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1-8

 ――――兄様が、恋?

 信じられない言葉を聞いた。


 いつの間にか陽が翳りはじめ、涼しい風が部屋に吹き込む。カーテンが揺れ、影が部屋の中で波打った。テーブルを挟んで向かいに座る、フラミーとエリオにも影が差す。

「相手は誰よ」

「アリーシャ、あなたよ。忘れてしまったのでしょうけど」

「だから、その私は誰なのよ!」

 思わず椅子から立ち上がると、私はフラミーを睨み下ろした。おろおろと戸惑った表情。気にくわない。彼女の隣で、薄ら笑いを浮かべるエリオ。気にくわない。

「兄様が恋なんてありえない! 兄様と釣り合う女なんて、この世にはいないんだから。兄様と恋人になろうだなんて、どれほど身の程知らずな女よ!」

「あ、アリーシャ。違うのよ、恋人ではなかったわ。エラルド様はあなたに恋をしていたけれど、あなたはちゃんと拒んだもの。兄妹ではいけないって」

「兄様を拒んだですってえ!?」

 怒りが全身を駆け巡る。握りしめた手は震え、熱を持っていた。唇を噛んでも噛み殺せない憤りが、目の前のフラミーを怯えさせていた。

「兄様を振って、あの女好きの皇太子殿下を選んだわけ!? そんな不遜なこと、許されると思ってるの!?」

 兄様に恋をするのはいい。誰もが憧れるような人だ。むしろ兄様を知って、恋をしない方がどうかしている。

 だけど、兄様と付き合うことは許せない。常識と良識がある女なら、自分が兄様の傍に立つことがどれほど罪深いことだか知ってしかるべきだろう。

 兄様を振るなんて、もっての外だ。兄様に想われることは至上の光栄。拒むことなどあり得ない。それは神に背くに等しい行為だ。

 要するに、兄様が恋をした時点で、相手の女が許される道はないのだ。


「……馬鹿馬鹿しい」

 怒りに打ち震える私に、冷めた声を浴びせたのはエリオだ。声同様に冷め切った視線は、私を一瞥するとすぐに逸らされる。

「兄様兄様、お前はそれしか頭にないのか。俺はお前の癇癪を聞きに来たんじゃない」

「エリオ!」

 たしなめるようなフラミーの声に、しかしエリオは耳を貸さない。わずかに首を横に振り、黙って椅子から立ち上がる。

「エリオ、どこに行くの」

「帰る。俺はエラルドではなく、ジルヴァーノ……殿下について話すつもりで来たんだ。だけどそいつに聞く気がないなら、俺がここにいる意味はない」

「エリオ、そういう態度は……!」

「――――魔王退治の結末がこれじゃ、あいつも死にきれないだろうな」

 ぽつりとエリオが吐き出した言葉に、フラミーが固まる。エリオをいさめるつもりだったのだろう。なにか言いかけた口は開いたまま、続く声は出てこない。沈黙が奇妙だった。

 唖然とした様子でフラミーはエリオを見上げるが、彼は応えない。

 ただ、無感情に私とフラミーを見やり、そして踵を返すだけだった。



 客室の扉が閉まる音がする。張りつめた空気がようやく消え、フラミーは安堵したように息を吐いた。彼女の怯えた視線は、エリオの出て行った扉の先に向かっている。

 フラミーが怯えているのはいつものことだ。だが、エリオはそんな彼女にさえ守られるような軟弱な存在だった。今の力関係は、私には少し奇妙に映る。


「…………皇太子殿下、亡くなられたの?」

 少しの間をおいて、私はフラミーに尋ねた。

「あ、え、いえ……」

 彼女は慌てて視線を私に戻し、あいまいな否定を返した。

「亡くなられてはいないわ。ただ……あなたと同じく意識が戻らないの。生きてはいらっしゃるけれど、ずっと目覚めず眠り続けていて……」

 フラミーは言いにくそうに、片手で口元を隠す。視線を彷徨わせ、どう伝えたものかと思い悩んでいるらしい。

「魔王と戦っている最中、魔王の魔力にあてられたせいじゃないかと言われているの。眠り続けるあなたにも、殿下にも魔力の気配が感じられたから」

「言われている?」

 なんだか引っかかる言い方だ。

「本当のところは、誰にもわからないの。いったい魔王との戦いの中でなにがあって、どうして眠り続けているのか。――魔王との戦いには、たったの四人しかいなかった。その中でも、アリーシャ、あなたと殿下だけが最後まで立ち向かえたと聞いているわ。エリオもエラルド様も、魔王を倒す瞬間を見たわけじゃないの。あなたと殿下が戦う横で、意識を手放したのだと言うわ」

「兄様が、殿下より先に意識を手放すなんてありえないわ!」

「精霊魔法で魔王を倒したというのも、残った魔力と精霊たちの様子から推測したものなのよ。真実はあなたしか知らないの。だから、エリオは魔王を倒したその時のことを知りたかったのよ。あなたに記憶がないと分かっていても」

 私の言葉なんて聞きやしない。ふん、と荒く鼻から息を吐く。生意気になったものだわ。

「それに……」

 フラミーは、先ほどよりなお言いにくそうに、両手で口元を覆う。

 ちらりと上目で私を窺い、同じ瞳でエリオの出て行った扉を伺い、もう一度私に視線を戻す。もどかしいその様子にいらいらする。

「たぶん。……たぶんだけどね、エリオも、あなたのことが好きだったのよ。だから、今のあなたにきつく当たってしまうんだわ」

「はあ!?」

「ええと、私が見ていて思っただけなんだけど。エリオ、あなたに追いつきたくて体を鍛えていたの。魔法が使えるようになったのも、あなたのおかげだし……あなたに対してだけ、特別に優しかったような気もするわ」

 とつとつとフラミーは語る。

 話を聞きながら、私は口元が歪に曲がるのを感じていた。気色悪さが私の頬を強張らせる。

「……これで三人目よ」

 兄様は含めたくないけれど――仮、そう、仮に含めるとして、三人の男に好意を寄せられたことになる。そしてその三人は、すべて魔王討伐パーティの人間だ。

 パーティ全員が同じ女を好きだったということになる。しかもその女が、私なのだ。

「あ、え、エリオは私が勝手にそう思ったってだけなんだけど……」

 慌ててフラミーが否定した。首を大きく横に振ろうとして――だが、思いとどまったように止まる。

 瞬きを一つ。ためらい、口を開いて閉じるのを一度。それから短い間の後で、彼女は私を見上げてこう言った。

「でも……それくらい、あなたは魅力的な人だったのよ、アリーシャ」

 私を映すフラミーの瞳には、微かな諦念と憧れが見え隠れする。

 嫉妬さえも通り越したそれは、容認の感情だ。ライバルとして争い合うことさえも捨てた、負け犬の心だ。

 兄様が、無数の人間たちから受け続けてきて、私はついぞ得なかった視線だ。


 なんだか笑ってしまいそうになる。



 私じゃなければ、こんな簡単に手に入るんだ。

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