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テレフテア・アポカリプス  作者: ほざお
第三章 壊滅
175/215

 SKAT投入より数分前、ここにまた、一つの戦いが起ころうとしていた。

 絶えず響く轟音が高層タワーの最上階にある展望台のガラス窓をビリビリと振るわせる。

 そこから覗く先、燃え盛る街の様相を一瞥し、レーヨは寝台に縛り付けられた妹に視線をやった。そこには、無残にもTシャツを破かれながら、不安と喜びの入り混じった何とも言えない表情を浮かべた椿がいる。その痛ましい姿にレーヨは目を伏せると、すぐさま椿を拘束しているベルトを外しにかかる。いつまでもこんなふざけた状態を許せるはずが無かった。

 レーヨは自身でも驚くほどの怒りを覚えていた。未だ中学一年生という小さな少女のあられもない姿に、それを為した下種な男へ言い知れぬ感情が湧き上がる。それは怒りであると同時に憎しみであり、それらがごちゃ混ぜになったドロドロとした心持ちだ。それを表す端的な一言を、記憶の中からレーヨは探り出す。

 ――殺意。

 人を殺したいという願望。それは幸か不幸か、レーヨがこれまでの人生の中で一度として感じたことの無かった気持ちだ。親友である零余が痛めつけられていた時も、大和に恐怖し、零余に同情することはあっても、これほどの殺意は覚えなかった。しかし、今回ばかりは違う。

 椿を傷つけ、零余を利用し、それを悠然と眺めていたこの男。

 柊大和と言う男の存在の全てが、レーヨの中の許容できる枠組みを超えていた。

 しかし、現状、先にすべきことは椿の拘束を解くことだ。彼女を自由にしてあげなければ、いつ何時また大和に襲われるか分からない。

 寝台に手を伸ばす。大和を手伝っていたためか、ベルトを解く方法は心得ている。

 淀みない動作でそれを行おうとしたところで、レーヨの眼前を鋭いメスが通り過ぎた。思わず後退してしまいながら、レーヨは愉悦交じりに自身を眺める大和を見る。土塊の獣は、すでに彼の手元でただの土へと変化していた。大和が打ち破ったか、あるいはその主である桔梗に何かがあったのか。判然としないながらも、椿を救えなかったことに歯噛みする。まだ、彼女には危険が迫ったままだ。

「柊、大和……ッ!」

「邪魔をしないでくれるかい、零余?」

 椿に聞かせるようにわざとらしくその名で呼ぶ大和にさらに怒りを滾らせながら、レーヨはかの男を睨み据える。その瞳は怒りに染まり、噛み締めた歯を覗かせたその様は、まるで獰猛な獣だ。常に無いレーヨのその豹変振りに大和は目を細め、手元にメス状のシュトラーフェ、アスクレーピオスを出現させる。それを弄びながら、大和は適当な調子で尋ねた。 

「今さら何しに来たんだい、君」

「椿を助けに来た……俺は、あんたを許さない」

 敵意を剥き出しにするレーヨを見やり、ふーん、と大和は気の抜けた返事を返す。そこには、どうにもやる気や闘志と言ったものが感じられない。戦う気が無いのか、レーヨでは相手にならないと見ているのか、その姿を訝しくは思うものの、レーヨは迷わなかった。長話は無用だとばかりに拳を固め、走り出す。

 レーヨは、『識』の魔術を扱うクラティアだ。生まれながらに魔術を放つ才を持った、クラティアとしては優等な部類に入る人間である。だが、彼はシュトラーフェを持っていない。存在そのものを失った彼は、柊家にいてもシュトラーフェの拝受を許されなかった。彼自身もそのことに大した興味を持たなかったのだが、今はそれが悔やまれる。シュトラーフェは、そのまま強力な武器だ。それを持たないことは、クラティア同士の戦闘において大いに不利になる。

(けど、関係ない!)

 それでもレーヨには約束があるのだ。椿を守ると、そう固い誓いを交わした親友がいる。それを闘志に変えて拳を握り締め、『火』の特性を利用して一気に加速する。

 だが、大和は動かない。ただ一心にレーヨを見つめ、動くことなく、その拳の一撃を受け止めた。

「な……ッ!」

 レーヨの表情が驚きへと変わる。あろうことか、大和は振るわれた拳に防御姿勢も取らず、真っ向から頬で受け止めたのだ。その衝撃によって大きく身体が傾き、レーヨよりも十センチは高い彼がたたらを踏む。唇を切ったのか一筋の血を垂らす様は、確かなダメージの感触をレーヨに教えていた。しかし、だからこそ分からない。いくら大和が研究者としての性質の強いクラティアであったとしても、ああもあっさりと攻撃を食らうだろうか。レーヨの一撃は、大振りの、それこそ喧嘩の拳とも言えるそれだ。仮にも柊本家の人間として幼少より武術を叩き込まれた大和が避けられないはずがない。

 そう思い、レーヨが困惑する中、大和は口元を拭って体勢を立て直すと、湧き出した疑問もそのままに口にする。

「零余、君は何を言っているんだい? 椿を守る? それはお門違いと言うものだろう」

 大和が口元を拭った瞬間、二度と血が流れ出すことはなかった。微かに赤くなった頬も平常時の色に戻り、彼は調子を確かめるように数回首をこきこきと鳴らす。その不気味な様子を見て、ようやくレーヨも得心が行った。大和がレーヨの拳を避けなかった理由。考えてみれば、彼のシュトラーフェを鑑みれば、当たり前のことでもあった。

 アスクレーピオス。医術の神の名を冠するこのシュトラーフェは、本人とそのメスで切りつけた対象の傷を癒す力があるのだ。それだけでなく、大和などは応用して零余の胴体に別人の手足を繋ぎ合わせると言った芸当をしていたが、その根本的な力は癒しや回復に属するものである。

 その力で以って傷を治しながら、大和は問いを続ける。それは、レーヨの核心に踏み込むものでもあった。

「君は椿を騙し続けた張本人だ」

 告げられた一言は、彼の心の内を深く抉るものだった。それを分かっていてやっているところが大和のいやらしいところではあるが、今回に関して言えば、その様は滑稽と言えるだろう。彼の言っていることは尤もだ。だが、それは椿が彼を責め苛むからこそ意味があるのだ。大和のような男が言ったところで、そんな事実はレーヨ本人が誰より理解している。今さら言われるまでもないことである。

 それに、レーヨは覚えている。椿が自分にくれた言葉。許せない――でも、兄として過ごした日々は嘘ばかりではなかった、とそう言ってくれた。

 その言葉は、他のどの万言よりもレーヨを支えてくれる。少なくとも、自分のことを棚に上げて意気揚々と口にする男の言葉に揺さぶられるようなものではない。

「それでも俺は椿を守る。あんたが椿を傷つけると言うなら、何をしてでも止めてみせる」

 迷い無いその言葉に大和はあからさまに表情を変えて舌打ちすると、メスを数度両手でジャグリングのように持ち替え、一瞬にしてそれを放り投げた。

「くっ!!」

 慌て、レーヨは飛来するそれを躱す。突然のことで反応がワンテンポずれたが、それでも避けることは難しく無い一撃だとレーヨは判断する。正確さはあるものの、速さは精々が目で見てから反射で躱せる程度だ。これならいける、そうレーヨは確信し、サイドステップからさらに地を蹴って至近距離の大和の懐に飛び込んだ。固めた拳に『地』の特性の効果を施し、それを大和の顔面目掛けて叩き込む。

「君も学習しないね。それは意味が無いよ」

 強烈な拳の一撃に吹っ飛ぶ大和だが、すぐに立ち上がってくる。殴られた後もいつの間にか再生しており、まるで無傷で攻撃を耐え切ったようにも見える光景だった。やはり、アスクレーピオスの回復力は、大和に絶対的な防御力を与えている。

(けど、魔力を使って回復してる以上、いずれは限界が来る。その時まで殴り続けてやればいい)

 レーヨの作戦は、その実に単純明快なものだった。策とも呼べないそれではあるが、現状、レーヨの持ち得る力を考えれば、他にどうしようもないのも事実だ。レーヨに魔術特性を操る技術はあるが、これと言った魔術を習った経験も無い。精々が特性ごとの性質を扱えると言った程度であり、魔術理論を学んでいない以上、発想はあっても術として組み上げることが出来ないのだ。

 二度に渡る攻撃によってそれをはっきりと認識し、大和は笑みを零す。まるで脅威にならない。彼のアスクレーピオスの効果は絶大であり、何より大和の魔力量から換算すれば、少なくとも後百回は打撲による傷など余裕で治すことが可能だ。さらに言えば、彼にこれ以上無様に殴り続けてやる意思も無い。

「本っ当に君は馬鹿だ。――ねぇ、椿、知っているかい?」

「な、なに……?」

 不意に大和は椿の方を向く。その向けられた視線に戸惑いながら聞き返す彼女に、彼はレーヨの弱点を的確に突いてきた。

「君を守ろうとしている彼だけどね。実は、君の兄の手足を切断したの、彼なんだよ」

「…………ッ!」

 明かされた椿も知らなかった事実に彼女が目を見開く中、傷口を広げられたレーヨが激昂する。その怒りを力に換えて拳が赤く充血するほどに握り締め、喉を()らさんばかりに叫んだ。

「大和ッ!!」

 しかし、振るわれた拳が大和を襲うことは無かった。放たれたメスがレーヨの足を止めるように地面に突き刺さり、そのわずかな間に彼が動きを止める間、大和は一つずつ真実を伝えていく。それら全て、零余に行われた実験にレーヨが関わった事実そのものだった。

「知っているかい。彼はね、いつも零余が痛みや悲鳴でもがいても逃げられないようにベッドに縛り付けていたんだよ。ちょうど今の君みたいにね」

「黙れ!」

 まきびしのように放たれたメスを回り込むようにして躱し、レーヨはさらに大和との距離を詰める。だが、大和も喋りながらただ突っ立っているわけではなかった。巧みにレーヨとの距離を測るように場所を移動しながら、淡々と事実だけを口にしていく。

「過去にちょっとしたウィルスを注射したこともある。全身に赤い不気味な斑点が浮かぶやつでね。零余は痛みと発熱にもがき苦しんでいたよ。それだけじゃない。救いを求める彼の声を何度も無視していたっけ。はは、友達だとか言っていたけど、とんだ嘘つきだね、彼は」

「黙れ……黙――」

「――黙れッ!!」

 その時、レーヨの叫びを遮るように彼女のものとは思えない鋭い怒声が響いた。それは話し続けていた大和はおろか、その大和に殴りかかろうとしていたレーヨの足も止まらせ、寝台から首だけを動かして大和を睨み付ける椿へと視線が向く。

 彼女の瞳には、涙が浮かんでいた。零れる一筋が頬を伝い落ちていくことも気にせず、微かに震えた声で、彼女は真っ向から大和に言葉を叩きつける。

「そんなの全部、あなたのせいじゃない! その人におにいちゃんを傷つけさせたのも、酷いことさせたのも、全部全部……あなたが命令したことなんでしょ!?」

 フッと、蝋燭から火が消えるように大和が笑みを消した。そのまま無感動な瞳で椿を見据えるその様子は、蟻を無造作に踏み潰す幼児の残虐性を匂わせる危険なものを秘めている。そこに宿る怜悧な色に普通じゃないものを感じ、レーヨは咄嗟に大和へと向かうよりも先に椿に駆け寄った。それに少し遅れ、その言葉はレーヨの耳に届いてくる。

「僕が命令したから何だって言うんだ。やったのはそいつだろ?」

 そのまるで子供の言い訳のような言葉にレーヨが戦慄する中、大和の周囲に無数のメスが生み出される。刺されば回復の効果を生み出すそれだが、それは術者の意思次第なのだろう。ギラリと白銀に輝く様は、どう見ても凶器のそれだ。

 椿の寝かせられた寝台を押しのけながら、レーヨは次の展開を予想する。まず間違いなく、あのメスは彼らに降りかかる。レーヨ一人ならば逃げられるだろう。だが、レーヨに椿を見捨てると言う選択肢は存在しない。そうなれば必然、多少の無茶を敢行する必要性も出てくる。

「椿、無茶するけど、良いか?」

「私は今、魔術を使えない。あなたの力になれない。だから、信じる」

 信頼のこもった瞳で見つめられ、レーヨは力を漲らせる。この少女を守る。その想いを再確認し、次いで振るわれたメスの攻撃に対し、椿の寝かされた寝台を横に倒すことで応じてみせた。ちょうど寝台の背面がメスに向くように横たえ、椿に身を寄せるようにして自身の身体を覆い隠すと、同時に『地』の特性を最大限に振り絞って寝台の強度を跳ね上げる。

「悪いのはそいつじゃないか、椿ッ!! 僕は悪くない! 手足を切ったのはそいつなんだよ、椿ぃ!!」

 そう叫ぶ大和は、まさに子供だ。凄まじい勢いで叩きつけられるメスの威力に耐えながら、レーヨはわずかに呆れる思いでそれを確信する。今まで大人ぶっていた男の化けの皮が、彼が想いを寄せる少女の一言で完全に剥がれ落ちていた。本心を剥き出しにし、自分は悪く無いだろ、と一方的な主張を押し付けてくる。その押し付けられた当人と言えば、レーヨにそうと分かるほどはっきりと嫌悪感を露にしている。大和の気持ちがどうあれ、椿があの男を認めることは二度と無いだろうと予感させる表情だ。

「ほんとに……最低……ッ!」

「ああ、本当にな。俺もあいつも、どっちもクズだよ」

「な……ちが、兄さんは――」

 そう言いかけて言葉を止め、しかし椿は頭を振ると、言い直すことをもう止めた。レーヨをしっかりと見据え、真摯な気持ちを言葉に乗せて口にする。

「兄さんは、クズなんかじゃない」

 クソガキ大和さん。

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