⑥
学年選抜戦も二日を過ぎ、AチームとBチームの一回戦が終わった。二回戦にまで上がってきたのは、初めからシード権を獲得していた上位四名を含めた八名――椿、卯月、利愛はもちろんのこととして、今日の試合の勝者である草薙、島津、そして卯月に宣戦布告した玲と、学年順位三位と四位の二人である。この八名のうち、二回戦第一試合でぶつかるのは卯月と玲、第二試合では利愛と学年順位四位の対戦となっており、その戦いがどう行った方向に転ぶのか、それは誰にも分からない。卯月と玲のそれはもちろん、一番未知数なのは利愛だろう。一回戦においては一度もシュトラーフェを見せず、戦いもせずに勝利を収めた彼女の実力がどれほどのものか。その如何では、この戦いに大波乱が巻き起こる。誰しもが予想しなかった結果が訪れるかもしれない。
そんな自覚があるのか無いのか、二日目をそれなりに零余と過ごすことの出来た利愛が家に戻って考えることと言えば、やはりその零余のことであった。
自室のベッドに横になり、携帯を掲げたままの姿勢で利愛は指を走らせる。その送信先にいるのは、もちろん零余だ。送ったメールはすぐにも届けられ、そう時を待たずして返ってくる事だろう。
それを待ちながら、利愛は考える。何もかも、まるで進展していないと言う一つの事実について。今日一日、零余と過ごす機会を多く得た利愛ではあったが、結局のところ妹同伴、友人同伴の四人で過ごしたと言う形であり、それを一緒に過ごした、と捉えるにはいささか無理がある。さらに言えば、仲が進展したとも思えない。むしろ利愛からすれば、卯月の方が仲良くなったのではないか、と危惧するほどであり、それは利愛にとっては望ましいものではない。椿は妹だから除外できるとしても、卯月はあの容姿とスタイルだ。零余が惹かれても何らおかしくなく、むしろ自分よりも卯月の方を好く方が順当ではないかと思えてしまう。
(は……!? 私はなんて卑屈な考えを……私らしくない! らしくないぞ~!)
そう内心で己を鼓舞してみても、やはり不安と言うのは拭えないものだ。利愛には、あまり時間が無い。別に余命数日だとかそう言う意味ではなく、告白まであまり時間が無いのだ。彼女が願いを叶えるには、後四日のうちに零余に自分を意識させる程度には持って行かなければ話にならないだろう。しかし、普段の零余は椿と行動することが多く、仮に二人きりで行動しようにも彼女は付いて回る。お邪魔虫、とまでは言わないが、あの兄妹はそもそも双子だから一緒にいることが当たり前らしく、引き離すことは多少難しいことのように思われた。
(顔、似てないのになぁ……椿は似てるって言うけど)
どうすればあの二人を引き離すことが出来るだろう、と利愛は思案する。そもそもが同じ家に住んでおり、零余は半ば椿と過ごすためだけに霧生院学園に通っているであろうと予想される以上、これをどんな理由があっても引き離せない。であるならば、発想を変えた方が良いのかもしれない。そう、例えば椿の試合だ。椿が試合をしているとき、零余は確実に椿と離れることになる。その時を狙えば、あるいは二人きりで試合観戦が出来るかもしれない。警戒すべきは卯月の存在だが、そこは上手く卯月を誘導すれば良い。
(ぐふふ、となれば勝負は明後日ですなぁ)
椿の試合は、明後日からだ。それ以降は、椿の実力を考えれば、明後日と、それから最終日。ここが零余と二人きりになるチャンスなのだが、最終日はもちろん、利愛も予定では試合をする運びとなっている。となれば、チャンスは明後日しかない。そこでどうにか距離を縮めなければいけない。
握り拳を作り、大きく突き上げる。その己を鼓舞するような仕草の後、不意に携帯が振動し、利愛は慌てた様子でそれを確認する。ディスプレイには、メールを知らせる表示が出ており、中を確認すれば、先のメールに対する零余の返答だった。
『はは、明日の試合が不安だなんて利愛さんらしくないよ。大丈夫、勝てるよ。応援してるから頑張って!』
簡潔ながらも自身を励ますそのメールに悶えながら、利愛は決意を固める。
明後日、そこに勝負をかける。
メールの送信確認を終え、零余はポケットに携帯を仕舞う。相手は椿の友達の利愛であり、内容は明日の試合への不安を訴えるものだった。その内容に微笑ましさと可愛らしさを覚えながら、零余が送ったのは簡潔な励ましの文だ。利愛の性格を考えれば、それで事足りると考えたからに他ならない。
それを終えると、今日もまた、零余はその暗い地下施設に足を踏み入れていく。しかし、昨日と違う点と言えば、そこがあの男の直接の実験場ではなく、備品保管室のような場所であると言うことだ。使えないと判断した物は片っ端から捨てていくあの男だが、逆に使える物は大切に保管していく。そうして収拾されたものを集めているのがこの保管室だ。中にあるのは、目を覆うようなおぞましい物から、特に用途も分からないような奇妙な器具など様々である。
室内は見易さを優先したためにそこかしこに蛍光ランプが置かれており、そんな光に当てられて、一人の男が部屋の隅で背中を丸めて何かを引っ張り出していた。埃に塗れたその場所で、男が力を込めて引っ張り出したのは、奇妙な四角い箱だ。両手ですっぽりと収まるようなその大きさの箱は、これと言って何を書かれているわけでもなく、ただ一面を白色の素材で作られている。そこに積もった埃を丁寧に拭き取りながら、男は保管室のテーブルの上にそれを置いた。そのままそれを慈しむように手で撫ですさり、何故か零余の方を向いてにんまりと笑う。その不気味な笑顔の意味を理解しかねていると、男は何を思ったかこんな問いを投げかけてきた。
「アルケー・オラトリオを知ってるかい?」
男が挙げた名前は、零余にとって聞き覚えの無いものだった。零余は首を横に振り、それからはっきりと口に出して答える。
「いえ、その……知りません」
「まぁ、そうだろうねぇ。何せ君が生まれるよりずっと、それも何十年も前の魔法使いだ」
ポンポン、と男がその箱を叩く。その箱がその名前の人物と何か関係があるのだろうか。疑問に思う零余だが、安易に口にすることは躊躇われた。出来ることなら、零余はこの男との会話は最小限に抑えておきたいのだ。何がきっかけでこの狂人の気に触り、零余が第二のあの子供のようになるのか分からない。実験体を求めているこの男は、気に食わないと思えば、仮に零余であっても平然と実験動物に供してみせるだろう。そうした非道さは、長年この男の助手として付き合ってきたからこそ良く分かる。ゆえに零余は、この男とは極力話さない。言葉を交わさず、踏み込まず、影響を与えられないように、与えないように注意する。それが彼の得た処世術だった。
「アルケー・オラトリオ、魔術協会エクレシアの魔法使いさ。まぁ、元、だけどね。彼女は故人でね、その一部がここにあるんだ」
「一部……?」
その不気味な言い回しを訝しみながら、その意味を考え、零余は眉を顰める。しかし、それについて何かを思うのは今さらだろう。その魔法使いに限らず、あらゆる人間の死体を扱っているような男だ。その一つがここにある、と言われたところで何を思うでもない。
そこまで考え、同時に零余は思う。これは今までとは違う。今までこの男は、死体を放置することはあっても、大切に保管すると言ったことは無かったはずだ。仮に保管すると言っても、ホルマリン漬けや冷凍保存であれば納得もいくが、この箱にそうした処置が施されているようには見えない。適当に中に入れ、奥深くに仕舞っていたのだ。
(中に何がある? 死体……いや……肉や血を抜いたミイラ? それもおかしい。それにしては小さ過ぎる……となると……骨、か?)
遺骨――火葬された死体の骨、あるいは肉体からそのまま抜き出した骨であれば、この大きさでも特に問題は無い。それどころか、具体的な処置の何もかも必要が無いはずだ。ただ綺麗に汚れを取り、布か何かで覆って保管しておけば良い。これぐらいの大きさであれば、ちょうど骨の一本か二本と言ったところだろう。
そこまで思考を進め、零余は知らず自分がその箱に視線を注いでいることに気づいた。そんな風に見てしまえば、当然、男の視線を引き寄せてしまうことにもなる。
「気になるかい?」
「そ……それ、は……」
零余はそう答えようとして、まるで金縛りがあったかのようにそこから目が離せなくなっている事実に愕然とする。視線はその一点にジッと縛られ、意思の力を超えた何かによって引き寄せられてしまう。まるでそこに甘美な果実があるかのように、気づけば、無意識のうちに零余は手を伸ばしてしまっていた。
「気になるんだね?」
「――!? お、俺、は……」
「クラティアであれば当然の反応さ。これはね、膨大な魔力を吸った彼女の肉体の遺骨。その魔力に魅せられてしまうのは、常人であれば普通のことなんだよ。僕みたいな狂人であれば別だけどね」
自らを狂人と評する男の言葉も耳に入らず、零余は伸ばしかけた己の手を見つめる。その手は、未だに引き寄せられるように箱へと伸びていた。もし男が止めなければ、この手は真っ直ぐにそこへ向かい、中にある何か――魔力を吸った遺骨とやらを取り出していただろう。その先は、零余にも分からない。それを持ち出した先に何をするのかは、生憎見当も付かなかった。
だが、本能で察する。これはまずい、と。自分の伸ばした手の先にあるは、決して零余に安寧と平穏を与えるようなものではない。それよりももっと別、それこそおぞましい結果を突きつけかねない代物だ。
「あなたは……これを、どうするつもりなんですか?」
「そうだね。持たざる者に与える、かな。祝福と恩恵は万人に与えられるべき特権だとは思わないかい?」
どの口がそれを言う、と零余は思うものの、それは口には出さない。この男が与えるものは、祝福や恩恵などと言う喜ばしいものではない。それどころかもっと真逆なものだ。零余もまた、それを間接的に与えられた一人だからこそ分かる。
「さて、それじゃこれを運んで戻ろうか。――ああ、彼の様子はどうだった?」
箱を抱え直し、男は迷い無く足を進める。そこには、箱に魅せられたような様子は無い。あの男の言うとおりだとは思わないが、何らかの理由があってその遺骨の魔力に対抗しているのだろう。こうしている今もなお、零余はその箱に視線が移ってしまいそうになっているのだ。
男の後ろを付いて歩きながら、零余は男の質問に簡潔に答える。
「落ち着いている様子でした。傷口が化膿している様子もありません」
「まぁ、そこは僕のシュトラーフェならではの効果だけどね」
昨日のあの後、男が行った惨たらしい行為を零余は覚えている。それを思い出し、その結果として生まれたものを思い出し、思わず口元を押さえてしまった。込み上げてきた吐き気を必死で堪え、酸味の残る口元の不快感に絶える。しかし、その思いとは裏腹に腕は震え、身体には悪寒が走るような歪な感覚だけが這い上がってくる。
(あぁ……くそ、くそ……くそくそくそ……くそ……っ)
あの後、何度両手を水で洗っただろう。しかし、腕に走るおぞましい感触は消えることなくあり続け、一日かけてようやく消え去ったと思ったところに、またもそれは思い出されてしまった。
気持ちが悪い。吐き気がする。こんな感覚、早く消えてなくなればいい。
先を行く男を追いかけながら、零余は思う。早く明日になれば良い。明日になれば、この気味の悪い思いから逃れることが出来る。椿がいて、卯月がいて、そして利愛がいる。あの楽しげな雰囲気に当てられていれば、自身の行った全てを忘れ去ることが出来る。
それがたとえ仮初のものであったとしても、零余はそう思わずにはいられなかった。
―ある少年の記憶の二項―
おきゃくさまとまたあった。
こんどはおきゃくさまのほうからはなしかけてくれた。うれしい。
ぼくはうれしくて、それからきづいた。
おきゃくさまはだれ?
そうきくと、おきゃくさまはおしえてくれなかった。なんだかよくわからないかんじにわらって、けどなまえはおしえてくれなかった。
なんで? どうして?
といかけてもおしえてくれない。しょうがないので、ぼくは「ともだち」とよぶことにした。
ともだち。ぼくのはじめてのともだち。
そうだよね?
おきゃくさまはうなずいてくれた。おきゃくさまとぼくはともだちになった。
そのひは、つらいことはなかった。
ぼくは、おきゃくさまといっぱいおはなしした。
つぎのひ、そのつぎのひ、つぎのひなのかな。
いちにちのへんかは、ここはよくわからない。
あそこはそとをみれたけど、ここはそとがみれない。
でも、ぼくはきにしない。ともだちができたから。
つぎのひ、またつぎのひ、いたくてつらくて、くるしいことがあった。
でも、ともだちがぼくをはげましてくれる。
はじめてあったときみたいに、がんばれっていってくれる。
がんばろう。あのこのためにがんばろう。
ぼくはがまんする。
だって、これはただつらいだけじゃないから。
ともだちがないてた。また、ないてた。
けど、ぼくはないてないよ。
ねぇ、どうしてなくの?
ぼくは、ともだちをなかせたくない。