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以前、あとがきで「適当」に「いいかげん」の意味が無いと書きました。
すいません、嘘でした。辞書を確認させてもらいますと、
1、ある状態・性質・要求などにほどよくあてはまること。また、そのさま。
2、悪くは無い程度にことを済ますこと。また、そのたまさ。いい加減。例、「――にあしらう」
3、それにぴったりあてはまること。
という意味が三つあり、いい加減と言う意味もありました。完全に言葉を間違って覚えてました。恥ずかしい限りです。
霧生院学園選抜戦二回戦第一試合――。
選抜者用控え室には、つい一昨日にも見た二人の少女が並んで座っている。現利愛と霧生院卯月。友人同士であるこの二人は、互いに対戦相手の選手情報に目を走らせながら、何とも言えない緊張感に包まれていた。特にそれが顕著なのは、卯月の方だ。これから戦うことになる学年次席、榊原玲の顔写真の載ったそのデータを見ながら、ため息を吐く。さすがにそこに載っていたデータは、隙が無いの一言に尽きる。あらゆる成績評定で堂々のA、弱点と呼べるものはおよそ存在せず、椿と伍するだけの実力はさすがの一言だ。シュトラーフェの名前は、『霧雨』と書かれているが、それがどんな能力なのかは卯月の知るところではない。相手もまた、一回戦を力技で勝利した卯月のシュトラーフェの能力を知らないだろう。この選手情報は、あくまで学園側が開示している大まかな成績データに過ぎないものだ。戦闘において一方に有利になるようなことが無いよう、秘匿すべきところは秘匿され、明かすところだけ詳細に書かれている。それがあくまでも成績データ、と言うわけだ。
手元にあるその書類を無人の椅子に置き、卯月は白色の天井を眺める。頭の中で思い描くのは、勝利へ至る道筋とは無縁の、何とも言えない漠然としたイメージだ。相手の能力も分からずにシミュレーションするわけにも行かず、どうやって自分のペースに持ち込もうかと考えてはいるものの、答えは簡単には浮かんでくれない。そうしているうちにも時間は刻々と過ぎていき、それが卯月に不必要な焦りを訴えてくる。
そんな卯月とは裏腹に、意外にも余裕が窺えるのが利愛の方だ。卯月に比べるとマシな相手とは言え、学年四位を相手取ると言うのにもかかわらず、利愛からは気負った様子は窺えない。熱心に成績データを読み込んでいる様子からは真剣なものが見受けられるが、卯月のような緊張によるものではなく、ただ勝つための準備を行っていると言う風だ。
それが少し気になり、卯月は利愛に尋ねていた。
「ねぇ、リナ。リナってさ、本気で今日、勝つつもりなの?」
「はぁ? あったりまえじゃん。優勝するってんでしょ~」
返す言葉もまた、軽い。その能天気さ、気楽さは利愛特有のものではあるが、卯月はそれをずるいと思ってしまう。そんな風に気負い無く在れる気質が羨ましかった。
そんな風に思っていると、不意に利愛が目をキラリと光らせ、卯月の隣に座り込んでくる。そのまま顔を覗き込むようにして、からかうような声で言った。
「なに、ビビッてんの?」
その挑発的な物言いに卯月は反射的に否定の言葉を吐き出そうとして、しかし結局は無駄だと感じて止めた。立ち上がりかけた腰をすごすごと下ろし、力なくうな垂れるように頷いてみせる。そのいつもと違う様子にさしもの利愛も冗談ではないと感じたらしく、手にした書類を放り投げると、ポンと元気付けるように卯月の肩を叩いた。それに卯月が少しだけ反応すると、利愛は何がしたいのか必死になって両頬を引っ張っている。笑わせようとしているのだろうか。しかし、頬を引っ張っただけで変顔が作れるほど世の中は甘くなく、そんな何とも言えない表情で笑うほど卯月の笑いのつぼは低くなかった。せめて鼻に指を突っ込んで欲しい、と卯月は思う。
「ほ、ほ~よ?」
「ぜんぜん面白くない」
きっぱりと卯月が答えると、利愛はショックを受けたようにがっくりと肩を落とす。しかし、ここでめげないのがこの少女である。彼女は、次に口の中に手を入れ、そこから歯茎が見えるぐらいに引っ張って見せた。正直、この顔は女の子のするものじゃない、と卯月は思うのだが、利愛にそれを気にした様子も無い。二人しかいない安心感もあるのだろうが、それでもやっぱりこれは駄目だろう。そもそも何より、やはりその表情は、卯月には面白くは無かった。美人がやっているからなおさらである。何故か、残念な感しか無い。
「いいよ、リナ。無理に励まそうとしてくれなくても」
「いや、それ以上に笑われないことが悔しくて悔しくてしょうがない!!」
「……そっち? はぁ、相っ変わらずマイペースなんだから……」
ムキになって変顔を取り続ける利愛に呆れつつも、一方で不思議と卯月は緊張が解れた気がする。勘違いのような気もするが、利愛のふざけた様子を見ていると、無駄に緊張している自分が馬鹿らしく思えたのだ。この試合前にもかかわらず下らないことに時間を費やせる友人に比べ、不安を募らせるだけで何の益も生み出さない己が馬鹿のように思えてくる。そんな暇があるなら、勝つ算段の一つでも立てろと言う話だ。
そう思い返し、作戦を練り始める卯月だが、一度ヒートアップした利愛はそれを許してくれなかった。何を思ったか防護服に身を包んだ卯月のかすかに覗くうなじに手を突っ込んできたのだ。
「ひゃ!?」
そう珍しくも可愛らしい悲鳴を上げる卯月だが、利愛はそれを意に介さず、もそもそと手を動かし続ける。その気味の悪い感触に卯月が背筋を凍らせ、鳥肌を立たせる頃になってようやく、利愛は手を離した。その手は、防護服と人肌の間で群れたように汗ばんでおり、ずっとこそばゆい感覚に晒された卯月と言えば、試合前からぐったりとした様子になっていた。
そんなどちらも微妙な心境の中で、その音は響いた。
控え室の扉の外から聞こえてきたノックの音に二人は目を見合わせ、誰だろう、と首を傾げる。もうすぐ試合が始まろうかと言うこの時間帯に来る者は中々いない。精々が何か不備があった時に先生が来るくらいだが、それなら事前にアナウンスなり何なりが入るはずである。
二人が訝しむ中、利愛が近づき、その相手を応対することにした。控え室のドアの鍵を開け、その扉を押し開く。そこにいたのは、彼女らの友人である柊椿とその兄の零余だった。思いがけない彼らの登場に驚き、利愛などは乱雑に放置してあった己の学生服を回収にかかる。一方で卯月と言えば、利愛のせいで乱れた髪を思い出し、慌てて手櫛で解き始めた。
「兄さん、少しだけあっち向いててあげて」
「え? うん、それはいいけど」
そんな女の子たちの様子に椿は敏感に察し、二人の様子が整った頃を見計らって零余も室内に足を踏み入れる。零余は、興味深そうに控え室を眺め回しながら、これから対戦することになる二人に向かい合った。まず彼が最初に目を向けたのは、後数分も経てば試合をすることとなる卯月である。その目が真っ直ぐに彼女を射抜き、それだけで卯月はあからさまに赤くなってしまっていた。
「おはよう、卯月さん、利愛さん。応援に来たよ」
「お、おはよう、零余さん」
ぎこちなく挨拶を返す卯月に笑いかけ、転じて零余が視線を向けたのは、利愛の方である。ギリギリで横着な自身の一面を見られずに済んだ利愛は、衣服を詰め込んだロッカーから後ろ手でカチッと音がなるのを確認してから、そこを離れる。向けられた視線に返すのは、状況ゆえか、曖昧な微笑だった。
「ちーっす、零余さん」
時刻は十一時前。朝の挨拶には遅すぎるそれを交わしながら、とりあえず四人は控え室に備えられた席に腰を下ろす。もう、それほど長々と話しているような時間も無いため、何かを話すと言うよりは、一方的な零余のエールのための時間となっていた。椿はそこに一切口を挟まず、零余だけが真っ直ぐに二人――今回は特に卯月を注視し、励ましの言葉を送る。
「卯月さん、頑張って。応援してるから」
「う、うん……」
しかし、目の前に零余が現れたせいで卯月は別の意味で緊張してしまったためか、返す言葉は弱々しい。それを不安視していると零余が考えてしまったことが事態を悪化させ、何故か零余は、強く卯月の肩を掴むと、目線を合わせてはっきりと口にする。
「大丈夫、自分を信じて。俺も君を信じるから。いけるよ、勝てるって」
その無責任極まりない言葉の雨に打たれながら、目の前に零余の顔があることもあり、卯月はどんどん思考が空の彼方へ飛んでいくのを感じていた。ただ一言、そんなに見ないで、と言いたいのだが、それすらも侭ならない。助けを求めて利愛や椿を見るも、どちらも面白くなさそうにしてはいるものの、空気を読んだように助けてくれたり、あるいは邪魔をしてくれたりすることも無いようである。今の卯月からすれば、それが一番の救いになると言うのに。
向けられた視線に泡を吹き出しそうな勢いで混乱を来たしながら、卯月は必死になって零余の言葉に耳を傾ける。不安や緊張はこの少年のせいで倍化されてしまったが、それを抑えるだけの言葉を頭の中で紡いでいく。
(あたしを信じる……あたしは大丈夫、あたしは……勝てる……っ)
自己暗示に近い何かでそう己に言い続けていると、不思議と卯月の中で湧き上がる感情があった。それは、一般的には闘志と呼ばれるものだ。勝てる可能性が低いと諦め気味だった卯月の中に、昨日玲にも啖呵を切ってみせた時の戦う意思を思い出し、それが困惑に揺れる少女の瞳を鋭く研ぎ澄ませる。その瞳に乗った意思を感覚的に察知し、零余はそっと卯月から手を離した。もう励ます必要も無いと判断したのだ。
「卯月さん、行けそう?」
「うん、なんとかだけど。ありがと、零余さん」
常に無く力強くそう答えを返し、卯月は立ち上がる。すでに時刻は試合開始数秒前を切っており、それから程なくして聞こえてきたアナウンスが卯月の身体を選手用ゲートへと誘っていく。声援を送る三人に手を振って返しながら、それに後押しされるように向かった先には、白一面に彩られた空間と、そこで待ち構える対戦相手――榊原玲の姿があった。特徴的なマッシュルームヘアをした彼は、卯月の姿を認め、口元に笑みの形を作る。その余裕そうな表情が、若干だが卯月の癪に障った。
歓声が聞こえてくる。それも大量の、黄色い声援だ。その全てが卯月を賛美するものであり、如何に彼女がこの学園内で支持されているのかが分かる光景だった。その言葉の一つ一つに勇気付けられ、卯月の様子が彼女らの言葉に答えるべく、凛々しさを纏いだす。まるで雪原の寒さをものもともせず身一つで踏破するような雰囲気を醸し出しながら、卯月は眼前の敵を見据え、堂々の宣言を下した。
「君を倒す」
それは、決して大声では無かった。だが、何故かその声はネージュ全体に浸透し、一気に女子たちの歓声が爆発した。卯月の名を呼ぶ声がいくつも波紋のように広がり、上がる黄色い声援に増して、きゃーと悲鳴のような声も続いていく。
それに対抗するように聞こえてきたのが野太い男の声だ。彼らの応援の対象は、専ら卯月の敵であり、今回であれば、それは玲に向かっている。しかし、キノコ頭の少年は、そんな声援など歯牙にもかけていなかった。さすが学年次席と言うべきか、雑音には一切耳を貸さず、これから対峙する相手だけに注力している。
「霧生院卯月、君を倒した後、僕は柊椿を倒して学年のトップに上る。正直、君にはそこまでの興味は無いんだ」
「へぇ、言ってくれるね」
玲の挑発的な言葉にも動じず、もう一度だけ卯月は頭の中に零余の言葉を繰り返す。己を信じ、勝つことを信じる。それを糧に闘志を燃やし、次いで聞こえてきた重たいブザーの音が鳴り響いた瞬間、それを爆発させた。
次話、卯月 VS 玲となります。
ちなみに中学生の戦闘を書くのは難しいですね。派手なのは期待しないでください。あくまで子供レベルのバトルです。この塩梅がすごく難しい。
・ジェルラルド
《形態》棍の先に包丁のような刃が付いた長柄。『クト・ド・ブレシェ』。
《能力》魔力結合の解除。ただし、刃先に限定される。
はい、もう誰も覚えていないかもしれませんが、契里直哉のシュトラーフェです。能力がチート級ですね。彼が調子に乗るのも分かろうと言うものです。
ちなみにこの能力、序盤の敵としてはかなり破格な気もしますが、この力になったのは椿が原因です。彼女の鉄壁であるミュールがある限り、戦闘に緊迫感は生まれません。窮地にも立たされません。椿が零余を守って終わりです。
ですので、ミュールを突破する力が必要でした。とは言え、そこで物理的な火力を持ってくると全てを力技で押し切られます。なので、この椿にとっては天敵とも言える力を持ってきました。刃先に限定しているからまだそこまでの強力さは無いですね。
ちなみに零余が開闢時に扱えるのは、あくまでも進化前のジェラルドです。進化後のジェラルドの力は扱えません。