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テレフテア・アポカリプス  作者: ほざお
七月六日 真実
146/215

 椿が家にたどり着く頃、ちょうど時刻は正午を過ぎた頃合となり、少しだけ空腹を感じるようになっていた。収まりの着かない腹の虫に耐えつつ、そこを撫で擦りながら大きな柊家の門を潜ると、石畳で繋がった道を歩いていく。時折通り過ぎる使用人は一様に椿に頭を下げ、それに何を返すわけでもなく、椿は玄関の前までたどり着いた。そのまま扉を開こうとして、それよりも早くそれが開けられる。咄嗟のことで驚く彼女の眼前に現れたのは、つい先日見たばかりの彼女の叔父の姿だった。

「おや?」

「大和さん?」

 その姿に驚き、椿は思わず声に出して尋ねてしまう。何故なら、この叔父と言えば、研究が趣味で生き甲斐のような人間なのだ。柊家にも色々と変わり者はいるが、そんな中でも特にその血を色濃く受け継いだ人間と言える。その研究振りは凄まじく、屋敷の地下に自身の研究所を造り、そこにこもって出てこないほどののめり込みぶりなのだ。

 そんな研究に生きる男、柊大和と二日も連続で顔を付き合わせる。それは、椿にとっては中々に驚くべき事態だ。そんな彼女の驚きの意味を察したのだろう。彼は朗らかに笑い、ここいる理由を話し出す。

「試合、観に行ったよ。相変わらずの守り勝つスタイルは健在だね。お見事」

 その言葉で椿は思い出す。確か昨日、大和は椿の試合を見るために学園へ訪れたのだ。なるほど、椿の試合を観るために外に出てきていたらしい。そのことに少しだけ心を弾ませながら、椿は師匠とも言える叔父に謙遜したように言う。

「それほどでもないよ。でも、観に来てくれてありがと。兄さんなんかリナとイチャイチャして」

「リナ? はは、そう言えば零余の姿は見なかったね」

「でしょ? ほんっと兄さんってば……でも、これで良かったのかな」

 不意に椿の頭に先の零余の顔が思い出される。利愛と何があったのか分からない。だが、どこか吹っ切れたように見えたのは椿の気のせいではないだろう。あの利愛もまた、何か大きな決意を秘めていた表情をしていた。どちらも共に、試合前に観た姿とはどこか違っている。きっと、椿が試合をしている間に二人は何かを伝え、確認したのだ。椿でも踏み込めないような何か、大切なそれを。

 そんな椿の様子に気づいた大和が、その肩を優しく叩く。

「何かあったのかい?」

 問う声音も優しく、椿はそれに甘えたくなるが、今は(かぶり)を振って止めておいた。この強い気持ちから来る反動を、何か別のもので慰めたくは無い。これは原動力だ。彼女が明日勝つために大事に取っておかなければいけないものだ。

 顔を上げ、椿は大和に笑んでみせる。それは花が咲く予兆を思わせる、蕾から花開く瞬間の萌芽によく似ていた。その美しい微笑に大和は目を奪われ、しばしの間硬直してしまう。

「ううん、何でも。それより大和さん、明日は私、優勝するよ。だから観に来て。ね?」

 固まる大和に向かって椿はそれを告げると、脇を通り抜けていこうとする。だが、その動きを大和は引き止めた。その瞳の奥で濁った何かが蠢き始め、常のように浮かべていた微笑が変質を来たしていく。笑顔は笑顔でありながらも善性のいくらかを溶かし始め、はりぼてのそれはすぐにでも彼本来の色に取って代わった。そんな変化に気づかず、椿は引き止めた彼を訝しげに見る。その視線の先には、未だ椿にとっては優しい叔父の姿が浮かんでいた。

「ねえ、椿。君の兄に会いたくないかな?」

「兄さんに? 帰ってきてるの?」

 椿は小首を傾げる。確か利愛たちより先に学園に出て真っ直ぐに帰ってきたと思われたのだが、兄は自分よりも一足早く家に戻っていたのだろうか。

 不思議に思う椿をよそに、大和は一度頷くと、有無を言わさず椿の手を引いてしまう。その強引さに呆気に取られながら、椿は慌ててそれを止めようとする。

「ちょ、ちょっと、大和さん! 私、別に兄さんに会いたいわけじゃ――」

「来た方が良い。これは君にとって大切なことなんだ」

「大切なことって……もう、強引過ぎるよ」

 半ば無理矢理に引っ張られる形で連れられることにため息を零しながら、仕方ないと椿は割り切ることにする。こうなっては変わり者の叔父は止まらないだろうし、それにその言葉の意味も少しだけ気になる。だが、兄に会う、とはどういう意味だろうか。椿は、ほとんど毎日のように兄と顔を突き合わせているのだ。今さら会う会わないも無いだろう。

 大和は、椿を引っ張ったままどんどんと柊家の敷地を進んでいく。そこは、本家から離れた場所にある小さな小屋だ。そこは普段、大和が研究所として使っている地下への入り口となっている。小屋の扉は固く閉ざされ、そこからは何とも言えない異様な雰囲気が漂っている。

「ここ、大和さんの?」

「そう。椿は、来るのは初めてだったね」

 扉の錠を開け、開かれた先にはあるのは、何てことの無い光景だ。ただ地下へと続く階段だけがあり、その先は暗がりへと続いている。太陽から差し込む光によってわずかに照らされたばかりのそこは、昼間とあっても薄暗く、少しだけ不気味な印象を受けた。

 暗闇に包まれたそこにわずかに息を呑みながら、椿は予てより抱いていた疑問を思い返す。この先、柊大和が個人で与えられた研究室の先には、何があるのだろう。零余などはよく大和の手伝いで赴いているそうだが、椿は一度として来たことが無かった。

「ホントに地下なんだね」

「まあね」

 どうぞ、と促され、椿はゆっくりと一歩前に足を踏み出した。そのまま暗がりへと続く階段を覗き込み、誘われるように一歩ずつ下へ降りていく。背後からは大和が続き、響き渡る足音だけが反響していくうち、徐々にだが光らしきものが見えてきた。それはよくあるランプや蝋燭といった雰囲気のあるものではなく、普通の人工的な明かりだ。明々と輝くそれによって照らされたそこは、岩肌のごつごつとした如何にも印象を受ける場所であり、階段を降りきった先には、左右に広がる通路が伸びていた。

「右だよ」

 後ろからそう言われるまま、椿は右へと歩みを進めていく。不思議なのは、これほどに岩肌が露出しているにもかかわらず、埃や砂っぽさはまるで無く、虫の一匹とて見受けられないことだ。自然物ではないのだろうか。思わず伸ばした手が触れる感触は本物のようであるが、そこは椿には分からなかった。ただ思うのは、汚く見えるけど十分な清潔感のある空間、と言った感じだ。研究室と言うのだからそれも当たり前のような気はするが。

 椿が大和の指示に従って右に真っ直ぐに進んだ先には、一枚の扉が待っていた。硬そうな錠の付けられたその先は窺い知れず、ただ何となく、椿は嫌な感じだけを覚える。ここだけ何故か、足を竦ませる雰囲気を醸し出しているのだ。伸ばしかけた手が震え、ギュッと胸元に抱いて一歩後ずさる。その拍子に背中で大和とぶつかり、見上げた先で彼が歪に微笑んでいた。

「ほら、開けて」

 促され、しばし椿は迷う。この扉の奥から感じられるこの忌避感は何だろう。彼女の本能が警鐘を鳴らしている。この先を開けてはならないと、そう告げている。だが、椿に逃げ場は無かった。重たい扉と背後の叔父に遮られ、行き場も無く惑い、唾を飲み込んで緊張を解きほぐす。勘違いだろう、そう己に言い聞かせるまでにさして時間はかからず、伸びた手が扉にそっと触れた。

 特に何も無い。当たり前だ。ただの扉である。そのことに安堵し、椿はそれを押し開いた。

「なに、ここ……」

 そこに広がっているのは、ベッドと様々な器具、テーブルが並んだだけの簡素な部屋だった。特にこれと言って特筆すべき点は何も無く、そのあまりの普通さに椿は拍子抜けしてしまう。しかし、それはすぐに意見を変えた。部屋の隅、椿たちから見た右奥のそこに、何か柵のようなものが見えるのだ。天井と地面を貫くように降りた杭のようなものが均等に並び、出入り口らしいそこには錠前が見える。その様は、まるで檻を思わせる光景だった。何か、危険な動物でも飼っているのだろうか。

「あれだよ」

 背中を押され、椿は一歩ずつ進んでいく。その度に嫌な汗が噴出していくのを椿は感じていた。何故か、前を行こうとする足は震え、押された背中の圧力に抗ってしまいたくなる。喉は緊張で干上がり、地下の涼しさとは裏腹に頬を汗が伝い落ちていく。

 何だろう――そう、異臭だ。

 椿が嗅いだことの無いすえた臭いがする。その臭いが一歩進むごとに徐々にきつくなり、同時に耳に何かをカリカリと引っかく音が連続して木霊するのだ。それが明瞭な音となって聞こえてくる先で、それはいた。

 その光景を見た瞬間、椿は悲鳴を上げそうになった。

「な……に、これ……?」

 そこには、子供がいた。髪は長く、地面にまで届かんばかりに伸び、それが顔を隠しているせいで素性は分からない。ただ、その見た目は不気味な一言に尽きた。

 その少年は、手足と胴体、それら全ての色がまるで異なっていた。胴体はまるで日に当たったことが無いように白く透き通っているにもかかわらず、右腕は浅黒く小麦色に焼け、左腕はそれよりもさらに黒光りしている。右足は一方でやや胴体よりも少しだけ黒いと言った程度。黄色人種特有の黄色を有しており、左足は白さは際立つものの、胴体ほどではない。それら総じて不気味な印象を受けるが、何よりも顕著なのは、それらの長さが全くのバラバラであると言うことだ。右腕も左腕もどちらも長さも大きさも異なり、地面に投げ出された足に至っては十センチ以上の差が出ている。その両手両足の境目は歪な縫い目を際立たせ、それを持つ子供は脱力するように身体を投げ出し、音にならない不明瞭な声を発しながら、ただ一心に床を掻いていた。それが先ほどまで聞こえてきた不気味な音の正体だ。

 それを見つめ、そこにある光景を目に入れ、椿は口元を覆った。どう考えてもまともな光景じゃない。日常的に見るそれとは一線を画している。

(なに……これ? 何なの……これ……ッ!?)

 パニックに陥りかける思考の中で、叔父の言葉だけが明確な響きとして聞こえてくる。




「ほら、君の妹が会いに来てくれたよ。――零余(、、)




 檻の中に囚われた子供の瞳が髪の隙間から微かに覗き、よく似た椿の瞳と交錯した。

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