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テレフテア・アポカリプス  作者: ほざお
七月七日 産声
153/215

 予想外の衝撃波に防御も何も出来ずに吹き飛びながら、椿はそれを為した少女を思う。口調に一貫性が無く、話に要領を得ない彼女。だが、その陽気さと能天気さは天性のもので、彼女は時としてそれらを用いて周囲が考えもしないようなことをしてみせる。学年選抜戦の初戦で戦いもせずに試合を終えたように、椿の母親である桔梗に堂々と啖呵を切ったように、そして今、椿を打ち倒してみせたように。

 身体はまだ動く。柊によって鍛えられた彼女の身体は、仮にあのアコスティコ・フォルツァと言う衝撃波の一撃を生身で受けても立ち上がることを可能とするだろう。だが、この学年選抜戦の勝利判定は防護服のダメージによって決まる。椿の予想では、すでに防護服の許容量を超えた一撃を浴びているはずだ。となれば当然、彼女の敗北は免れない。

 負けた――あの利愛に、それを支えるあの少年に。椿は負けてしまった。

(おにいちゃん……)

 記憶の中にある兄にそっと呼びかける。それは、椿が幼少の頃に呼んでいた呼び名だった。だが、それはいつしか廃れ、彼女は「兄さん」と呼ぶようになった。きっとその頃には、あの「レーヨ」と名乗り始めた少年が彼女の兄の振りをしていたのだろう。『識』の魔術で椿を騙し、彼女の兄の座を奪い取った。

 紛い物だ。彼女の中にある兄と過ごしてきた記憶のほとんどが、紛い物だ。

 椿が零余と出会ったのは、四歳か五歳になる頃だ。その時からそう間を置かずに零余の嘘の死を知らされた。それから六年、彼女は兄でもない男を兄と呼び、傍に寄り添い、助けてみせると口にしていた。とんだピエロだ。滑稽すぎて笑えてくる。

(私の人生って……今までって、何だったのかな……)

 兄を救いたかった。悲惨な運命にある兄を、柊の家から守ってあげたかった。自分と同じ日に産まれた双子の半身だからこそ、その思いは何より強く、それはその真実を知った時からずっとあった椿の想いだ。だが、彼女が守ろうと必死になっていたのは、ただの偽者だった。柊家が彼女の言葉に耳を貸さなかったのも納得だ。そもそもが零余ではないのだ。父も母も、使用人たちも、あの少年を零余として扱う義理が無い。意味も無い。そんな彼らからすれば、騙されたままだった椿の姿は、どう映っていたのだろうか。

 騙されているとも知らずに兄の救いを願う哀れな少女?

 滑稽な振る舞いを続ける道化?

 どうでもいい。そんなこと、椿にはどうでもよかった。もう、何もかもどうでもよかった。自分が生きてきたと思っていた人生に何の意味も無く、あの暗闇の孤独にいる本当の兄を救う意志さえ、利愛の一撃によって曖昧なものと化してしまった。

 友人一人救えないで、利愛のような中学生相手に負けていて、自分に何を守れると言うのだろう。兄の敵は多く、強大だ。利愛などよりもずっと強い人たちが兄を虐げ、利用している。そんな彼らを降すほどの力を、椿は持っていない。

 視界が涙で霞む。悔しくてどうしようもなくて、情けなくて泣けてくる。

 その濁流するような想いの中、椿の目がふとあの少年の姿を捉える。彼は、観客席の方から椿に視線を向けている。宙を舞う椿を見つめ、不安げに瞳を揺らしている。

 何故だろう、と椿は思う。そんな目を向けるなら、自身の力の余波を受けた利愛の方だろう。騙されているなどと繰り返したが、あの少年が少なからず利愛に惚れていることなど、椿にだって分かっている。それはきっと、あの初めて出会った六年前から続いていることなんだろう。

 それでも、椿は利愛を救いたかった。あの少年の周囲を取り巻く環境は、きっと過酷だ。そんな彼に寄り添い続ければ、利愛はいつか後悔する。椿のように彼を救えない己を呪い、無力を噛み締めることだろう。だから、椿は利愛から彼を引き離したかった。だが、二人の想いは強く、意志は固かった。それは、椿を降してしまえるほどに大きなものだった。であるなら、どうして彼は椿の方を見ているのだろう。どうしてその瞳を揺らし、何かに耐えるように唇をギュッと閉じているのだろう。

 ――どうして、そんなにも心配そうに自分を見ているのだろう。

 椿にだって酷い言葉を吐いた自覚はある。最低な言葉を叩き付けたと思っている。嫌われてもいいと言う思いで、胸の内を吐き出したのだ。なのに、どうして彼は椿の安否を気にするのだろう。

 その時、椿の頭の中にある光景が蘇る。

 それは六年前、椿が零余の死を聞かされ、何事にも気力が湧かず、食事すらも誰かに口に運んでもらわなければ侭ならなかったあの頃。

 一人の少年が椿の部屋の障子を開け、中に入ってくる。その少年は見たことも無い顔立ちをしていて、真っ直ぐに椿の下まで歩いてくると、何かを決意するように深呼吸し、真剣な表情で言うのだ。

 ――れいよとやくそくした。つばきを守る、たすけるって。だから、だから今から、おれがつばきの兄さんだ。

 彼は、そうはっきりと宣言した。

(ああ……なんだ)

 椿はふと気づく。間違っていたのは、自分だったのだ。彼は何も騙してなどいなかった。椿に向かってはっきりと、自分は零余の代わりに兄になるとそう言ってくれていたのだ。

 『識』の魔術は、対象の認識や精神に作用する。だが、それは何年間も続けられるような強力なものではない。一種の催眠と同じで、そう促すに足る原動力が必要なのだ。椿が少年を兄と思うだけの強い想い。それは、少年が椿に植えつけたものではなかった。

 椿が勝手に思い込んだのだ。

 兄の死に耐えられなくて、心が壊れそうで、だから、兄になってくれると言ってくれた彼に縋った。頼り、抱きつき、兄と呼んだ。

 本当に馬鹿だ、と椿は思う。大切な本当の兄を忘れていたのは自分で、他の誰かを兄と誤解したまま納得させていたのも自分で、その愚かさの果てに、ずっと零余の代わりに椿の兄として振る舞い、守り、助けてくれていた大切の人さえも傷つけた。

(私……どれだけ馬鹿なの……っ)

 押し迫る後悔に涙が零れ、硬い床に身体を打ち付けた時、椿は大粒の涙を零した。湧き上がる歓声などまるで耳に入らず、霞む視界の中、敗者となった椿を見守る少年を見据え、止め処ない涙を溢れさせた。

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