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テレフテア・アポカリプス  作者: ほざお
第一章 天児
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 闇夜よりなお暗い鴉羽色の髪が揺れる。こちらを窺う瞳の色は、琥珀の輝きを秘め、その肌は透けて見えるほどの白さが際立っている。少しだけ笑うようにしてつり上がった唇は幼子のように綺麗な薄い赤の色を持ち、その先にある白い歯がかすかに覗いていた。

 女性、それも十代後半から二十代前半ほどの、まだ少女と言っても差し支えない年齢の女性だ。身長は高くも低くもなく、平均と言ったところ。全体的に細身の印象を受けるが、身に纏っているのが黒いローブのために判然としない。ローブから覗く足には何も履いておらず、しかしそこにみすぼらしさは微塵もない。むしろ、この女性に似合う靴などあるのだろうか、とすら思えてしまう。

 絶世の美女、あるいは美少女。そんな言葉をレーヨが思い浮かべてしまうほど、見たこともない珠玉の輝きを灯す者がそこにいた。その身に、人間とは思えぬほどの絶大な魔力を宿して。

 その異様な光景に目を奪われながら、レーヨはそれを目にする。女性の背後に、小屋の残骸があった。そこから覗くのは、大和が出入りしていた地下研究所の階段だ。だが、それはまともな状態ではなかった。地面は大きく抉れ、深い溝が出来るように大穴を開いている。

 そこから何か、漆黒の塊のようなものが這いだしてきた。それは、明らかに物体ではない。濃密な魔力の塊だ。黒い魔力が、球になって浮かび上がってくる。

(あれは……なんだ……ッ?)

 理解の追いつかない状況の中で、女性は黒い塊を一瞥すると、申し訳なさそうに漏らした。

「ごめんなさい、逃がしてしまったわ。マスター」

 マスター、とそう呼ばれた黒い魔力の塊は、しかし何も返さない。女性の方も特に返答を期待していなかったのか、あるいは何らかの方法で返事を聞けたのか、一人でに話を続けていく。

「安心して。あなたの想い人はちゃんと守るわ。だから、力を貸して。敵が一杯なの。椿を守るんでしょう?」

 ――椿を、守る。

 不可解な状況の中で、その女性はさらに謎の言葉を漏らす。その言葉を口にするのは、この世界でたった二人だけだ。一人は、この場で桔梗と共に事態を見守る少年、レーヨ。そしてもう一人は、地下深くに囚われ、心を壊してしまった彼。

 そうだ、とレーヨは気づく。目の前に見えるあの黒い塊が出てきた場所、女性の背後にあるそこがどこに繋がっているのか。

(ま、さか……)

 あり得ない。だが、そう言えば、レーヨにはこの魔力に覚えがあるのだ。もう三、四日前。あの地下に降りた場所の保管室で、大和が見せてきた白い箱。その中から感じ取れた濃密な魔力の気配。目を奪われ、手を伸ばし、気づけば心奪われていたそれ。その魔力と全く同質の力が、強大さと異質さを伴ってそこにある。

 レーヨがもう一つ思い出したのは、その白い箱に入っていた骨の行く末だ。あのアルケー・オラトリオの遺骨は、柊大和の非道な実験によってある少年の身中に無理矢理植え付けられたのだ。

 ならば、そこにいるのは一人しかいない。

「零余、なのか……?」

 黒い塊が、こちらを向いたような気がした。

 しかし、それを認識するより早く、女性の目がレーヨを捉えた。その目が何かに気づいたように細まり、レーヨが瞬きした瞬間、彼女は目の前に現れた。

 何が起こったのか、レーヨにはまるで分からなかった。ただ、凄まじい衝撃波の音だけが鳴り響き、その余波を受けて吹き飛びそうになる。舞い上がる風の中、眼前にあるのは、先ほどまでレーヨとは十メートル近くは離れていた彼女だ。その琥珀の瞳が何かを確かめるようにレーヨの姿を追いかけ、不意に口元に笑みを浮かべる。湧き上がる緊張の中でレーヨがその砕けた表情に安堵したのも束の間、彼女はポツリと漏らした。

「危険よ、マスター。とても危険。椿が危ないわ」

 唐突にそんな言葉を繰り返す女性にレーヨは困惑する。彼女の言っている言葉の意味が分からない。何故、レーヨを見てそんなことを言うのだろう。そもそも、ここには椿はいない。

(なんだ……この人は、何を……)

 そんなことを思うレーヨの眼前で、彼女は何度も何度も繰り返す。危険危険、とまるで壊れた機械のように同じ言葉を口にし、最後に締めくくるようにこう言った。

「だから、マスター。私に力をちょうだい? 椿を守る力を」

「――――ッ!」

 瞬間、凄まじい悪寒に囚われてレーヨは後方へ飛んだ。見れば、隣にいた桔梗も大きく女性から距離を取っている。そんなレーヨたちを尻目に、女性は追いかけてくることはない。ただ、その一際大きく輝いた魔力を、叩きつけるようにして解放した。

 その感覚を何と表現すればいいのだろうか。身体を襲う急激な虚脱感の中、レーヨはそんなことを考える。特に何かをされたわけではない。攻撃性の持たないただの純粋なエネルギーとしての魔力を、指向性も持たずに放たれただけだ。物理的なダメージはゼロに等しく、精神も至って普通である。だが、身体が重い。まるで重石でも乗せられたような重圧がある。

 分からない。レーヨは、こんな感覚を知らない。ゆえに思考は混乱を来し、次いで迫る脅威に対処できなかった。

「ぐ……ぁ!!」

 風が吹く。それは膨大な渦を巻き上げ、徐々に小さく圧縮していき、それが限界を超えて高まった瞬間、一気に解放された。押し込められていた風は逃げ場を求めて周囲へと拡散し、その力が柊家の床を、襖を、障子を、木々で出来た建材の全てを蹂躙し尽くしていく。

 その力に呑まれ、レーヨもまた、大きく吹き飛ばされた。障子を背中で破るようにわけも分からず部屋の中に吹き飛ばされ、あり余った力が彼を縁側から外へと押し出す。固い地面に叩きつけられ、ようやく収まった衝撃に咳をこぼすレーヨが見たのは、夜の闇すらもなお暗い、暗闇そのものを喰らわんとする漆黒の魔力だった。

 空へと向かって、先ほどまでレーヨがいた付近から黒い魔力が立ち上る。それは闇を喰らってなお深く、黒く輝く黒喰の色に輝いていた。『黒喰』などという言葉はこの世には存在しないが、それこそが最もあの深い黒を表していると言える。

(何だ……何が起こってる……っ。この家で、何が起こってるんだッ!?)

 推し量れない事態に思考は混乱を来し、冷静でいられなくなる。それは、柊大和に感じていたような恐怖とはまるで別種だ。子供が幽霊を怖がるように、存在性の明確化しないものに対する未知の恐怖。理解できない事態は、レーヨからまともな思考能力を奪い去ってしまう。

 そんな中、再び風が凪いだ。それはそよ風のような動きから始まり、徐々に勢いを強めて中心部へと誘われ、程なくして再びの解放を見る。魔術としては実に単純な『空』の特性による風の操作。ただ圧縮し、エネルギーが臨界まで達したところで解放しているだけだ。だが、あれほどの力を生み出すだけの魔力量、それを御する制御能力。やっていることの単純さに比して、それはもはや並のクラティアを超えている。

 再度振るわれた風の一撃は、上方へ向かって柊家の屋根を吹き飛ばした。程なくして空に舞い上がった瓦や木材の破片が落下してくる。それをレーヨはて走って避けながら、どうすればいいのか分からなかった。この理解不能の事態に、自分は何をすればいいのか、まるで見当もつかない。ただ怯えるように走っていればいいのか、あるいはあの脅威に対処すればいいのか。

 そんな彼とは対照的に真っ先に動き出したのが、柊家に仕える使用人たちだった。中でも柊家の番を司るクラティアたちが一斉に崩壊しかけた家から飛び出してくる。その向かう先には、見晴らしの良くなったそこで立ち尽くす女性の姿があった。その背後には、変わらず黒い球を従えーーあるいは、女性そのものが黒い球に従えられながら、一目散に飛び出してくる男女バラバラの敵を見据える。

 しばらくその光景を見送り、レーヨは逃げだそうとする足を戻す。彼の勘が正しければ、あの場所にいるのは零余だ。あの黒い球体、その中にきっと彼はいる。

(だったら……助けないと……!)

 何が起こっているのかは分からない。あの女性の存在も、レーヨには謎が深まるばかりだ。そんな中で彼が感じたのは、このままで零余が殺されてしまうという漠然とした思いだった。確かにあの女性は膨大な魔力を持つが、今向かった柊家の使用人や分家の人間は、総勢十数以上。彼らは、突如として現れた彼女らに容赦はしないのだろう。そもそもがもう攻撃を受けているのだ。警告も何も無しに攻撃するだろうことは目に見えている。そうなれば、零余が死ぬ。椿の救いたかった兄が、彼女の知らぬところで死んでしまう。

(そうだ、椿は……あの子はどこに……いや、今は零余のことを考えよう)

 傾きかけた意識を戻し、何とか零余を助けようと走りだす。ぐんぐんと目前の光景に迫り、レーヨはそれを見た。

 そこにあったのは、レーヨの予想していた一方的な展開ではなかった。いや、ある意味でそれは正しい。目の前の光景は一方的で、どうしようもなく絶望的だ。

 女性へと攻撃を仕掛けた十数を超えるクラティアたちが、何も出来ずに吹き飛ばされた。まるで何かに押し戻されるように来た道を戻され、倒れたところに大小無数の瓦礫が降り注ぐ。それはもはや、戦いなどと呼べる光景ではない。ただの一方的な虐殺だ。

「なん、だよ……これ……」

 強いと弱いとか、そう言う概念を超えている。そもそも勝負が成立していないのだ。女性に向かって放たれたあらゆる魔術は、彼女を何ら害することなく、お返しとばかりに放たれた力が、彼女の敵を打ち倒していく。初撃を防ぐ者もいた。二撃目に対抗できた者もいた。だが、三、四回と攻撃を重ねるうちに限界を来たし、無様に地面に転がされる。

 そんな敵を愉しそうに眺め、女性は笑う。少女のように、天使のように、そうして悪魔のように、彼女は涼やかな声で微笑を響きわたらせる。

「ふふ、ふふふ。あらあら、なんて手応えの無い人たちかしら」

 レーヨがようやくそこへたどり着いた時、そこにあったのは彼が予想していた事態とは全くの真逆の光景だった。

 たった十数メートル。たった数秒だ。レーヨが吹き飛ばされた場所に戻るまで、ただの数秒しか経っていない。にもかかわらず、それだけの時間で大勢の人が打ち倒され、何人かの人間が瓦礫に潰れて死んだ。地面は血の赤で塗れ、崩れた建材の隙間からは誰のものともしれない腕が伸びている。その先にある指が異様な方向にねじ曲がっている様は、この場所の悲惨さを如実に表していた。

 総勢二十二名のクラティアたちを瞬く間に戦闘不能に追い込み、その中心にいる彼女の目が再びレーヨに向けられる。そこに敵意はない。だが、それを楽観視できるほど、彼の目の前の光景は優しくはない。

 意識が向いた。彼女がこちらに気づいた。その瞬間、レーヨは明確な死のイメージを想起した。

「ねぇ、マスター。まだまだ椿を傷つける敵が大勢いるわ。力を貸して」

 女性の身体から膨大な魔力が溢れだし、それは地面から巨大な刃を形作ると、呆然として立つレーヨに向かって降り下ろされた。

 その刹那、彼の前に長い黒髪と、それによく映える和装が揺れた。

 天魔事件勃発です。

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