ!? 子供のお遊戯じゃないんですよッ!!」
「うむ、その通り」
「キミはそれ以外言葉を知らないのかっ!!」
連続で叫んではぁはぁと肩で息をする近衛は、そのたびにその胸を揺らす。それを見た恋があからさまに睨みつけ、チッ、と吐き捨てるように舌打ちした。その様子を眺め、近衛は思う。
ああ、この子も同じだぁ、と。
元々、マーズと言うのは並み居るクラティアの中でも優秀な力を持った実力者の集まりだ。当然、個々人の思想や思考は全く別物であり、その力も異なっているために人生を己が力一つで切り抜けてきたタイプが多い。それが災いしたのか、日本最強などとは銘打たれてはいるものの、そこにあるのは日本一纏まりにかける、最も乱れた『最狂』部隊だ。単独任務が主体なんじゃない、と近衛は文句を内心で口にする。ここにいる変わり者三人プラス天魔と殴りあっている神功含めた四人全員、仲間と連携して戦うなんて言う殊勝なことが出来ないだけである。
(ほんと……なんで、なんでこんな人たちが一美の仲間に……)
近衛一美、二十三歳。マーズに入隊したのは約五年前のことだが、元々彼女は国家安全対策室など知らず、そもそも国防の意識など皆無の人間だった。ただ思いのままに魔術を学ぶためにクラティアとなり、フォルセティでランク一位にまでに上りあがった末、己の実力を過信して誰かを守る職に付きたいなどと思い上がったのが運の尽き。力を買われて褒められるまま有頂天になり、ほとんど何も危惧せずに連れて行かれた先が国防を担う組織だった。そこで突如として明かされたのがこれから自分が働く職場であり、拒否すれば国家反逆者の汚名を着せられるとかなんとか。もはや意味が分からない。無茶苦茶である、と思いはしたものの、さすがにテロリストになりたくは無かった近衛は、言われるがままにマーズへと入った。
それから彼女の苦難の道のりは始まった。比較的他者と距離を縮めようとする友好的な近衛に比べ、マーズの面々は一匹狼気質の人間が多い。何度か声をかければ応じてくれるが、変わり者も多く、中でも男連中が妙な誤解をすることもあり、頑張って頑張って過ごし易い職場にしようと努力したものの上手く行かず、ならば好き放題やるか、と思えども彼女の常識がそれを阻害し、結果いつもいつも共に組んだパートナーの横暴に振り回されていると言うわけである。
今回もそうだ。組んだ四人のうち一人は子供を連れてくるし、一人は後輩のくせに同じ言葉しか繰り返さないし、おまけに最後の一人は「作戦何それおいしいの」といった感じに勝手に走り出してしまった。それを隊長である藤波が止めようともしない。実力差が分かったら戻ってくる、と言うが、そうなる前に殺される可能性を考慮しないんだろうか、と彼女は思う。
そんな神功と天魔の衝突は、もう何度も繰り返されている。何が愉しいのか互いに口元を歪ませ、シュトラーフェも出さずに肉弾戦闘だけを繰り返しているのだ。この場合、どちらを称賛すべきか迷う近衛である。圧巻の力を持つ神功に渡り合っている天魔と言うクラティアを褒めるべきか、膨大な魔力を放つ天魔に伍する戦いを繰り広げる神功を褒めるべきか。どちらもその力は、はっきり言って近衛のそれを上回っている。どちらが凄いかと問われれば、正直どちらも凄い。それでもやはり、彼女が冷静に見た戦況から言えば、不利なのは神功だ。力を使わない身体強化の肉弾戦闘で互角と言うことは、総魔力量の違いが物を言う。神功が自身のハイリヒトゥムを持ち出せばまた話は変わるが、今のままでは無尽蔵の魔力を持つ天魔には敵わない。
「なぁ、セイギ。あの神功って奴、アホだろ」
正義をそのままセイギって呼んでるあなたも相当よ、とは近衛は口には出さない。彼女は一応、どんなに態度が悪くても子供には優しいのだ。いや、はっきり言うと子供以外にも優しい、と言うか甘過ぎる部分があり、それは常々彼女が気にしている欠点でもある。
「ああ、神功はアホだ。天才のアホだ」
「うむ、その通り」
(うっわぁ……神功くんが聞いたらぶち切れるだろうなぁー……)
その場にいないことを良いことに好き放題言い張る三人に恐れをなしながら、あながち近衛もその意見には賛成である。この危機的状況下にありながら、あろうことか神功は戦いを愉しもうとしているのだ。そのために自身の武装も出さず、様子見とばかりに素手で戦っている。一方でそれは、天魔の方も同じなのだろう。神功に応じるように、彼女もまた、事前に聞いていたあらゆるシュトラーフェを使いこなすと言う力を使っていない。それどころか、黒喰の魔力や月白の炎と言った技も見せていない。神功に応じているのは明らかだ。
マーズのメンバーです。
藤波正義…隊長。
九鬼神功…マーズ最強の隊員。
近衛一美…マーズの隊員。
黒木大助…マーズの隊員。
桜庭恋…マーズの見習い。
恋が出てきましたね。