1-7
フラミーが来たのは、翌日の昼過ぎだった。
場所は二階南向きの客室。ちょうど、焼け落ちた自室の真下に当たる。穏やかな春風が吹きこむものの、なんとも不吉な空気の部屋である。
「アリーシャ、具合はどう?」
遠慮がちなノックの後、そう言ってフラミーは部屋に入ってきた。
昨日と同じく制服姿で――――昨日と同じく、エリオを背後に従えて。
部屋の空気は最悪と言って差支えがない。私を嫌いな人間が一人いて、私の気にくわない人間が二人いるのだ。和やかな空気になる方がおかしい。
「ええっと、アリーシャ。昨日はあの後、帰っちゃってごめんなさい。もっと話すことあったのに」
不機嫌な私としかめ面のエリオに挟まれ、フラミーは居心地悪そうにそう言った。
「話がしたいなら、連れてくる相手を選べばいいのに」
「…………アリーシャ」
私の至極もっともな意見に、フラミーは面食らった顔をする。それから一拍遅れて、考えるように両手を胸の前で握り合わせる。
三年たっても変わら、鈍くさい反応だ。
「―――もう、アリーシャったら、そういう態度取らないの!」
が、次の行動は予想していなかった。
三年前なら怯えて口ごもっていたはずのフラミーが、親しげに私の背を叩いたのだ。親しさを強調するような態度は、特に癪にさわった。
「やめてよ」
フラミーの手を押しのけ、私は短くそう言った。だが、フラミーは聞いていない。
「エリオがいないと、話がはじまらないのよ。話って言うのは、魔王退治の時のことなんだから」
「エリオだけじゃなくて、あんたも含めて選べって言ったんだけど」
「もちろん、三年間の間に起きたこととか、学校のこととかも話す必要があるけど、それはおいおいね。今一番は魔王退治と。ジルヴァーノ皇太子殿下についてのこと」
私の言葉を綺麗に無視して、フラミーは話を続けた。不快感を包み隠さず顔に浮かべた私のことは、あまり正面から見ないようにしているらしい。視線が合わない。
「魔王退治? 皇太子殿下? それ、エリオとなんの関係が」
「あるのよ」
フラミーが、訝しむ私を横目で見た。どこか自慢げな顔をしている。
「エリオはその魔王との戦いに、あなたと一緒に挑んだんだから」
「はあ?」
魔王との戦いなどと言う、笑ってしまうほど浮ついて現実感のない単語に、私は表情を歪めた。
足手まといの置物以下とかつて罵った男は、不敵な目で私を見下ろしている。
「役立たずだったけどな」
低い呟きは、表情とは裏腹に少しだけ悲しい声色だった。
○
カーン・ウェルチは死者の国の住人だ。すでにこの世から失われて久しい存在である。
だが、その強い魔力は死してなお有効だった。彼はその魔力によって、死者の国から世界の境界を越え、人の世に干渉してしまったのだ。
彼は、生者の国における魔力の覇権と支配を狙っていた。そして、その支配の邪魔になるであろう、優秀な魔法使いたちを殺してしまおうと企んでいた。
ここまでは、昨日フラミーが話した通りである。
だが、ここで世界一と名高い魔法使いに挑もうとする、勇敢な若者たちが四人いた。
一人はアリーシャ。精霊の愛を一身に受ける、未だ十七の可憐な少女。
一人はジルヴァーノ皇太子殿下。この国の第一皇子にして、最強と名高い魔法剣士である。剣の精霊という、攻撃特化の特殊な精霊を従える彼の剣技は、芸術的とさえ言っていい。
また、その容貌も芸術的と言える。王族特有の色素の薄い髪は、まるで銀の糸のよう。繊細な四肢と、一部の隙もないほど整った顔かたちは、神が彫った彫像ではないかとさえ謳われる。その微笑みはミステリアスで、理屈ではなく人の心を惹きつけてやまなかった。
一人はエラルド。ローヴェレ家の天才児にして、若き魔導兵長である。強力で攻撃的な光の魔法を次々と操るその戦いぶりとは裏腹に、本人は穏やかで、心を和ませるような人柄をしていた。光を放つような金の髪は、彼の魔法の性質を表しているのだろう。魔法使いらしく線の細い体つきだが、決して軟弱には見えない。彼もまた、美しい男だった。
最後はエリオ。エリオ・セラータ。忌み子と呼ばれた、呪われし闇の力の持ち主である。だが、彼はアリーシャと出会い、変わった。忌み嫌われた力を受け入れ、その力で世界を救う戦いに挑んだのだ。
戦いは熾烈を極めた。生前、最強の魔導師と名高かったカーン・ウェルチ。そして、死者の国から呼び出される無数の魂たちに挑むのは、たった四人の戦士だけだ。
彼らは地下に潜むカーン・ウェルチを倒すため、誰も到達したことのない学院付属ダンジョン――地下迷宮の最下層まで行き、そこで彼と対峙した。
戦況は思わしくなかった。選りすぐりの四人の戦士でさえ、カーン――いや、魔王の前では歯が立たなかったのだ。
魔王により、一人、また一人と倒れて行く。このままでは全滅する。そう確信したアリーシャは秘策に出た。
――己の命を魔力に変え、地下迷宮に潜む全ての精霊に分け与えたのだ。
地下迷宮は、アリーシャの力を受けた精霊たちのものとなった。空間そのものがアリーシャの味方に、そして魔王の敵となったのだ。
魔王は地下迷宮に存在し続けることができず、ついに己の世界へと逃げ帰っていった。
だが、戦いが終わってもアリーシャは目覚めなかった。
このまま、永遠に目覚めないとさえ思われていた。
○
「兄様もいたの……」
「話を聞き終えて最初に言うことがそれか」
長話を終えたエリオが、腕を組んだまま言った。
いつのまにやら、窓からは斜めに陽が差し込むようになっている。女中の淹れた二杯目のお茶も、すっかり冷めてしまっていた。
「だって興味ないもの」
「……ジルヴァーノはいい面の皮だな」
ジルヴァーノ。嘲るような口調で出てきたその単語に、私は眉をしかめた。
ジルヴァーノ殿下と言えば、国に知らない者はないと言うほどに有名だった。エリオの話で出てきたように、この国の次期皇帝として、また、優秀な魔法剣士としての名も知られているが、それ以上について回る悪名がある。
「――――ねえ、本当に私が殿下と恋人だったの。あの殿下の軽率な態度にみんな勘違いしただけでなく、本当に?」
「残念ながら本当だ。あの男の悪い癖も、お前と――前世の記憶があるころのお前と出会ってからはなりを潜めていた。らしくもなく、一筋だったよ」
やや感傷めいたエリオの口調を聞き流し、私は自分の体を抱きしめた。
体が震えている。目が覚めて三年たったと言われたときよりも、ずっと血の気が引いた。
「私に、なにもしていなかったでしょうね……!」
「なにも?」
「き、キスとか……!」
恋人同士がするような、やたらと粘りつくような抱擁や、恥を捨て人前で手をつなぐ行為や、それに連なるもろもろを想像し、私は青ざめる。自分がまるで、汚いものになってしまったかのようだ。
目の前では、フラミーとエリオが目を丸くし、間抜け面を晒していた。人の気も知らないで、いいご身分である。
「キスって」
しばらくして、フラミーがくすりと笑った。馬鹿にした笑みだ。
エリオも口を曲げる。明確な嘲笑だ。
「思考が十四の時のままだな。誰もが認める恋人同士だったんだ。何もしていないはずがないだろう――――キスだけではなく」
「嘘よ! わ、私があんな軽率で女癖の悪い、どこの馬の骨ともしれない男に……!」
「この国の未来の皇帝だ。馬の骨どころか、最高の男だろう」
「でも、兄様よりは劣っているわ! 兄様以下の男なんて絶対に嫌よ!」
怖気と怒りで、私の声は震えていた。痛いくらいに両手を握りしめ、唇をかみしめる。
私が、兄様以下の男に心奪われるなんてありえない。何かの間違いに決まっている。絶対に。
「……その『兄様』だけどな」
エリオがフラミーに目配せをする。フラミーは頷き、なんとも――なんとも憐みのこもった瞳で私を見上げた。
嫌な予感がする。
「あなたに恋をしていたのよ――記憶を失う前のアリーシャ、あなたに」




