②
教室の出入り口に近い席に座っていた椿が俺を見る。俺は頷くと、席を立って急いで教室の外へ向かう。椿は、すでに駆け出していた。
昼休みは、戦争だ。このフォルセティには校舎の立ち並ぶ区画と飲食店が立ち並ぶ区画の二つにだけ、食堂が存在する。だが、問題なのはこれら二つが大きく距離を隔てているということだ。仮に飲食店区画の食堂を利用しようとした場合、そこへ行くまでに約十分。昼食時間に三十分を見積もったとしても、帰りの十分で一時間ある昼休みがほとんど消し飛ぶ計算になる。ゆえに俺たち学生は、校舎区画にある食堂を主に利用するのだが、こちらは飲食店区画に比べて席数が少ないのだ。そのため、この時間帯になると雪崩れ込むように学生が食堂に殺到し、大混雑を巻き起こす。
まさに戦争。昼飯をかけた戦いなのである。
俺も椿も弁当は用意していない。購買のパンでもいいのだが、しかしそれでは味気ない。やはり食べるとすれば、しっかりとした飯が良い。
俺は廊下を全速力で走り、先を行く椿に追いつく。そうして二人並んで走っていると、横に見慣れた友人が並んできた。
「よぉ、レイ。相変わらず食堂までダッシュか?」
「そういうお前も同じだろ、恋。っていうか、授業サボってたんならせめて俺らの席を取っといてくれよ」
「お前らの席はもう絶対とらねー。はよ金返せ」
まだ昨日のことを怒っているのだろうか。催促するように差し出してきた手を払いのけつつ、俺は言う。
「俺たちの分はもう支払っただろ。カティさん探して返してもらえよ」
「それなんだよなぁ。カティってクラスどこだよ?」
あいにく、恋の問いに俺は答えられない。昨日あったばかりの上、まともに連絡先も交換しなければ、そうした話もしなかったからだ。しかし、印象的には借りた金を踏み倒すような娘でもなかったし、支払いの有無に気づけば、向こうから会いにくるだろうと考えている。
そんなことよりも俺にとって今は、席を取れるかどうかが大事だ。別に席が無くても食べられないことは無いが、どうせなら落ち着いて飯を食いたいからな。
食堂に辿り着くと、俺たちは即座に役割分担を行う。椿、恋はすでにかなりの長さになっている行列へと駆け込んでいく。こうしている間にも新しく食堂に来た生徒が我先に並び始めていた。
一方、俺といえば、もちろん座席の確保である。料理の方は、椿に任せておけば大丈夫だ。双子だけあって好みはほとんど同じなのだ。わざわざ確認を取るまでもない。
食堂をザッと見回す。すでに俺たちと同じ行為を行なっている生徒が多く、一人の生徒が四つほどの席を確保するという光景がちらほら見受けられた。
ちょうどこの食堂は、片側十人、両側で二十人が同時に席につけるテーブルを上下左右に複数個並べた機能的な造りになっている。俺たちが入ってきた入り口から見て食品受け取り口は正反対に位置し、ちょうどそこから「L」を反転させたような形で列が並んでいる。その受け取り口上部には今日のメニューがデカデカと並んでおり、その下ではトレイを受け取った学生が席につくか、あるいは食堂外の屋外用の席に向かう姿もちらほら見られる。
それらを一つ一つ見回し、俺は空いている席を見つけることに成功した。まだ誰も座っておらず、四人から五人ほどの席が確保できそうだ。座る場所を見つけると、備え付けのウォーターサーバーに近づき、脇に置いてあった紙コップに水を入れる。それを三つ器用に抱え、俺は見つけたばかりの席へと急いだ。
「よ、っと」
三人分の水を置き、席を確保すると、俺はその一つに腰を下ろす。そのまま特にすることもなく、流れていく行列を眺めていた。時間を置くにつれてどんどん人が増えていき、もうそろそろ食堂も人で溢れ返ってくる頃だ。ちょうどラッシュ時をギリギリで回避することに成功したらしい。
「隣、いい?」
いきなり声をかけられる。別にコップを置いていない席なら、どこに座ってくれても構わない。不意に込み上げた欠伸を噛み殺しながら、俺は特に意識することなく答えた。
「別にいいよ」
「ありがと。それ、椿たちの席?」
「ああ、そう――って」
思いがけず妹の名前を呼ばれて隣を見ると、そこに立っていたのはカティさんだった。ミートスパゲティを乗せたトレイを抱えながら俺を見下ろしている。昨日振りに再会した彼女は、実に気さくな様子で俺に笑いかけた。
「昨日はごめんね。急に行っちゃって」
カティさんが俺の隣の席に腰を下ろす。
俺はふと、昨日借りたハンカチのことを思い出した。あの後、家に戻ってしっかりと洗ったのだが、血は染みになってしまっていた。どうにかしようとネットで色々と調べたのだが有用な情報を得ることもできず、染みを抜くことはできなかった。なまじハンカチが白かったから、余計に染みは目立つ。男ならともかく、女の子が使う物としては落第だ。
「呼び出されたんならしょうがないって」
話しながら、あのハンカチをどうしたものかと考える。今は手元に無いから切り抜けることは容易いだが、いずれは返さなければならない。だが、あんな物を返しても落胆させるだけだろう。
なんか、新しいヤツ買っとくか。
今月の小遣いを思い出す。何だか一気に気分が暗くなった。
「にしても、あの傷がずいぶんと可愛くなったわね」
「可愛い?」
一瞬、カティさんの言った意味が分からず、俺は昨日切りつけた頬の傷をなぞる。そこにあるのは、少しザラついた絆創膏の感触だった。椿に消毒してもらった後つけてもらった物なのだが、そう言えばパンダがプリントされていたな。額のものは昨日のうちに取ってしまったのだが、こっちの方は取るわけにもいかず、パンダが堂々と俺の頬を飾る事態となっている。
「あなたの趣味……はないか。椿ね?」
「正解。椿、結構こういう子供っぽいものが好きなんだ」
「もしかして、あなたも好きだったり?」
笑い、カティさんがからかってくる。地味に正解だからなんとも言えない。いや、別に頬につけるのが好きなわけじゃない。ただ、案外こういう愛らしいイラスト系のデザインは好きだったりする。
「あ、当たってた?」
俺の反応を見て、どこか楽しそうなカティさん。何か言い返そうかとも思ったが、別に知られて困るようなことでもないので訂正はしないでおく。
「そんなことより、昨日はどうだった? 先生に呼び出されたりして」
話題を変えるべく、俺は思いつくままにそう問いかける。気まぐれで尋ねたことだったが、カティさんの表情が一瞬で曇ってしまった。
「え?」
その急変ぶりに俺が対処できずにいると、カティさんはあからさまなため息を一つ零す。本当にどうしたというのだろうか。
「課題を出されたのよ。それをレポートに纏めて提出するまでコロッセオには出場できないって」
「ああ、なるほど」
得心がいく。道理でカティさんが落ち込んでいるわけだ。コロッセオでの試合を何より楽しみにしているカティさんにとっては、確かに的確な罰と言える。それを教師が狙ったのかどうかは分からないが、少なくとも再発を防ぐための有効的な処置だ。
目に見えて肩を落とすカティさん。コロッセオの事となると本当に感情の起伏が激しくなる。
「課題って、反省文か何か?」
「それならいいんだけどね」
課題と言われれば思いつくのはそれくらいだったのが、どうやら違うらしい。手持ち無沙汰なのか、カティさんは備え付けのフォークを弄りながら、俺の質問に答えてくれる。
「なんか、最近学園で起こってる事件の調査をしろって言われたわ」
「事件の調査?」
訳が分からず、俺がオウム返しのように聞き返すと、カティさんの目が真剣なものに変わる。それから辺りをキョロキョロと見回すと、急に俺に近づいてきた。思わずドキッとしてしまうが、カティさんは気にした風もない。それが逆に俺を安心させた。
カティさんは、俺にそっと耳打ちする。
「これはあんまり知られていないんだけど、最近学園で行方知れずの人が続出しているらしいのよ」
不意に告げられた事実に、俺は目を丸くする。思わずカティさんの方に目を向けるが、そこに冗談のようなものは感じられない。となれば、今話してくれた事実は本当だと言うことだろうか。
しかし、信じられない話である。こうしてフォルセティに通っている俺だが、そんな噂は露ほども聞いたことがなかった。
俺のそんな様子に気づいたのか、カティさんはポケットから学生手帳を取り出し、それを見せてくれる。そこには、数名の生徒の名前が羅列されていた。丁寧な字は、カティさんのものだろうか。名前よりもその上手な日本語の文字が気になった。
「これがその失踪した人たち。私は、先生からその調査をするよう言われたわけ」
「なんでまた?」
カティさんはあっさりと言ってのけるが、一学生がなぜそんなことをする必要があるのか。そも、ただの学生に調査と言うのも無謀な話だ。
「私がそういう将来設計を立ててるからかもしれないわね。まぁでも、別に事件を解決しろって言われたわけじゃないわ。聞き込みや調査をして、その報告をレポートに纏めて提出すればいいのよ」
それはそれで相当な手間じゃないだろうか。さっき見ただけで失踪した生徒の数は四人。その一人一人について聞き込みをするとなると、結構な作業になる。それらの話を纏めてレポートにするとなると尚更だ。
「大変そうだな」
「ほんっと大変。ただでさえここ、生徒も多いしね。そういうわけであなたも何か知っていたら教えて。レポートに纏められそうなことでね」
「あいにくだけど、失踪した人のことなんて今日初めて聞いた」
「やっぱり……なんか、皆知らないみたいなのよね」
疲れたようにカティさんはそうぼやく。出来れば力になってあげたいところだが、それは無理そうだ。にしても、失踪者か。この学園の特性からして何か嫌な予感を覚えるのは俺だけだろうか。連れ去られたのが皆学園生――クラティアだということは、決して偶然なんかじゃないだろう。こうして俺たちは軽く話しているが、学園側はこれを結構な重要事と捉えているだろうことは分かる。その上でわざわざカティさんを駆り出したのは、何らかの思惑あってのことか。
思考の深みに嵌りかける意識を、頭を軽く振って外に追い払う。考え事に夢中になりすぎるのは俺の悪い癖だ。
「失踪、か。大事件よね、これ……」
隣でカティさんが小さく呟く。彼女なりに責任感を抱いているのだろう。