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学年選抜戦も二日目を迎え、ただの武闘祭であったそれに、生徒会主導で色を付け始める
この霧生院学園の伝統である学年選抜戦は、十年ほど前まではただの無骨な、試合を眺めるだけの行事でしかなかった。それだけで生徒たちは満足していたし、不満も感じていなかったのだが、その次の代の生徒会長が唐突に始めた生徒会主導の店舗設営の計画を機に、それは正しく祭りの様相を呈し始め、今では観戦をメインにしながらも屋台や喫茶店が並び、他にも生徒間同士の秘密の賭け事、有力なクラティアの秘蔵写真の販売など、もはやドロドロに煮詰めた鍋のごとき様子となっている。収拾のつかないほどに盛り上がりを見せるそれは、父兄のみならず多くの外の人間を呼び込み、霧生院学園の校門は、そこに並べられた屋台に群がる人の群れで歩くことも侭らないものとなっていた。
一日目の様子が嘘のようなその光景を前に、零余は感嘆の息を吐く。噂には聞いていたものの、ここまでの盛況ぶりとはさすがに思っていなかった。
右側から順にたこ焼き、イカ焼き、フランクフルト、クレープなどなど。
左側から順にお好み焼き、焼きそば、かき氷、特性ジュースなどなど。
如何にもお祭りの屋台と言った品揃えを見せるそこは、それらによって生まれる独特の鼻腔を擽る匂いに彩られ、朝食を終えたばかりでそう時間も経っていないにもかかわらず、零余はごくりと唾を飲む。元々祭りなどとは縁のない生活をしているせいか、眼前に広がる光景に純粋に圧倒され、好奇心がむくむくと湧き上がってきていた。
そんな兄の様子を隣で見つめ、椿は内心で温かな感情を芽生えさせる。普段は大人びた印象の強い兄のその一面は、自分たちと同じく子供らしいそれであり、ゆえにそうした兄にこの祭りを伸び伸びと楽しんでもらいたいと思ったのだ。
零余の手を引き、椿ははしゃぐように言う。
「兄さん、色々と見て回ろう?」
「え? あ、でも――」
しかし、椿の予想に反して零余の反応は鈍い。すぐにでも肯いてくれるだろうと思っていただけに椿は意外な面持ちで彼を見つめ、その理由を言外に問う。
その椿の様子に零余は迷った末、それを話しておくことにした。
「その、利愛さんと約束してるんだ。一緒に試合見よう、って」
「リナと?」
思いがけないその言葉に驚く椿だが、同時に幾らか納得もする。元々利愛は零余に好意を抱いていたし、それに昨日のこともある。もしかしたら、彼女なりに零余との距離を縮めていこうとしているのかもしれない。
だが、それが椿にとって面白いかどうかと言えば、そうでなかったりもする。利愛の恋路を全力で邪魔しようと言う気はもちろん無いものの、この兄が自分以外の誰かに靡くと言うのは椿にとっては面白くない。双子の兄妹なのだし、長らく過ごしてきた関係なのだ。ちょっとぐらいは自分にも付き合ってほしい、と言う子供らしい独占欲でそう思い、伺うような目で零余を見る。その瞳に、零余があからさまに狼狽した。大事な妹からそんな目を向けられて断れるほど、この少年は思い切りがよくは無かった。
しばし零余は考える。試合観戦と言っても、試合が始まるのは十一時以降だ。現在時刻は十時を過ぎたばかり。利愛との約束まではまだ時間もあるし、椿とこの屋台を見て回るぐらいの時間的余裕はあるだろう。
「そう、だな……うん。よし、色々回るか、椿」
「そうこなくっちゃ」
二人は顔を見合わせて笑い合い、仲睦まじい兄妹として校舎を回り始める。
とりあえず二人は、校門近辺にある屋台は後回しにすることに決めた。確かに漂ってくる匂いは食欲をそそるに十分なものであったが、時間帯もあってか、手を出すことは憚られたのだ。その代わり、校舎内で展開されている各出し物を見ていくことにする。
人の多く行き来する廊下を歩きながら、零余の視線は左右を行ったり来たりと興味深げだ。それは昨日もそうであった。学校に通っていない零余からすれば、校舎の形、窓から覗く風景、教室の並び、机や椅子、掲示板に貼られたプリントの何もかもが物珍しいのだろう。時折椿に気になったことを尋ねる様子などは、まるで兄妹と言うよりは、姉弟と言った感じにも見える。そうしてその度に、椿は少なくない胸の痛みを覚えるのだった。
零余の取り巻く環境は、悲惨だ。父や母は、彼に一切の関心を持たず、使用人は皆で取り決めているのか彼には関わらない。もちろん、それが全てと言うわけではない。中には、椿のように彼を気にかける心優しい者もいる。椿と中の良い者などはその典型で、表向きは他と同じように振る舞いながらも、要所要所で零余を手助けしているのだ。そのおかげで零余は、今まで何とか生きてこられた。そしておそらく、それは彼の両親の知るところでもある。だが、彼らは何も言わない。零余がどう生きてようがまるで意識を傾けず、ある種不気味なほどにその愛情は椿に注がれている。そこに宿る色は本物であり、それが返って椿は薄気味悪く思えるのだ。
ここまで自分に想いを強く持ってくれている人たちが、どうしてこの兄にはこれほどまでに無関心を貫けるのか、と。
いくら魔力を持たずに産まれ、柊の恥と謗ろうとも、零余は同じく彼らの息子だ。であれば、何故こうも放任していられるのか。何をしても構わない――違う。何をしてもどうでもいいのだ。零余が柊家の家名を傷つけない限りは、彼らは一切を気にかけない。その異常なまでに徹底した無関心さが椿には恐ろしくて仕方なかった。
だからこそ、椿は思うのだ。自身と同じ日に産まれ、同じ家で育ち、しかしこうも違う生を歩んでいる片割れの彼を助け上げたい、救ってやりたい。椿にとって零余は、ただの兄ではない。同じ母から産まれたと言うだけでもない。それ以上の何か、家族を越えた繋がりを感じてしまう。そう、まるで産まれた時に別たれたことを知っているかのように、椿と零余は、産まれる以前より二人で一つであったのだから。
(だから、兄さんの痛みは私の痛み)
それを思い返したところで、零余は何かに目を惹かれたように一点を見つめていた。その目は、ある喫茶店に注がれている。そこは、猫耳をつけた白と黒を基調とした衣装に身を包んだ少女たちが給仕をするお店であった。看板には、『猫耳メイドカフェ、すく~るにゃんにゃん』と何故だかいやらしく思えてしまう店名が書かれている。それを半目で眺め、次いで椿は兄を見た。その目は、底冷えするほどに恐ろしく、向けられた零余などは思わず反射的に目線を逸らしてしまったほどだ。
「兄さんって、ああ言うのに興味あるんだ?」
そう発する声もまた、零余の足を震えさせるに十分なものだった。
目線どころか顔まで逸らし、零余は責めるような妹の視線から逃れる。言い訳のように放たれた言葉は、あからさまに震えていた。
「い、いいや、その、興味とかそんなんじゃなくて……ほ、ほら、初めて見たから、な?」
「何が、『な?』なの? へぇー、驚きだよ。兄さんがネコミミ好きなんて。にゃんにゃん、とか言ってほしいんだ?」
「ち、違うって、椿。俺は、ああ言うの椿が着たら可愛いだろうなって」
「な――」
その唐突な零余の言い分に椿は仰け反り、ドン引きしたように一歩後ろに下がっていた。その目が「本気?」と語っている。いくら片割れとは言え、そんな変態的趣味を押し付けられるとはさすがの椿も思っていなかったのである。
だが、零余の目は真剣だ。何故かしっかりと椿を見据え、こくりと強く頷いている。どうにも本気で椿ならば、あのネコミミメイドの格好が似合うと思っているようだ。
「う……で、でも、あのネコミミさんを見ていたのは変わらないからね。そもそも、食べ物系は後にしようって決めたよね? ほら、行こう」
零余の本気の視線に押し切られてしまいそうな危機感を覚え、慌てて椿は零余の手を引っ張る。だが、零余の手が動くことは無かった。それどころか、またもあの『すく~るにゃんにゃん』の看板を目で追っている。その目は、看板の最下部に注がれていた。椿もそれを追いかけ、その一文を目にしてギョッとする。そこには、こう書かれていた。
『試着してみたい、そんなあなたも大歓迎! 給仕体験も出来ちゃうよ?』
「椿、あれやろう!」
「兄さんっ!?」
大声で力強く提案する零余に慌てふためく椿だが、やはり零余の目は本気だ。本気で椿にネコミミメイドの格好を強要している。その姿を見つめ、椿は思った。
(に、兄さんが知らない間に変態に!?)
長らく時間を共にしてきた椿でも知らないことだが、この少年は産まれ持っての変態である。
零余に促されるまま、椿も強くは抵抗出来ずにその喫茶店へと向かってしまう。そこには、待機していたネコミミメイドの女子学生が二人の姿を見つめ、決まり文句のような挨拶で出迎えた。
「お帰りにゃさいませ、ご主人様」
「はい、帰ります!」
「椿、今のは帰れって言う意味じゃないから」
と言う何が何でも隙を見つけて逃げ出そうとする妹とそれを抑える兄と言う一幕を終え、零余の話を聞いた女子学生は、その目をキラリと光らせた。それは、獲物を狙う狩人のそれを思わせる鋭いものだった。彼女は、椿に隈なく目をやっていき、まるで写真のフォーカスのように指で四角を形作って近づいたり遠ざかったりすると、期待に目を輝かせる零余にピースサインを向ける。
「極上の素材だにゃ」
「ああ、そうだろう?」
何故か力強く頷き合う二人。椿は、悟った。この女子学生もまた、零余と同様の変態的思考の持ち主なのだと。
もはや逃れる術も無く、また期待の目を向ける兄を悲しませることも躊躇われ、少しだけ気重な面持ちで椿は案内する女子学生についていく。零余はその間、他の店員に案内されて店の席で待っていることとなるらしい。どうやらその女子学生の話では、給仕体験とはカップルかそれに類する者たち限定のものらしく、椿はこれから彼女と同じ格好に着替えた後、零余の下に顔を出すとか。それを考え、椿の頬は真っ赤に染まった。
(あ、あんな格好で、兄さんの前に姿を見せるなんて……!)
椿が連れられたのは、店と化した教室をカーテンで二つに区切った内の、厨房側の待機室だ。そこには、同じく小さなカーテンで区切られた試着室らしきものがあり、その周りには幾人かの生徒が忙しなく動き回っている。机をいくつか並べてその上に電気コンロを置き、あるいは電気ケトルで水を沸かして紅茶のTパックにお湯を注いでいる様は、何だか店と言うよりはやはり学生レベルのものなのだ、と椿は実感してしまう。
「それじゃ、ここに入ってくださいにゃ。中には衣装がありますから、それを自由に着てくれていいですにゃ。あ、ちなみに着た段階でにゃん語の使用は義務付けられますから、そのつもりでいてくれにゃ」
「にゃ、にゃん語? それってもしかして……」
「もちろん、今の私の言葉遣いですにゃ。――まぁ、適当ににゃんにゃん言っとけば男は喜ぶんで、それで。彼氏さんも喜ぶんじゃにゃいですか?」
「か、彼氏とかじゃないですから!」
大声で否定し、それで注目を浴びたことで椿は逃げるようにカーテンの奥へと入り込む。そこには、靴を脱いで立つためのシートが敷かれており、上に目を向ければ、言われたとおりいくつかサイズごとのメイド服一式がずらりと並んでいた。標準的な濃紺のワンピースに、フリルのついた白いエプロンがハンガーにかけられている。その手前には、着付けを確認するためか等身大の鏡も用意され、そこに映る自分の頬があからさまに赤くなっていることに気づき、椿はサッと目を逸らした。いくら何でも、兄を相手に意識し過ぎである。
熱くなった頬に手を当て、はぁ、と椿は息を吐き出す。そうしていると自然と緊張や羞恥は薄れていき、心は平時に近づいていく。本当なら戦闘時の動揺を抑えるために教えられた精神安定の技術だが、まさかこんな場面で使うとは椿も終ぞ思わなかった。
落ち着きを取り戻したところでもう一度鏡の自分に目をやれば、そこには長い髪をうなじ手前で二房に纏めた少女がいる。周囲からは綺麗や可愛いと評されることの多いその顔立ちを眺め、しかし産まれてからずっと見続けたために実感も湧かず、そっと頬を指でなぞっていく。
白い肌に、黒い瞳と黒い髪。切れ長の眉に桜色の唇。そのどれも、これと言って特徴に欠けると椿は思ってしまう。彼女の周りなど、特に利愛や卯月なんかは、はっきりそうと分かる特徴的な目の色や髪をしている。その特質的な容姿に、椿は年相応の憧れを抱いているのだ。髪を染めてみたいとも思うし、それこそ利愛のようにウェーブがかったそれを羨ましく思うこともある。だが、それをしてしまえば、椿は別物になってしまう。
鏡をもう一度確認する。そこに映っているのは、柊椿だけではない。似た顔立ちをした彼もまた、重なって見えるのだ。同じく黒い髪と黒い瞳を持つ、柔和な微笑を浮かべた兄の姿。それを思い返せば、安易に髪色を変えると言うことは躊躇われてしまう。精々、髪型を少し弄る程度だろう。
(はぁ……私はここまで気にしてるのに、兄さんってなんであんなに暢気なのかな……)
先の兄の様子を思い返し、椿はため息を吐く。零余は、辛い毎日を送っているはずなのだ。少なくとも椿はそう思っている。だが、あるいはそれが日常化してしまったがゆえに何も感じなくなってしまったのだろうか。それは、ある意味でとても悲しいことだ。
霧生院学園中等部の制服に手をかけ、首元に巻いたリボンを外していく。それを脱衣用の籠らしきダンボールのようなものに一先ず入れておき、ブラウスのボタンを外すと、少女の肢体が露になった。着けてからそう何年も経っていない胸部を覆う下着は、スポーツタイプの物であり、肌色よりも少し赤みがかった桃色が素肌に良く映えている。未だ発展途上の胸は、膨らみと呼ぶには難があるものの、その花開く前の蕾のような愛らしさが、熟れる前の果実同然に少女の価値を引き立たせていると言える。そうして一つずつ衣類を脱ぎ去り、椿は自分のサイズにあったメイド服を手に取る。それを一つずつ着ていき、最後にこの喫茶店の心臓部とも言えるネコミミを頭部に装着すれば、鏡の中には見事なネコミミメイドが出来上がっていた。
学園祭と言えばメイド喫茶、と言うイメージが何故かあります。
何故でしょう?
ハイリヒトゥムも全て出そろったので、次はシュトラーフェの紹介です。
・ミュール
《形態》無形
《能力》不可視の防御壁を展開する。壁の形状は椿のイメージによって為されるため、普段は球や四角の形を取ることが多い。複雑な形態にも展開が可能であるが、ミュール自体は椿の目にも見えず、イメージで形を変えてしまうので、一定の形を保つためには球や四角が一番適している。
防御特化のシュトラーフェであり、戦車砲の一撃すらも防ぎ得る。反面、展開半径を広げれば広げるほど強度は薄くなる。拡張して敵を押しのけることも可能だが、本気で踏ん張られると押し切れないなど、攻撃面ではあまり期待できない。
椿のミュールですね。かなり使い勝手がよく、取り扱いに難儀する力です。
基本、守りだけなら大抵のクラティアじゃ突破できないですからね。おまけに相手を包むように展開したら動きも封じられるので、攻撃性能以外でならかなり強力です。
はてさて、学年選抜戦で椿はどんな戦いを見せてくれるのでしょうか?