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テレフテア・アポカリプス  作者: ほざお
第一章 天児
159/215

 見上げた空が深く、黒く、夜闇に包まれている。

 柊家に与えられた自室で一人、何をするでもなくそれを眺めていた少年は、手元にある携帯で今まで話をしていた少女を思い、そっと目を閉じた。

 現利愛。少年にとって、六年前に初めて出会い、今年になって椿を通じて再会し、ここ一週間で急速に距離を縮めていった、彼の恋人。山吹色の髪が特徴的であり、能天気な振る舞いとマイペース、独特な話し方が印象深い、けれど同時に多分な愛らしさを含んだ彼女と、保健室での彼女からの告白の後、家に帰ってからもずっと話し続けていた。少年にも利愛にも、おそらく話したいことがたくさんあったわけではない。ただ、何でも良かったのだ。お互いの声を聞き、それを身近に感じられるのなら話の内容には頓着しなかった。

 本当に何でもないことばかりを話した。

 昔のことから始まり、テレビや音楽、最近の映画から趣味などなど、その中で利愛は笑い、少年も笑っていた。精一杯、少年も笑った。

 そうして話を終えた今だからこそ、彼はその記憶を思い返し、一つずつ噛みしめていく。自分にとってのそれは、彼が柊零余ではなく、『レーヨ』となった証なのだ。彼女から与えられ、人であることを認められた証。それだけあれば、少年には十分だった。

 レーヨは目を開く。彼は今、ある一つの決意をした。彼が守りたいと最初に思った少女のため、命を懸ける。それを『零余』としての最後の責務として全うしよう。それを終えることで、彼は零余から『レーヨ』として生まれ変わる。

 最後に携帯を机に置き、レーヨは与えられた自室から外に出た。月明かりに照らされる廊下を歩き、玄関の方へ向かう。その道すがら、彼は意外な人物に出くわした。

 柊桔梗、椿と零余の実の親であり、椿と実によく似た顔立ちをした女性だ。柔和な面持ちは零余や椿に継承され、彼らが持つ穏やかな印象の基ともなっていると思われる彼女。レーヨを無視してきた使用人たちとは違い、レーヨを『零余』として扱わず、無視した人物である。つまり、彼女は彼女でレーヨと言う存在を認めた上で無視していたということなのだろう。そのためか、レーヨは、彼女に対してそれほど不快感は抱いていない。彼女はある意味で、レーヨの親友である零余を肯定し、レーヨ自身もまた肯定していたと言えるのだから。

 だからこそ、聞きたいことがある。

 普段は畏れ多くて口も利けない相手だが、何となく衝動に突き動かされ、レーヨは声をかけてみることにした。

「桔梗さん」

 名を呼ばれ、桔梗が振り返る。その目はしっかりとレーヨに焦点を結び、彼が今までに見たことのない穏やかな色を浮かべていた。その作りものめいた視線を浴びながら、少しだけ感じた緊張にごくりと唾を飲む。

「何かしら?」

 尋ねる声からは険を感じ取れず、今までの態度が嘘のようにも思えてしまう。何故、彼女がこれほどまでにレーヨに対する態度を変えたのか。おそらくは、椿が本当の零余の存在を知り、桔梗にとってレーヨがただの少年に戻ったからだろう。彼女がレーヨを嫌っていた理由は、零余のふりをしていることにあったのだ。

 レーヨは、一瞬だけ何を言うべきか迷ってしまう。聞いてみたいことはたくさんあるのだ。椿のこと、零余のこと、桔梗はどう思っているのか。あの双子の産みの親として、大和の義姉として、彼女は何を思い、どんな考えであのような実験を許したのか。そのどれもが聞いてみたくて、けれどそのどれもを聞くことを躊躇われ、レーヨはあるたった一つの質問を投げかけた。

「あなたは今、幸せですか?」

 その質問に、桔梗は目を見開く。よもやそんなことを聞かれるとは思わなかったのだろう。明らかに狼狽した様子で口を開きかけ、すぐに真一文字に引き結ぶと、何かを落ち着けるように目を閉じてしばらく深呼吸する。少ししてから、彼女はレーヨに逆に問いかけた。

「質問の意図が分からないわ。あなたが私にそんなことを聞いてどうするのかしら?」

 どうするのか、それはレーヨにも分からない。ただ、興味本位で聞いたわけではなかった。様々な質問の果てにたどり着いたのが、その究極的な質問だった。

 息子を実験体に提供し、娘にそれを(なじ)られ、それでも幸せですか、とレーヨは聞いたのだ。そこに侮蔑でも込めればまた意味合いが変わったのだろうが、レーヨは純粋な質問として問うた。

 柊家は、狂人が多くいる。だが、桔梗は柊の外から来た人間だ。彼女が狂人たちの中で何を見たのか、レーヨはまるで知らない。ただ、もしかしたら、とも思うのだ。レーヨがここを訪れたのは、桔梗に手を引かれてのことだった。彼女に救われ、助けられたレーヨは、この柊家で狂人たちを見せられた。そんな中で精神は歪に形成されていった。

 もしかしたら、桔梗もそうなのではないだろうか。柊と言う者たちの中に己を溶け込ませ、狂うことで柊の人間足り得ようとしたのではないだろうか。零余や椿たちの持つ柔和な笑みと瞳の奥に宿る穏やかさを彼女にも見るからこそ、レーヨはそんなことを考えてしまう。

「いえ……ただ、あなたにとっての幸せが、柊の幸せでないことを祈ります」

「あら、優しい。でも、安心して。私の幸せは、柊の幸せじゃない。私の幸せは、椿が健やかに、柊の娘として立派にあることよ」

 椿――桔梗は、そこに零余の名前を挙げなかった。その理由は、レーヨの知るところではない。彼を息子として見ていないからか、あるいは何か別の意図があってのことかは分からないが、桔梗の幸せは椿にだけ向いている。

 健やかに、柊の娘として立派に。レーヨは思う。どちらも椿が聞けば発狂しそうな発言だ。今の彼女は、柊家全体で兄に行った実験体としての扱いに憤慨し、彼らに殺意に近いものを抱いている。彼女はもう、二度と柊の利益となるようなことはしないだろう。それは、椿に殴られたと言う桔梗にだって分かっているはずだ。

「椿は、柊の娘で居続けると思いますか?」

 桔梗は和服の裾を口元に当て、上品に笑う。何を馬鹿な、と言わんばかりの仕草だ。彼女の中で、何か確かな椿に対する信頼があるのだろう。

「椿は、私の娘よ。何があってもそれは揺るがない。あの子は柊で在り続ける」

「それは、椿の幸せではないですよ」

「なら、椿の幸せとは何かしら?」

 レーヨは、次の言葉に迷ってしまう。いくつかの答えが浮かび、それは形を為さずに消えていった。

 椿の幸せ。彼女が求めるもの。

 そんなものは一つだ、と安易な答えが浮かぶ。それは兄を救うこと。だが、その答えは一意的なものでしかないのではないか。椿にだって夢はあるだろう。将来的な目標があるだろう。目指すべき未来があるはずだ。兄のためにそれを不意にする覚悟で、果たして柊を捨てることが出来るだろうか。柊を捨ててしまえば、彼女は救う者の誰もいない世界に放り込まれることになる。かつてのレーヨと同じように、頼るべき者が誰もいない世界で、己の存在すらも証明できないままに当て所もなく彷徨うこととなる。

 これを果たして幸せと呼べるだろうか。

 少なくとも恒久的なものではない。いずれ限界が来る。零余を支える身体は、いずれ自重と彼の重みに耐えられなくなる。

 ――つばきをたすけあげて。ささえてあげて。

 かつての零余の言葉が思い起こされる。レーヨは、彼と固い約束を交わしたのだ。何があっても椿を守る。どんなことがあっても彼女を救う。ならば、彼女を不幸に陥れるような未来は描かせてはいけない。一方で彼女に一つの可能性を諦めさせてもいけない。となれば、やはり零余のやることは一つしかない。

 そうして描いた道行きの先にある椿の幸せ。それは、ただ一つ。

「あの子が笑顔でいることです」

 笑ってさえいればいい。絶望の中でも、希望の中でも、人は笑ってさえいればいい。笑顔を浮かべられるのであれば、どんな暗い状況からでも立ち直れる。心があるなら、感情が揺れるなら、笑うことが出来る。地獄の奥底で笑顔を奪われた少年のようになってはいけない。

 椿の幸せ、それは彼女が心の底から笑顔で居られる道行きの果てにある。

「椿が笑ってくれるなら、俺は満足です」

「それはあなたの幸せじゃないかしら?」

 そうだ、とレーヨは心の中で肯定する。桔梗の発言は的を射ている。的確で、けれどその質問は愚かしいとさえ言える。

 人は人、己は己。他者が人を考えるとき、私情を挟まずに見ることは不可能だ。その人の行動だけで見たとしても、その行動に対する個人個人の評価や意見が別である以上、どうしても己のフィルターを通して誰かを見る。ゆえに桔梗の質問に意味はない。人が誰かの幸せを願うとき、そこにあるのはただの押しつけがましい願望であり、己の幸せに他ならない。

 レーヨは、椿に笑っていてほしい。彼女個人の願いがそこになくとも、いつの日も笑っていてほしい。

 暗闇の中でもがいた少年がいた。その果てに心を壊した少年がいた。もう笑えなくなった少年がいた。

 レーヨは、そんな彼を知っているからこそ、同じ顔で、かつての彼のように笑える彼女には、笑っていてほしいのだ。

「まあ、いいわ。あなたのその願い、悪くないもの。椿の笑顔は、親の私も望むところよ」

 何の臆面もなくそう言い切る桔梗の姿にいっそ清々しいものを感じながら、レーヨはその隣を通り過ぎていく。久々に言葉を交わした柊桔梗は、やはり変わっていない。あの頃に出会ったまま、どこか壊れたようでいて、どこかしっかりとしている。捉えどころのない彼女が目指す先など、レーヨには分からない。ただ、一時は彼女の息子として在り、この柊家に連れてきてくれた彼女にほんの少しだけ感謝しよう。言葉には出さずとも、心の中で秘めておこう。

「ねぇ……」

 だが、レーヨが桔梗の隣を通り過ぎる瞬間、押し殺したような声が耳に届く。それはか細く小さな、けれど確かな音となってレーヨの耳を打った。

「あの子は、元気かしら……?」

 思わず、本当に思わず、レーヨは桔梗を罵倒しそうになる。この後に及んでこの人は何を言っているのだろうか。あれほどの実験を繰り返して、あんな男に手渡して、無事であるはずがない。元気であるはずがない。

 抱いた感謝の念も吹き飛び、痛めつけられ続けた零余の姿が脳裏を過ぎる。

 その時、かっと熱くなった頭を冷ますように、それは起こった。

 柊家全体を揺らすような大震動が巻き起こり、レーヨは思わず膝を着く。桔梗も同じように地面に倒れながら、呆然とした面持ちで周囲を見ていた。木造家屋の剥き出しの木材が震動によって激しく震え、障子がビリビリと揺れ動く。左右に揺さぶられる凄まじい感覚は今までにないほどのものであり、二人の頭に地震という言葉が浮かんだ。これほどの揺れであれば、誰しもがまず真っ先にそれを思い浮かべる。

 だが、それは程なくして否定されることとなった。左右に揺れ動く震動の中、夜の静寂を引き裂くような轟音が鳴り響いたのだ。それは、何かが砕け散る音に似ている。続いて土砂が大量に流れるような猥雑な音が鳴り響き、震動が収まる頃になって、それは感じ取れるほどにはっきり強くなった。

 同時に、レーヨはある感覚を敏感に感じ取っていた。

 肌を突き刺すような、背筋を悪寒が走り回るような、全身を上下左右の全てから押しつぶされるような圧迫感。喉が干上がり、息が苦しくなり、心臓が痛い。足はガクガクと震え、それが怯えによるものだと認識した時、レーヨは確信した。

 この感覚、これは魔力による感覚だ。それも生半可な力ではない。蛇口から急に水が噴き出したような、それをより巨大な穴にして、そこから水が飛び出してくる感覚と言えばいいのだろうか。噴き出した水が辺りに飛び散り、その余波を浴びた身体が水流に飲み込まれてどうにもならなくなる。これもそれだ。突如として噴き出した膨大な魔力の波に身体が呑まれ、しばらく身動きが取れなかった。

(こ、れは……なんだ? この家で何が起こってる?)

 理解の追いつかない事態の中、レーヨは桔梗を一瞥する。彼女の瞳には怯えはなく、何かを警戒するように壁――その先にある何かを見ていた。その方角の先にあるのは、柊大和が地下研究所の入り口として使っている離れの小屋だ。

 桔梗は、優秀な探知能力の持ち主だ。その彼女の鋭敏な感覚が、何か不吉なものを感じ取っているのかもしれない。

(なんだ……何が、何がいる……?)

 桔梗のその様子に恐怖し、レーヨが視線を向けた先で、突如として壁が吹き飛んだ。突風のようなものが吹き荒び、風に煽られる中、壊れた壁がどこかへと飛んでいく。風通しの良くなったそこから見えたのは、一人の女性の姿だった。

 桔梗さんは読み切れないですね~。

 椿だけを愛しているのか。零余のことも気にかけているのか……。

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