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テレフテア・アポカリプス  作者: ほざお
七月六日 真実
145/215

 そんな風にして手を握られ、利愛の方も花を見据えながら、その手の感触に意識を傾ける。そこから流れる血管、その先で感じられる零余の脈動が、確かな想いの形となって表れる。

(たぶん、私の気持ち、零余に届いてるよね)

 利愛がこれほどまでに強く、大きく感じてしまうのだ。零余の方も、利愛の想いなど筒抜けだろう。だが、それはもう今さらだ。言葉は伝えているし、想いを形として伝えることに何の抵抗も無い。後は、気持ちを言葉にして彼に送るだけだ。それは明日、大事に取っておく。だから今は、それに倍する想いを伝えよう。

 それは握り締めた手でも、彼女が抱き続けた想いとしても。

「ねえ、零余」

「なに?」

 問いかける言葉に、零余の反応は早い。そのことに笑みを零しながら、利愛は続けていく。

「私のこと、どれくらい覚えてる?」

 それは、利愛が聞いてみたい一言だった。だが、さっきの零余の話を聞く限り、あまり意味が無いかもしれない。何となく、利愛は信じられる。きっとこの人は、全部覚えているんだろうな。

「全部、かな」

「えー、ホント? じゃあ、私が初めて零余にした仕草、覚えてる?」

「うん、そっぽ向かれた」

 即答だった。そして、正解だった。

 嬉しくなってはにかみながら、利愛は「せーかい」と楽しげに言うと、次の質問を続けていく。それは、お互いの年月を重ね合わせるように、過ごしてきた日々を過去に戻すように、いくつもいくつも言葉が重ねられていく。

「じゃあ、零余が遅れてきたことは?」

「それも覚えてる。俺が花の冠を上げたとき」

「あはは、ホントに覚えてる。うん……うん、そう。その時だよ。あの時、本っ当に遅くて待ちくたびれたんだから」

「ごめんってば。でもあのおかげで、リナが俺を嫌ってるわけじゃないって気づけたんだけどな」

「む、それを言われると弱いかも。確かに私、あの時はツンケンしてたもんね。でも、さ。ホントは楽しかったんだよ。お父さんとお母さんが喧嘩ばっかしてたから、零余が構ってくれて楽しかったの」

 そこで言葉を区切り、どうしたものかと少しだけ迷い、利愛ははっきりと口にしておくことにした。今、それだけを言っておいても良いだろうと考えたのだ。それにその思いは、いつかは伝えておきたいと思っていた言葉でもある。

「零余」

「うん」

 利愛の真剣な様子に気づき、零余もしっかりと彼女に目を向ける。その向けられた真摯な瞳に目を奪われながら、利愛はあの頃に言えなかった想いを口にした。

「私に寄り添ってくれて、ありがとう。あの時、一緒にいてくれて、ホントに嬉しかった」

 朝目覚めたら、父と母がいて、二人は険悪な雰囲気で言葉も交わさない。いつからそうなったのかも分からず、当たり前のようにそれはあって、そんな二人に子供である利愛にはどうすることも出来なくて、ずっと逃げられる場所を探していた。大好きな人たちのそんな姿を見たくなくて、どこか、遠い世界に行きたかった。

 だが、利愛が行ったのは、遠い世界などではなかった。凄く身近で、どこにでも在って、ずっと利愛が見続けた世界だ。

 それは、笑顔を浮かべ、言葉を交わし、想いを繋ぐ世界。父と母の不仲をきっかけに利愛が忘れていたそれを、零余が思い出させてくれた。彼がずっと傍に寄り添ってくれたから、利愛は父と母が関係を戻すその時まで耐えていけた。壊れそうな心を、崩れそうな気持ちを、何とか堪えることが出来た。

 だから、利愛は感謝の想いを紡いでいく。あの時伝えられなかったそれを、しっかりと送り届ける。

「ありがとう、零余」

 零余は、何も言わない。ただその言葉を噛み締めるようにそっと目を閉じ、開いたその瞳の奥底、夜闇の中で瞬く星のような煌きの中に穏やかな色を浮かべると、利愛が考えもしなかった言葉を返す。

「リナだけじゃない」

 利愛から送られた言葉を受け止め、零余は思い出す。自分があの時、どんな気持ちで利愛との出会いを重ねたのか。それは、ただ利愛に興味を持ったから、なんて言う単純な気持ちだけではなかった。あの頃、零余は自身に降りかかった不幸に悩み、境遇を厭い、表情には出さずとも苦しんでいたのだ。その思いを打ち明けた言葉は、おそらくは利愛はまるで覚えていないだろう。何一つ、記憶の中に残っていないはずだ。

 それでも、零余は話を聞いて貰えたと言う事実だけで十分だった。誰にも打ち明けられない、妹にすらも言葉に出来ない気持ちを口にして、苦しみを和らげていたのだ。

「俺も、リナのおかげでずいぶん救われたから」

 だからありがとう、と零余は伝える。それを利愛も目を閉じて受け止め、開いた瞳で二人は視線を交わし、どちらとも無く笑い合う。零れた笑みはその場にいる花々の姿のどれよりも明るく美しく、誰にも見られずとも確かに二輪の花弁としてその場所を彩っていた。

 そうしてしばらく笑い合い、過去の話に興じていた二人は、互いに立ち上がると、校舎の方へと歩いていく。時間はまだまだある。今は、学園全体がお祭り騒ぎで賑わっているのだ。この機会を楽しまないのは損だと二人ともが思ったのだ。

 昇降口で靴を履き替え、様々な店の看板を通り過ぎていく。どれもこれも面白そうではあり、一旦立ち止まると、零余は利愛に聞いてみることにする。

「どっか行きたいとことかある?」

「そだね~、零余が一緒ならどこでも良いんだけどぉ――」

 そうわざとらしく一言添えながら、利愛は続けて言う。

「椿の試合、観に戻ろうよ」

「え、でも――」

「いいの。何だかんだでさ、椿もずっと零余のこと想ってくれてるみたいだし……観てあげないと可哀想だよ? それに私、目的はなんだか達成しちゃったし」

 そう利愛は晴れやかな顔で言い、ぐぐっと伸びをする。そこに嘘や遠慮は感じられず、本気で利愛はもう十分だと告げていた。

「目的って?」

「零余と仲良くなること、かな」

 悪戯っぽく言いながら若干頬を染めて笑い、利愛は零余の手を引いて走り出す。それに引っ張られる形で走りながら、不意に零余は気づいた。視線の先、向かっているネージュのその近くで、観客席の入り口から顔を出した一人の男。

 柊大和が、そこにいた。

 思わず利愛の手を握る力を強め、零余は逆に思いっきり引っ張った。そのまま大和の視界から隠れるように利愛と身を重ねて通路の角に身体を寄せ、顔だけを覗き込ませる。そんな体勢で利愛が苦しげながらもどこか甘い吐息を漏らすが、今の零余にそれを意識している暇は無かった。

 視界に大和が映った瞬間、零余の浮かれていた気持ちは一瞬で冷めた。熱は氷水をぶちまけられたように冷え、急速に冷やされたことで心臓が嫌なほどに早鐘を打つ。頬は汗が伝い、噛み締めた唇が切れて血が流れることも構わず、大和の行方を目で追う。

(本気で……椿の試合を観にきたのか……!)

 冗談だと思っていた言葉が現実として形になり、零余はどうすればいいのか分からなくなる。ただ、この少女だけは彼の目に触れさせたくは無かった。あの瞳で利愛を捉えられることだけは、何が何でも許せなかったのだ。

「リナ、ここにいてくれる?」

「れ、零余?」

 利愛に小声でそれだけを言い、零余はその場を飛び出した。このまま隠れていればそれで大和は通り過ぎていくだろう。だが、もはや零余はこのままにはしておけなかった。不可解に過ぎる大和の行動に疑念が湧き、我慢できる限度を超えている。あの男が何か、ふざけた行動を起こせば、それだけで零余の世界が音を立てて崩れるのだ。折角取り戻した利愛との絆すらも失いかねない。

 だから、零余は大和と立ち向かうことに決める。その真意を推し量り、答えを聞かせてもらう。そうでなければ、安心などできようはずも無かった。

「大和さん」

 恐怖を押し殺し、声をかける。それに大和は振り返り、ああ、と零余を見て笑みを深めた。椿も誰もいないせいか、そこには昨日のような偽りの色は見られない。かといって、狂気の色も漂っていない。あくまでも普通にそこにいるだけであり、悪意や危険性は感じられない。

「零余じゃないか。どうしたんだい?」

「いえ、その……椿の試合を?」

 歯切れ悪く、窺うような零余の言葉に大和は頷き、そっと耳打ちした。

「中々に良い具合に熟れてきたと思わないかい、あの子も」

「あ、んたは――ッ!?」

「なぁんてね、冗談だよ。安心してくれ、僕からは何もしない」

 手をひらひらと振り、ふざけた様子で無害をアピールする大和だが、零余がそんなことで安心できるはずも無い。彼は、殴りかかりはしなかったが、今にも飛び出さんばかりに強く大和を睨み付け、押し殺した声で言う。

「もし、椿に何かしたら……あなたでも容赦しない」

「君に僕がどうにかできるかな?」

「分からないけど……でも、あなたの所業を間近で見てきたのは俺だ。あなたを地獄に突き落とすことだって、出来るかもしれない」

 脅すように言う零余に大和は笑みを消し、呆れたように息を吐く。それから軽い調子で零余の肩を叩くと、何も言わずに去っていった。一先ずは、零余の言い分を聞き入れたと見て良いのだろうか。少なくとも大和が何も言い返さなかったということは、零余の言に従うつもりでは在る、と言うことだろう。そうでなければ、あの男があっさりと食い下がるはずも無い。

 去っていくその背中をもう一度だけ睨み付け、零余は駆け寄ってくる利愛に気づき、表情を戻す。この子の前であんな目は見せられない。

「零余、さっきの人って……?」

「俺の叔父。ちょっと仲悪くてさ。何でもないから。それより、早く椿の試合観に行こう。この感じだと、もう終わってそうだけど」

「――うん、終わったよ」

 不意に隣で聞こえてきたその声に驚き、零余がそちらへ目を向ければ、そこには涼しげな表情を浮かべる椿の姿があった。彼女は、胡乱げな瞳で零余と利愛を見据えた後、零余に向かって責めるように言う。

「全然見てくれなかったね、兄さん」

「うっ……」

 零余がうろたえるのも構わずに椿は形だけ笑みを浮かべると、今度は利愛の方に向き直った。その瞳が闘志に揺れ、強い光を宿している。

 向けられた視線に宿る熱を感じ、利愛も表情を引き締める。何か、椿は只ならぬ雰囲気を宿しているのだ。その視線を真っ向から受け止めるには、相応の覚悟が必要だと利愛は悟った。

「リナ、私は勝ったよ」

「うん、知ってる」

 そのことは、疑いようも無い。だからこそ利愛も安心して零余と逢瀬を重ねたのだ。

 その信頼を前に椿は少しだけ笑い、それからはっきりとその言葉を口にする。それは、椿が今朝抱いた思いに相違ない。

「明日も勝つ。榊原くんを倒して――そしてリナ、あなたを倒す。だから、あなたも絶対に勝って」

 ごくり、と利愛は唾を呑んだ。椿の向けるとてつもない闘志もそうだが、何よりも今、椿は確かな好敵手として利愛を認めているのだ。あの泰然自若の学年主席、入学してから一度足りとてその座を揺らがない完璧なる女王が、はっきりと利愛に向かって「あなたを倒す」と言い切った。その言葉の意味を理解し、利愛の中で戦慄が走る。そこにいるのは、もはや利愛の友達である柊椿ではない。彼女を打ち倒すと決意を固めた、対等なライバルだ。

 何が彼女をそんな気持ちに駆り立てるのか。利愛が思いつくことがあれば、一つしかない。昨日、利愛が零余の前で言い放った言葉だろう。あれが椿に火を点けた。

 だが、利愛はそれを恐れるどころか、両手を広げて歓迎したい気分だった。彼女は、最初に椿にも言っているのだ。あなたに勝って認めさせる、と。自分が零余に相応しいことを証明するとすでに告げているのである。

 ゆえに彼女は惑わない。そんな椿の姿を迎え入れ、対等な敵としての誓いを掲げる。

「そんなの、当たり前。そして一つ、勝つのは私だから」

 大胆不敵な勝利宣言を交わし、椿は最後にもう一度だけ笑って去っていく。一人で帰るつもりなのだろうか、と零余は思案するが、利愛が零余の手を引いたことで追いかける足は止まった。見れば、利愛は首を横に振っている。今の椿には、声をかけないほうがいいと言うことだろうか。

「どうして?」

「たぶん、零余が優しくしたら、椿の決意が無駄になるから。今は、一人にしておいた方がいいかなって」

 椿の決意――その不可解な言葉を胸に宿しながら、零余は利愛の言葉に頷いておく。何故なら、去っていく椿のその背中は、孤独と言うよりもより強く、確かな軸が見えたからだ。そこには、零余が支える必要が無いほどの何かを背負っているように思われた。

 知らずのうちに変わってしまった妹の姿に戸惑う零余の隣で、利愛はもう一度椿を見据える。あの覚悟を秘めた瞳、好戦的とも言える言葉。どちらも今までに無いほどの気迫がこもっている。

 利愛は、確信した。明日、どう転ぼうが凄まじいことになる。それは利愛が勝とうが負けようが同じだ。誰が彼女と当たっても、おそらくは前例に無い結果となるだろう。

(血湧き肉踊る……そう言うタイプじゃ全然無いけど、なんっつーか分かる気がしますねぇ)

 利愛もまた好戦的な笑みを浮かべ、一人の少年を置いてけぼりにしたまま、少女たちは勝利への決意を胸に宿していた。

 二人の距離がグッと縮まりました。

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