⑤
地を蹴ったものとは思えないほどの大音を響かせ、須藤が一っ飛びでアルに接近する。その足が地面を踏み拉くと同時、振るわれたのは先と同じ大鎌の一撃だ。先ほどはそれに素手で対抗してみせたアルだが、そこに脅威を感じ取ったのか、見事な体捌きで回避を選択した。その流れるような動き、足のステップ、どれもが戦闘慣れした感が漂っている。それに気づき、須藤は舌打ちする。彼女は、ただ魔術を放つだけの射出口ではない。自身そのもので敵と渡りえる武術も体得しているのだ。
(厄介すぎるな、これは……!)
改めて眼前にある敵の脅威を再認識しつつ、須藤は振るった勢いをそのままに身体を回転させ、遠心力を加えて続く攻撃を放つ。大きく踏み込んだ足は地面を陥没させ、円を描くように大鎌が低く、大きく動く。それに対し、アルは身を屈めて躱すと、そこから大鎌の柄を掴んで押しのけ、須藤の懐に入り込む。
極近接距離。この時点で須藤は大鎌での攻撃を一旦放棄し、シュトラーフェを魔力と武装の中間、保持状態へと変えて消し去ると、その細く強い拳を構えるアルと向き合った。
拳と拳。先の魔術による猛攻とは全く別の、しかし高レベルの体術による激闘が開始する。振るわれる拳が空間を裂いて互いを襲い、踏み込んだ足が土煙を上げる。舞い上がる瓦礫の礫の中、アルは愉悦に笑い、須藤は己の不利を実感する。
須藤は、一輝当千によって身体強化を極限にまで高めている。その一撃は、おそらくトラックの衝突を遥かに上回ると言っていいだろう。相撲の力士の立ち合いからの張り手は、トラックの衝突に匹敵すると言われている。彼ら百キロを優に超える重量級の者たちの全力の一撃に勝る力を難なく振るっている事実を鑑みれば、今の須藤の身体能力が人間のそれを凌駕していることは明らかだ。だが、それでもアルには届かない。存在自体が人智を超えた彼女の一撃は、あっさりと須藤のそれを上回る。
(駄目だ、敵のペースに乗っては勝ちの目はない! やはり、俺のシュトラーフェで打ち合うべきか)
そう判断し、須藤は後ろに飛んで距離を取ろうと図る。その動きを予測していたのだろう。距離を取る須藤に対し、アルは一直線に距離を詰めてくる。そこに罠を警戒するような様子は感じられない。その必要も無いと言わんばかりだ。
距離を取ろうとする須藤と、それをさせないアル。互いの思惑が戦闘に膠着状態を生み出す中で、その均衡を破るように地面から飛び出した土塊の豪腕が須藤に襲い掛かった。
「な――ッ!?」
突如として現れたそれに吹き飛ばされながら、須藤は己の失態を自覚する。接近戦にあるからと、勝手に敵が魔力の制御を行えない状態にあると判断し、敵が何度も見せていた危険な術を見逃した。接近戦に気を取られ、逃げることを優先しすぎたのだ。
体勢を崩した須藤に、アルの固めた拳が叩きつけられる。それによってさらに宙を舞いながら、須藤は凄まじい衝撃の痛みに耐える。防護服を易々と貫通したそれによって内臓が揺れ、吐き気が込み上げるが、それを懸命に堪えた。そのまま落ちるように地面に激突しながら、状況判断より先に無我夢中で身体を跳ね上げる。それに少し遅れ、須藤の落下地点にアルの拳が叩き込まれた。
地面が割れ、周囲を埋め尽くしていた家屋の残骸が辺りへと飛び散っていく。それは、ただ吹き飛ばしただけでなく、立ち上がったばかりの須藤をも巻き込んだ攻撃と化した。
(この、女……ッ! 一々厄介な真似を!!)
内心で悪態を吐きながら、襲い掛かる木材の数々を振り払い、わずかに出来た隙にIEDを保持状態から展開する。保持状態と言うプロセスを置くことでその展開速度は常よりも遥かに上がり、それは瞬きの間よりも早く彼の手元に現れた。その大鎌を両手で大きく上段に振り上げ、再度アルへと切りかかる。
「ふふ、懲りない人ね」
アルが笑い、仕方ないとばかりに手を上げる。それを見て、ふざけるな、と須藤はアルを睨み付けた。彼女は、真っ向から大鎌の一撃を受け止めるつもりだ。今のそれは、須藤の身体強化と重ねて先ほどとは威力の桁が違う。それを、あえてアルは受け止めようとしている。その屈辱を怒りに換え、同時に須藤はその愚かさを嗤う。
「後悔しろ、化け物」
「え――?」
その大鎌が再びアルの右手に触れた瞬間、彼女の表情が一変した。初めてその表情に焦りを浮かべ、今までに無いほどの反射速度で右手を引き戻しにかかるが、もはや襲い。すでに大鎌は彼女の身体に触れている。
IED――Improvised Explosive Device。それは、日本語で即席爆発装置とも称され、規格化されて製造されているものではない、あり合わせの爆発物と起爆装置から作られた簡易的な手製爆弾のことを指す。
当然、その名を冠するこのシュトラーフェの能力もまた、それに類するものであることは言うまでも無い。
突如、アルの身体を流れる魔力が大幅にその力を変質させ、『火』の特性による過剰な暴走を起こし始めた。それは同時に業火を生み出し、それが『風』の特性による空間の広がりを伴い、『空』の特性が四方八方に衝撃波を生み出したことで、爆発が巻き起こる。
一度刃に触れた物体の魔力に爆弾を設置し、再度そこに触れることで変質を来たし、爆発させる。それが須藤のシュトラーフェ、IEDの能力である。
「吹き飛べ――」
さらにこのIEDの恐ろしい点は、爆発の影響が周囲に起こらず、ただ爆弾と化した魔力にのみ発生すると言う点だ。爆弾はただアルの内部だけで発生し、その業火によって強固な魔力の塊を焼き尽くし、吹き飛ばす。
自身の体内で暴れ狂うその力を前に、初めてアルが苦悶に表情を歪めた。次いで爆発は連鎖し、その表情も炎の中に呑まれて消える。
その炎の中から、細く白い手が伸びた。
「こ、の――!」
その手は一直線に須藤の右手首を掴むと、ただの握力によってそれを握りつぶす。まるで豆腐を握り潰すような容易さで、防護服の衝撃吸収の機能をあっさりと凌駕し、五本の指がその先にある皮膚を突き破った。
「ぐがぁッ!!」
骨を握り潰され、それによって砕けた骨が肉と神経を削ぐと言う異様な感覚と痛みに須藤が悲鳴を上げる。それでも咄嗟にアルを蹴り飛ばして距離を取ったのは、的確な判断だったと言えるだろう。もしそうしなければ、続けて放たれたアルの一撃が須藤の身体を粉砕していたことは間違いない。
燃え盛る炎と未だ自身を中心に暴れ狂う衝撃波の中、その魔力が爆弾に変換されて削られると言う状況にあってなお、彼女は笑っていた。口元に狂喜の笑みを宿し、その目が爛々と光り輝く。続けて放たれたのは、須藤には理解できない言葉だった。
「素晴らしいわ、あなたのシュトラーフェ。私の叡智に相応しい」
「どういう、意味だ……」
初めてそう問いかけながら、須藤は痛む腕から大鎌を持ち替える。すでに右手の手首の感覚は無い。視線を向けることは躊躇われるために見ていないが、おそらくは惨憺たる有様だろう。もう二度と使えないことも覚悟しなければならないかもしれない。
それでも須藤は立ち上がる。すでに有効打は与えた。であれば、おそらくそろそろアルを回復するために魔力の流れが発生するはずだ。それをきっかけに細木や他のサポートに徹しているクラティアが敵本体の居所を割り出し、襲撃をかける。そうなれば、当然このアルも動き出すだろう。ゆえにここからは、アルの足止めこそが須藤の任務となる。
出来るのか、と珍しく不安を感じながら、須藤は眼前の敵を見据える。問う言葉は、わずかながらの時間稼ぎに他ならない。
その意図を知らないアルは、須藤の言葉に笑みを深めると、堂々と己を語る。
「私は知識を愛しているの。欲して止まないのは叡智。あなたのそのシュトラーフェは、私の記す一冊の記述を埋めるに足る資格がある」
ゆえにかつて、人は彼女をこう呼んだ。
――叡智の魔女、アルケー・オラトリオ。
アルの身体から急速に奪われた魔力が、まるで逆戻しのように再生していく。明らかな魔力の供給を受けたその身体は、爆弾と化した魔力そのものを一瞬にして振り払い、炎も衝撃波も掻き消した後、彼女の言葉によって一つの武具を生み出した。
「――IED」
コピー能力、それも同時使用が出来る怖さを演出していきたいと思います。