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テレフテア・アポカリプス  作者: ほざお
第四章 天魔
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 展望台どころか高層タワー全域を揺らすほどの大震動の中、重たい身体を起こしてレーヨは立ち上がる。すでに隣にいた椿の表情は厳しいものに変わり、周囲を警戒するように視線をやっていた。それにつられてレーヨも辺りへ目を向けるが、これと言った変化は見受けられない。しかし、震動は確かに身体を通して伝わり、歪な音が何度も木霊する。思わず柊家を襲った黒衣の魔女を想起するが、それとは違っているように思われた。あの時レーヨが感じた肌を粟立てるほどの魔力の気配は感じられない。ただ、何かとてつもない違和感だけを覚える。異様な感覚は言葉にすることが難しく、レーヨ自身も納得のいかないその状況で、緊張したように拳を握り締めた。固く締めたそこがじんわりと汗ばみ、二人は意図せず互いに身体を寄せる。周囲へと視線を向けながらも同時に互いの動きに神経を集中し、何があっても対処できるよう心持ちで構える。

 震動はどんどん激しくなり、何かを穿つ音が徐々に近づいてくる。それがやがて、二人の耳にはっきりと捉えることが出来るほどに大きくなったその時、更なる高まりを伴って正体を現した。

 展望台の割れたガラス窓。柊大和が落ちていったそこから、巨体の何かが飛来する。それは着地と同時に床板を抉り、その奇怪に膨れ上がった筋肉から浮かぶ血管をびくびくと振るわせた。その異様な姿を前に椿がか細い悲鳴を上げ、レーヨもまた、醜悪なその見た目に言葉を失う。

 そこにいたのは、化け物だった。それもレーヨが見たような強大な力を振るう化け物ではない。ただただ見た目が異様であり、生物としての在り方を間違えた存在。剥きだしの皮膚が筋肉で膨れ上がり、そこから覗く血管が赤と青、緑と言う様々な色を浮かび上がらせている。体長は立ち上がったその姿勢で二メートルを優に超え、破けた衣服をほどほどに張り付けたその肉体は、人体の概念を置いてきたような筋肉の鎧に覆われている。それだけではなく、髪は地に着くほどに伸び上がり、爪は大きく鋭さを増し、顔面から覗くのは白い牙だ。充血した眼球がレーヨたちを見つめる様は、ある男を思い起こさせた。

「大和さん……なのか……?」

 柊大和――人間であったはずの彼が、怪物の姿でそこに在る。

 その理解できない事態にレーヨは混乱し、咄嗟に椿を庇うように前へ出た。恐怖以上に頭が事態についていけていない中、ただその脅威だけは感じ取れる。今の大和は、その容姿のみならず、その身体に膨大な魔力を纏っているのだ。それこそ、先とは比べ物にならないぐらいの、椿すらも凌駕し得るほどの膨大な力。

 そんな様子の二人を眺め、大和は笑う。笑みとは思えないほどの凶悪な顔で口元を吊り上げ、笑いの音だけを漏らす。

「はは、怯えているね。椿」

 発された声もまた、人体が歪に変わった影響か、以前の大和とは異なるものだった。まるで喉の奥底から声を発したような深みと重低音を伴ったそれは、口調の穏やかさと相まってどこまでも不気味だ。

 眉間に皺を寄せながら、レーヨはその大和の様子から理解する。この男はまだ、何らの反省もしていなければ、椿へ向ける執着心の幾ばくも失っていない。その瞳は絶えず、下種の嗜虐心で以って椿を捉え続け、その心は彼女の悲鳴と苦痛を望んでいる。人の姿を捨ててなお、いや、そもそも人であったことが間違いだったのかもしれない。レーヨはずっと見続けた。人でありながら悪魔のように振舞う目の前の男を。

 だから彼は、口元を吊り上げ、嘲笑うかのように言う。

「よく似合ってるよ、大和さん。あんたにピッタリな姿だ」

 化け物の心に相応しい体躯を手に入れた男は、その視線をレーヨに向けた。その眼球が爬虫類のような気味の悪い動きを見せる。

「この姿がそんなに意外かい?」

 意外――自身の醜悪な姿に対し、大和はまるで何の忌避感も抱いていない。人から外れた存在であることを理解していないのか、あるいは彼自身がそれを望んで手に入れた姿なのか。狂人の思考の理解に苦しむ二人に、大和は淡々と解を示していく。それはおそらく、彼の研究者としての一つの癖のようなものなのだろう。

「君にも見せたアルケー・オラトリオの遺骨。あれにどうして僕は全く惹かれなかったか不思議に思わないかい?」

 唐突な問いを訝しみながら、レーヨはその事実を思い返す。確かにレーヨが大和から彼女の骨を見せられたとき、大和は何の影響も受けていないようだった。それに反してレーヨは箱の中にあるそれに魅せられたと言うのに、彼は平然とそれを手にしていた。

「なに、簡単な答えさ。惹かれるということは、持っていないから惹かれるんだ。持っている人間は、そう同じものを欲しないものだよ」

「何を……」

 理解できない言い回しにレーヨが困惑する中で、事態を聞いていただけの椿がハッとしたように目を見開いた。続いて放たれた言葉は、大和の頬を緩ませる。

「まさか……骨を、持ってるの……? 自分の身体に……埋め込んだ?」

「なっ!?」

 驚愕を露にするレーヨに、大和は優秀な生徒を褒め称えるように拍手をする。

「その通り。聖隷機構、と言ってね。開闢域に達した人間の身体は、死してなお魔力を宿す。それを身に宿すことで爆発的な力を得ることが出来る。今の僕のように」

 無造作に大和が腕を振るう。そこから垂れ流された魔力が魔力が周囲一体の素材を奪い取り、それは一瞬にして圧縮して潰され、小さな塊と化して地に落ちた。それなりの質量のあったそれらをピンボール台ほどにまで押し潰して見せたその芸当に、レーヨも椿も目を見開く。爆発的な力、大和がそう言うに足るだけの強引極まりない魔力による干渉能力を放っていた。

「アスクレーピオスは本当に便利な力だ。自分の身体を切り刻んで処置を施すことが出来る。ああ、ちゃんと麻酔は使っていたよ。痛いのは嫌でね。ほら、零余を見ていたら痛そうだっただろう?」

 レーヨに向かって笑うようにそう言い、その背後にいた椿が眦を吊り上げる。その激情が再び真珠色の光を灯して攻勢に出ようとするが、それをレーヨは押し止めた。異様な力を発揮する大和から言い知れぬ悪寒を覚え、一旦椿の攻撃を止めさせる。何の策も無く、ただ無秩序に攻撃を叩き込むことは危険と判断したのだ。

「……聖隷機構ってのは、自分の身体を化け物に変えるのか?」

 隙を窺いながら、そう問いかけるレーヨに、大和は余裕の態度で応じてみせる。未だ彼が攻勢に出る様子は見られず、それが自身の今の力から来る自負なのか、あるいは別の理由なのか、レーヨはその疑問の中で、ただ生き残るための道を模索していく。

「相性があるらしい。相性が合わなければ、アルケーの魔力を解放した時点で肉体そのものが変質する。まぁ、そもそも魔力を持たない零余なんかはまるで無関係だったみたいだけどね」

「そんなになってまで……あんたは何がしたいんだ」

 その単純な疑問に、大和はなおさら笑みを深めた。瞳の奥が欲望の色にギラつき、その先にある椿を捉えながら、その先の何かを見据えている。

「したいことを全て。研究を続け、僕好みの子供たちを痛めつけ、蹂躙し、支配する。何より今は――椿、君だ。僕は男だからね。もうそろそろ零余の身体も飽いてきた。だから、美しい君が欲しいんだ」

 ぞくりと背筋が泡立ち、レーヨの背後に立つ椿が一歩後ずさる。剥きだしの男の欲望に恐怖し、襲われかけた事実に身体を震わせる。その手は、切り裂かれたTシャツから覗く肌を隠すようにギュッと掴み、空いた手が救いを求めてレーヨの腰元辺りを掴んでいた。その頼られていると言う実感がレーヨに意欲を湧き上がらせ、化け物に対する闘志を漲らせる。彼は再び、約束を心の内で言い放つ。

 ――椿を守る。

「やらせるかよ、変態。いい加減、その気持ち悪い瞳を妹に向けるな」

 強気な口調ではっきりとそう言い、レーヨは椿の頭を優しく撫でた。

 その様子を見つめ、椿が安堵するように頬を緩ませる表情を見つめ、大和が目を見開く。内心で煮えたぎるような激情を宿した彼は、その光景にかつて見たものを被らせた。そこには、彼の兄がいて、その兄が彼の想い人の頭を慈しむように撫でている。

 柊桔梗。彼が愛して止まない美しい女性を象った少女が今、また別の男に奪われた。

「零余ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 激情が臨界点を超え、怒りで身を震わせながら、床を蹴り砕いて大和は走る。その先にいる少年に向け、その細長い爪の一撃で切り殺さんと襲い掛かった。

 だが、少年の妹がそれを許さない。確かな怒りを湛えた瞳が、狂気に満ちた男の暴威を弾き返す。

「大和さん……あなたは本当に、どこまでも――」

 その続く言葉を、彼女の優しい心を知る少年が後を引き継ぐ。彼女の代わりに言葉を紡ぎ、その想いのうちと怒りを、汚い言葉で吐き出す。

「――クソ野郎だ」

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