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テレフテア・アポカリプス  作者: ほざお
第二章 失踪者
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 フォルセティから電車に乗り、歩いて三十分ほど、喧騒に包まれた学園とは違い、そこには閑静な住宅街があった。空は赤々とした夕暮れに包まれ始め、電柱に止まったカラスが乾いた泣き声を上げる。聞こえてくるのは、その泣き声だけではない。時折、街のどこかから車のエンジン音が響き、表現とはしていささか誤解もあるが、そこには生の実感がある。家々から漂ってくる味噌の匂い、風に揺られるベランダに干された衣類、その一つ一つに人の生きている確かな感触があった。

 六月特有の湿気の多い風を肌で浴びながら、俺はその物珍しい風景をぼんやりと眺めていた。ほとんどの活動範囲をフォルセティ内部で限定される俺としては、こうした普通の街並みというのは馴染みのないものである。都会化し、ビルの多く立ち並ぶ学園近辺から一転したそこには、古き良き下町の雰囲気が漂っており、感慨深いものを感じてしまう。

 思えば、こんな風に外の世界を歩くのはいつぶりだろうか。学園内にある寮で共同生活している俺と椿は、日用品の購入に至るまでのほとんどを学園内で賄っている。寮生のための設備も万端なあの場所は、娯楽施設やブランドなどを気にしなければ、およそ学園内で過ごすだけで事足りてしまうのだ。椿などは外に出てブティックなどに赴いているようだが、あいにく俺には服装にかけるほどのお洒落へのこだわりはない。学園で置いてある無地のTシャツか、あるいはネット通販で購入するだけで済まし、わざわざ外に出向くことはなかった。そのため、こんな風にして外の世界を歩き、街中にありがちな生活臭というものを感じていると、何故だか心が落ち着いていくのを感じてしまう。

 フォルセティに入学して早二ヶ月。入学前からは感じられなかった、生活環境の違いにより失われた日常が蘇ってくる。ふと通り過ぎた公園から聞こえてくる子供たちの笑い声すら、俺の胸を衝き動かす何かがあった。一つのボールを追いかけ、数人の子供がはしゃぎ回っている。ドッジボールか、サッカーか、転がるボールを必死で追いかける彼らの目には、無垢で純真な色が見てとれる。フォルセティで生きるクラティアたちからは、感じることのできない純白にも似たものがある。

 駄目だな……。

 俺は一度目を瞑り、感慨に耽りがちな自分を戒める。夕暮れの儚さがそうさせるのか、この時間帯というのは、妙な物悲しさを覚えてしまう。こんな時、恋でもいれば気も紛れるのだろうが、あいにくあの男装少女の姿はここにはない。いるのは、手帳を見ながら場所を探すカティさんと、同じく携帯で地図を参照する椿の姿だけ。恋は、何か用事があるとかで先に帰ってしまった。時間も時間ゆえに仕方ないとは思うものの、自らカティさんのレポートに巻き込んでおきながら自分だけ先に帰るとは、さすが恋である。その手前勝手な振る舞いには敬意を評し、ついでにアプリのやり取りの件も含め、いつかは目に物見せてやろう。

 とにかく今は、カティさんの目的を果たすのが先だ。カティさんも椿も、もう十分も路地裏を特定できずにいる。契里先輩から教えられた場所はこの近くのはずだが、どうにも携帯での検索は難しいらしく、ひたすら歩きながらそれに近い場所をしらみ潰しに探しているところだった。だが、どうにも見つからない。先輩が言うには、近くにマンションがあるとのことで、すでにそれは見つけてある。しかし、入り組んだそこには、路地裏に入れるような箇所は見つからなかった。仮に見つけたとしても、猫がようやく入れるような隙間だけ。とてもじゃないが人間が帰り道に使うようなものではない。

 こんなことなら、契里先輩の正確な住所も聞いて置けばよかった。カティさんに質問内容の全てを任せていたが、俺の方である程度コントロールしておくべきだったかもしれない、と少し悔やまれる。しかし、後悔先に立たず。今は少しでも早く契里先輩の失踪現場を発見し、カティさんを満足させ、さっさとこの面倒な調査に一区切りをつけよう。

 それにしても奇妙な話である。契里先輩の言っていたマンションは特定できているのだ。路地裏はその近辺にあると言っていた。であるならば、時間をかけても見つからないというのはいささか疑問が残る。携帯まで使い、歩いて探しているにもかかわらずだ。そこまで難航するようなことではない。だが、目的の場所は未だに見つからずにいる。

 俺は立ち止まり、周囲を見渡す。先を歩く二人が足を止めた俺を怪訝そうに見てくるが、特に何も言わず、辺りに目を走らせた。

 先輩の言っていたマンション。立ち並ぶ住宅。寂れた自販機。放置された自転車。電線にカラスの止まった電柱。

 特にこれと言って変わった様子はない。いかにも普通の光景である。だが、何か違和感を覚えてならない。その正体は分からないが、この光景には先と比べ何かが欠けているのだ。

「……人が、いない」

 そうだ。人だ。

 自分で口に出してみて、ようやく合点がいく。声はある。匂いもする。遠くで車のエンジン音も聞こえてくる。だが、この近くに来てから人を一人も見ていない。人の生活を感じるにも関わらず、生きている人間は目にしていないのだ。時間帯を考えれば、これはおかしくはないだろうか。

 例えば、マンションの自転車置き場がここから見て取れる。そこには当然、自転車が置いてあり、その自転車には学生に配られる自転車通学許可のシールが貼ってある。それだけではない。真向かいにある家のベランダ、そこには体操服が干してあった。その隣には、幼い子供用とも思われる自転車がある。

 時間帯を考えれば、部活動の学生や遊びに出た子供たちが帰ってきていてもおかしくはない。だが、そうした子供一人見ていないとはどういうことだろう。ここに来るまでにはそうした者たちを目にしているのに、この周囲一帯には全く見当たらない。

 疑問は加速する。おかしいと思えば思うほど、人のいないこの状況が不気味に思えてならない。これは本当に偶発的なものだろうか。たまたま時間帯が合わなかっただけ、と言えばそれまでの疑問だ。俺たちがここに来てから時間は十分ほどしか経っていない。その間、人が一人も通りを通らないと言うのはあり得ないことではないだろう。

 だが、それは一意的な物の見方だ。固定観念に捕らわれ過ぎるな。あらゆる可能性を考慮した方がいい。ここは、人が失踪したと思われる場所の近くなのだから。

「兄様、どうかしましたか?」

 椿が近づいてくる。動きを止めた俺をいぶかしんでのことだろう。俺は真剣になりかけた自分の表情を崩し、努めて軽やかな態度で応じることにする。今は、余計なことを言っても不安を煽るか、あるいは心配し過ぎと笑われるのがオチだろう。事態が動いてからでは遅いが、まだ契里先輩の言っていた路地裏へ着いたわけでもない。そこまでは、まだ安全の猶予があると考えて良いはずだ。

「いや、ちょっとぼーっとしてただけだ。それより、今日はもう帰らないか?」

 二人に近づき、俺はそう提案してみる。カティさんも椿もやる気のようだが、時間も時間だ。もしかしたら、ここらで諦めてくれるかもしれない。

 そう思ってのことだったが、二人は諦めるつもりはないようだった。

「却下。ここまで来たんだし、それにまだ日が暮れるには時間もあるじゃない」

「ですね。今さら帰ったら本当に徒労に終わってしまいますよ、兄様」

 二人の目に帰りたいというような意思は見受けられない。二人だって疲れを感じているだろうに、やる気が満ち溢れているようでこれはこれで評価するべき点なのだろうが、それに巻き込まれることを考えれば中々素直に受け止めきれない。しかし、二人の言も一理ある。このまま帰ったとしても、明日またここを訪れる。危険性を感じるのであれば、上辺の説得は無意味だろう。かといって二人を納得させる明確な理由もない。ここは、とにかく警戒だけはしておこう。俺程度の警戒に何の意味があるのか甚だ疑問だが。

「んじゃま、もうちょっと探してみますか。けど、このまま探しても埒が明かないな。魔術を使って探してみることはできないのか?」

 足で探しても駄目。文明の利器を使っても駄目。残される便利な力といえば、後はそれだけだ。魔術の中には、探索に特化した術もあると効く。俺にそんな便利な力はないが、二人はどうなのだろう。

「探索魔術なんて私は専門外よ」

 カティさんの返答は、半ば予想通りだった。コロッセオでの戦いに探索は想定されていない。コロッセオでの戦いに憧れるカティさんが目を向けるような代物ではないだろう。いや、そもそもが探索系魔術の特性には『空』が含まれていたはずだ。特性相性の悪いそれを習得しているとは思えない。可能性があるとすれば椿だ。

 俺は期待を込めて椿を見る。だが、妹の表情は何とも言えない曖昧なものだった。

「一応、使える術はあるんですけど、見たこともない場所だとどうにも……。人や物を探すのと違って、はっきりとしない場所ですし」

「それは、探し出すことは難しいってことか?」

「そうなります」

 申し訳なさそうな表情を浮かべる妹の頭をポンポンと叩きながら、俺は八方塞の現状に陰鬱な気分が広がっていくのを感じる。このままだと本当に日が暮れてしまいそうだ。

 何かないだろうか。この現状を打破する便利な方法――そうだ。

「帰ろう」

「戻ってる。話が戻ってるわよ、柊くん」

「――とまぁ、冗談はさておいて」

 さすがに帰ろう帰ろうなどと幼児のように駄々を捏ねるつもりはない。しかし、自分で思いついたこととはいえ、これは可能性としてあり得るのだろうか。俺にはそれを確かめる術がないため、二人に尋ねてみるしかなかった。

「もしかしたら、何か理由があって見つけられないんじゃないか?」

 初めて行った場所で目的地を見つけられない。これは侭あることだ。だが、シンボルとなる目標物まで教えてもらい、携帯まで使い、おまけにしらみ潰しに歩いても見つからない。これは、少し自分たちの能力以外のものを疑問視するべきだろう。考えてみれば、俺たちが探しているのは失踪事件のあった場所だ。それも優秀なクラティアに何らの力を感知させることもなくあっさりと捕まえるほどの人間によって起こされた事件である。そんな相手が、自分の手掛かりを残す可能性のある場所をそのまま放置するだろうか。正直、ここは微妙なところだ。優秀であればこそ、手掛かりを一切残していないがゆえにそのまま残している可能性もある。

 だが、現状、その場所は全く見つからない。何でも試してみるべきだ。

「理由、ですか?」

「そう。魔術で隠されているとか、さ」

「場所を丸々ってこと? それは少し考えすぎじゃない」

 カティさんは、半信半疑と言った感じが口調の端々に表れている。その気持ちは尤もだが、一先ず彼女は置いておこう。隣に並ぶ椿は、対して顎先に指を添え、何かを考えるような仕草をしていた。その目はチラチラと周囲へ動く。まるで何かを観察するかのようなその動きは、俺には視えない何かを正確に捉えているのだろう。

「人が……いませんね、全然」

 椿がポツリと漏らしたのは、俺がさっきまで感じていた違和感そのものだ。しかし、その意味合いは俺のものとは少し違う。俺のそれは、周囲一帯の目に見える範囲のものに限定される。だが、椿は違う。その目は、すでに普段の穏やかなものから真剣なものに変わっていた。

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