⑤
「嬢ちゃん……」
よもや自身の放った言葉を使われた上で利用されるとは思わず、男は息を詰まらせる。そんな彼に無理矢理抱えた男を押し付け、その代わりに利愛は胸を張ってはっきりと宣言する。同時にその身体が山吹色の魔力の光に包まれ、彼女を象徴する髪と瞳がその光の中で一際輝くように浮かび上がる。
「おっちゃんたちが助け合ってくれたら、私は絶対に守ってやる。私たちクラティアが、皆を守る――!」
その言葉がカヴァティーナの効果によってその場を含めた全域にまで届けられ、それを聞いた者たちが逃げ惑いながらも目を見張る。彼らは、一様に聞いていたのだ。その声、侮蔑と罵倒に真っ直ぐに立ち向かった少女のそれを、確かに聞いていたのだ。
だからこそ、確信する。この少女ならば、と彼ら自身にも理解できない期待を寄せる。その期待に応えるように、山吹色の魔力がさらに強く大きく輝き、それを浴びたカヴァティーナがその本領を解き放つ。
物体の振動を操るシュトラーフェは、その力で以って魔力の持つ特定の振動を検知し、それと逆位相の振動をぶつけ、その力を一瞬にして打ち消した。その効果は、体育館全域に渡るほどの広いものではない。精々が利愛から数メートル。逃げ惑う人々に少なからず牙を剥いていた土塊の獣を消し飛ばしたと言った程度だ。だが、その確かな力の在り様が、その場で絶望と恐怖を宿していた人々の瞳に光を取り戻させた。
自身もまた、己で為した現象に理解が追いつかず、それでも利愛はその力の本質を知り、笑みを強める。
「いける……!」
彼女は確信する。この力であれば、きっと皆を救えるだろう。
その想いに応えるように、彼女の持つ山吹色の魔力はより強大に煌き始めた。
その魔力を纏い、利愛は再び戦場と化した体育館へ舞い戻る。だが、それはその出入り口から飛び出してきた一人の少女によって遮られた。その手に刀を携えた彼女は、どこか自信のこもった強い瞳を利愛に向け、体育館へ向かおうとする彼女の前に立つ。
「リナさん、待ってください」
自身を時雨と名乗った少女が、常に無いほどの活力に満ちた声でそう呼びかけた。その様子に利愛は驚くも、それに頓着している暇も無く、邪魔するように立ちはだかる時雨に戸惑う。利愛には、彼女のしようとしていることが分からなかった。だが、そんなことを一々思案してもいられない。無理矢理に手を伸ばし、押しのけようとする。
「待ってください」
しかし、向けられた刀の刃先が利愛の足を止めた。思わず一歩距離を取り、ごくりと唾を呑み込む。向けられた刃は本物であり、叩きつけられた闘志は本物だ。その予想だにしなかった仲間の行動に焦りながら、利愛は混乱する頭から躊躇と遠慮だけを拭い去る。ここで立ち止まってはいられない、と理解できない事態に対する判断を追いやり、守る者を見据えてただ動く。
そんな利愛の様子を微笑ましそうに笑い、時雨は首を振った。違いますよ、と言葉に乗せて言い、その刀をある方角へ向ける。それは、利愛たちがやってきた方向。今回の事態の全てが始まった場所を指していた。
「リナさん、ここは私たちに任せてくれませんか?」
「え?」
完全に虚を突かれた発言に利愛が聞き返す中、時雨は自身へと襲い掛かった土塊の獣を一刀の下に切り伏せ、彼女なりの優しさを滲ませながら言う。
「レーヨさんって人のこと、心配してましたよね。なら、リナさんが一番守りたい人って、その人なんじゃないですか?」
「――! そ、それは……」
「だったら、こんなところでいつまでも足を止めている場合じゃないはずです」
土塊の獣が四方八方から時雨に襲い掛かる。だが、その全てが流れるような剣技によって土へと還り、それを為した時雨は、息の一つも乱していない。それが彼女、時雨の実力だ。利愛との対戦では終ぞ見ることの無かったその実力と性格のギャップに利愛が戦慄する中、彼女は優しい声音で紡いでいく。
「これは、卯月さんからのお願いです。リナさんに伝えてくれって。私も同じ気持ちです。リナさんの守りたい人を、助けに行ってあげて下さい」
「け、けど! そんなことしたら、ここがますます危険になる! 私、言ったんだ……皆を守るって!」
言いながらも、利愛の気持ちは傾きかけていた。彼女は何より、レーヨを案じ、心配していたのだ。その姿がテレビに映り、そこに近づいていた脅威を思い出し、気持ちが揺らぎそうになる。この状況を放って、大切な想い人の下へ一目散に駆け出したくなる。だが、そんなことは許されない。堂々と守ると宣言したのだ。助けると、それは彼女に芽生えた夢でもあるのだ。それをあっさりと覆せるわけが無い。
「違いますよ、リナさん」
時雨の身体が光り輝き、それが伝播するようにその刀が光を帯びていく。それを構えながら、時雨は優しく強く、彼女の迷いを振り払うその言葉を放つ。
「皆を守るのは、私たちクラティアです」
次の瞬間、時雨に向かって大量の土塊の獣が襲い掛かった。それは彼女の力を警戒してのことか、あるいはただの無差別な攻撃か。どちらにしろ、利愛の目の前で十数以上の土塊の獣が時雨に向かって猛攻撃をかける。それを前に、動揺していた利愛は動き出すことが出来なかった。
思わず利愛が時雨の名を叫ぶ。その身を気遣う言葉に、しかし答えたのは、どこまでも心穏やかな声音だった。
「ようやく、お披露目できます。ねっ、大蛇」
優しく呼びかけるその声に応じ、その光を帯びた刀のシュトラーフェ、『大蛇』が応えを返す。それは実に分かりやすい、どこまでも研ぎ澄まされた攻撃の意思。
時雨の声に反応し、大蛇が動き出す。まるでその名を表すかのように不規則に揺れ動き、剣先が刀と言う概念を飛び越え、伸縮自在の鞭のようにしなり出す。それを握り締め、時雨は一気に振り払う。全力を込めたその薙ぎに、刀そのものが意思を持っているかのように宙を動き、四方八方から迫る土塊の獣に対し、時雨の周囲を覆うように円を何重にも描いて攻撃と防御を両立させ、獣たちを一撃の下に吹き飛ばした。
「すっげ……っ」
「リナさんが名付けてくれたこの大蛇……その動きはまさに蛇のように流れ、複雑に蠢き、刀と言う武器の性質を越えた挙動を可能とします」
説明するようにそう言った直後、さらに大蛇は次の動きを見せた。円を複数回描くようにして時雨を守る体勢で固まったまま、その曲がった刀身からハリセンボンのように無数の針を生み出し、周囲一帯の土塊の獣を刺し貫いたのだ。
「千針呑下――」
利愛や他の人々を巧みに避けて土塊の獣だけを刺し貫いた針は、一息に大蛇の元へ戻り、その大蛇も元の刀へと戻っていく。その中で、爆発的な魔力を生み出す少女がどこか楽しげに、けれど強さを兼ね備えた笑みと共にそこにある。
これが学年九位、時雨。『剣魔複合』を掲げる時雨一族の娘である。
「リナさん、これでもまだ、私たちを心配しますか?」
問われ、思わず利愛は笑みを零す。それは、学年選抜戦の時にまともに相手をしなくて良かったと言う安堵の笑みであり、同時にこの勇猛果敢な少女の強さと仲間の思いやりを微笑ましく思うものだった。
彼女は知る。皆を、人々を守りたいと言う想いを宿したのは、決して利愛だけではなかった。彼女の友人たちもまた、悲惨な現実を前に己の力を思い起こし、その強さの意味を考え、そのために何が出来るかをそれぞれの胸の内に宿した。それは一つ一つ、利愛とは全く異なるものなのかもしれない。それでもきっと、それは人のためにあろうとするという点で、利愛とそっくりなものに違いなかった。
「時雨ちゃん、皆にありがとうって言っといて。それから父さんと母さんには、絶対生きて帰るって」
「はい、そんなの当たり前です。死んだら許しません。私、リナさんとはちゃんと友達になりたいって思ってるんです」
「はは、何言ってんの。もう友達じゃん」
お互いに笑い、利愛は一つ頷くと、一気に駆け出した。もはや背後も振り返らず、カヴァティーナを握り締めて全速力で走り出す。そこへ向け、またも複数の土塊の獣が襲い掛かるが、利愛はそれに対処することは無かった。それをするより早く、背後の時雨が大蛇の能力で障害を一瞬の内に片付けてくれる。
倒れていく土塊の獣の先、それが向かってくる方角にいるだろう少年を思い浮かべ、利愛は足に力を込める。
「待ってて、レーヨ」
大切な人を守るため、己の在り方を見つめ直した少女が崩壊した町へと駆けていく。
「行った……か」
去り行く友人の気配を感知し、落葉の力を存分に振るう卯月は、そっと息を吐いた。正直なところを言えば、彼女は利愛が羨ましい。全速力で想い人のところへ迎える彼女が、レーヨと共に在れる彼女が、どこまでも羨ましく、妬ましい。彼女もまた、レーヨに想いを寄せる一人だからこそ、その傍に在りたいと思ってしまう。助けに行きたいと、足はこの場を離れそうになる。
(ここまで……零余さんのこと好きだったんだなぁ、あたし)
そんな事実を今さらながらに噛み締めながら、舞うように落葉を操作していく。もはや無数に細かく散ったそれら刀の破片は、怒涛の勢いで体育館に襲い掛かった土塊の獣を一掃し、力の無い人々が逃げるための隙を作り上げていく。こんな状況にあってなお、卯月は的確に事態を見据え、最も優先して助けられる可能性が高い箇所から巧みに助け出し、同時に仲間のサポートも淡々とこなしていく。頭は冷静に働き、しかし一方で気持ちは激しく揺れ動く。そんな己の葛藤と戦いながら、彼女が思うのは、去っていく友人のことだ。
現利愛。彼女の存在は、卯月にとっては天変地異が起こったに等しいものと言っていいだろう。態度は一貫せず、話は要領を得ず、口調は常に変化し、能天気でマイペース。正直、見た目だけなら同性の卯月でも惚れ惚れするほど愛らしく美しいのに、それら全てを一蹴するかのような言動と行動を平然と取る変わった女の子。
卯月が彼女と出会ったのは、ちょうどこの学園に入学した頃のことだ。あの性格ゆえにトラブルも起こしやすい彼女は、何故かその時、不良に絡まれてあわあわと焦っていた。自身の身長を優に越える男たちを前に、仮にもクラティアが慌てるのか、と少しだけ訝しんだ卯月だったが、彼女はそれを仕方なしと助けると、何故か利愛は礼も言わずに走り去ってしまった。さすがに少しだけムッとした卯月だが、まぁ仕方ないと割り切った翌日、同じクラスであった彼女は、笑顔と共にこう言ったのだ。
――いやぁ、マジ漏れそうでやばくてさぁ。昨日はさんきゅ、おうじさま。
これが全ての始まりである。卯月がその見た目と振る舞いから学園内で王子様扱いされ始めたのは、全てがこの利愛の一言とその時の光景を見た一部女子の噂によるものだった。そのために今もなお、利愛はわけの分からない期待ばかりを寄せられて困惑しているのだ。
だが、と彼女は思う。そのおかげで、彼女と利愛は友人になった。本来であれば、ほとんど接点の無かったであろう二人は、椿と言う済ましていながらもどこか切迫感を抱える少女を迎え入れ、三人で行動するようになった。その行く内にその椿も徐々にだが心に平穏を取り戻していき、皆で笑うようになった。
全て、あの利愛と言う少女がいたからこそだ。山吹色の髪と瞳を輝かせ、朗らかに笑う彼女がいたからこそ、三人は友人になり、親友になった。そうして出会った先の少年に同じ想いを抱えてしまったことは、ある意味で悲劇と言うほかないが。
それでも、卯月はそれで良かったと思ってしまう。利愛で良かった。彼の傍にある人が他の誰かなら、きっと卯月はそれを許せなかっただろう。嫉妬深い性格ではないが、人並みの独占欲は存在する。彼の隣に在りたいと、強く思う。だが、利愛が相手であればそれも諦められる。彼女の人となりを知るからこそ、信頼して任せられる。
落葉が舞う。それは木々から舞い落ちる木の葉の如く、風に揺られてゆらゆらと吹かれ、再生を果たす土塊の獣たちを粉々に切り裂いていく。その圧巻の光景に、徐々に人が卯月の傍に集まり始める。どこが今のところ一番安全かを判断した結果だろう。それを見つめ、卯月は動きやすくなった落葉を全方位に向けて全力で解放した。
土が舞い、体育館の床板に切れ込みが走り、突風が駆け抜けた先、全ての土塊の獣が吹き飛んだ。その事実に歓声が上がる中で、彼女は心の内を言葉にする。
「――リナ、零余さんを、椿を助けて」
その想いに応えるように、どこか遠くで、大音が鳴り響いた。
利愛の能力の本領が発揮されましたね。
それと時雨ちゃんの実力も垣間見えました。