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小火騒ぎのおかげで、次々と控えていた見舞客に会わずに済んだのは、不幸中の幸いと言うべきだろうか。
「……炎の精霊と契約していたの?」
「してないよ」
ないのかよ。
護衛兵の水魔法による消火活動が終わり、変わり果てた姿をさらした自室の前で、私はぽつりとつぶやいた。
部屋の周りは、後始末に駆けまわる使用人たちで溢れていた。焦げ付いた部屋は水浸しで、しかしまだ炎のにおいが残っている。
そして私の頭にはまだ、手の中で尋常ではないほど膨れ上がった魔力の感覚が失せずにいる。
現実味がなく呆然とする私の隣で、例の精霊の少女が「てへー」と言いつつぺろりと舌を出していた。相も変わらず宙に浮いているが、逆さになるのはやめたらしい。私と天地の向きを揃え、悪びれた様子もなく肩をすくめてみせている。
「してなくても、こんな風に勝手に手伝ってくれちゃうわけ。特に火とか水とか、人と近い場所にいる精霊はそう。だから取扱いに気を付けろっていいたかったの」
「……言うのが遅いわよ」
「ちゃんと言いましたー。扱いが難しいって言いましたー。だから練習した方がいいとも言いましたー」
唇を尖らせ、精霊は私に文句をつけてくる。たしかに言っていた。しかと記憶している。
が、私はそれを無視し、横目でちらりと精霊を伺い見る。
「それなら、じゃあ私が契約していた精霊はなんなのよ」
「えーっとねえ。風の精霊、花の精霊、雷の精霊、吹雪の精霊、蜜の精霊、木偶の精霊――――かな? 最初の七つの精霊から後は、もう忘れちゃったなあ。みんな好き勝手に契約しちゃうから」
好き勝手に契約? 七つの精霊から後? 七つの精霊との契約ですら破格だと言うのに、それをさらに上回るというのだろうか。
十四年間、無精霊と馬鹿にされてきた私をまるで嘲笑うかのようだ。
――……私にもこんな力があれば、ってずっと思っていたわ。
ほんの火種を作るつもりで、部屋を燃やすほどの炎を生み出した手のひら。十四の頃よりも、少しだけ細くなった自身の手を眺めて、私は笑い出しそうになる感情を噛み殺した。
隣に浮かぶ精霊も、私の表情には気づいていないらしい。
「アリーシャ!」
聞き慣れた声に、私は反射的に表情を消した。手のひらから目を離し、声の方向を見る。
そこにいたのは、侍従を引き連れた両親だった。血相を変えた母と、余裕ある笑みをたたえた父。
「やべっ」と言ったのは、精霊の少女だ。彼女は慌てて浮き上がると、そのまま天井をすり抜けて消えてしまった。なぜ逃げる。
「アリーシャ、あなたの部屋が火事だって聞いて驚いたわ。無事でよかった……」
母は心底から安堵したように、私の手を取った。私は精霊の消えた天井から、母に視線を移す。
私と同じ栗毛色の髪が乱れている。いつも美しい、母らしくもない。
「私は心配していなかったぞ。またやらかしたのだとは思ったがな」
はっは、と大きく笑ったのは父だ。私に似た凡庸な容姿には、兄様に似た威厳が見え隠れしている。
「目覚めてすぐにこの騒ぎとは。さすがアリーシャだ。今度はどんな精霊の仕業だ?」
「笑い事じゃありませんわ、あなた! 危うく怪我をするところだったんですよ!」
「はは、だが無事だろう」
「……それはそうですけど」
母が、納得のいかない声で父を見上げる。その横顔に、少し皺が増えているだろうか。父は変わりがない。豪放で、細かいところを気にしない性格もそのままだ。
「いつだってアリーシャはそうだろう? どんな危機も必ず乗り越えることができる。今回だって、ちゃんと目覚めてくれた。それもこんなに盛大に」
そう言って、父は燃えた私の部屋を眺めた。
「私の自慢の娘だ。なあ、アデリナ」
「あなたは能天気すぎますわ」
父の言葉を一言で切り捨て、母は私に向き直る。そして、ためらいもなく私の体を抱きしめた。
「アリーシャ、あんまり無茶をしないでちょうだい。心臓が止まるかと思ったわ」
母に抱きしめられたのは、私の記憶では四年ぶりだった。
自慢の娘と言われたのは、生まれて初めてだった。
○
生まれてから十四間。両親が優しくなかったことがない。
甘やかされてきた。それは間違いがない。彼らはいつだって私を否定せず、可愛がり、金も権力も好きに使わせてくれた。
ただ、エラルド兄様が、私より先に生まれていた。
それだけだ。
「フラミーさんから聞いたわ。あなたに、三年間の記憶がないこと」
「大丈夫、ゆっくり思い出していこう。お前ならできる。私の自慢の娘だからな」
「もう、あなたってばそればっかり!」
場所を客間に移しても、父と母の態度は変わらなかった。昔から変わらず、娘から見ても仲睦まじい夫婦である。
「記憶がないのに、あんまりたくさんの人に押し掛けられても困るでしょう? 今日はあんな騒ぎもあったし、お客様方にはお引き取りいただいたわ。落ち着くまで、もう少し待っていただきましょうね」
侍女が入れた紅茶を飲みながら、母は穏やかに微笑んだ。
「でも、フラミーさんたちだけは明日も来ていただけることになったの。フラミーさんは、三年前のあなたもよく知っているでしょう。だから、今のあなたとお話するにはちょうどいいと思って」
「え」
思わず顔に浮かんだ嫌な顔を、慌てて紅茶のカップで隠す。そんな私の態度に、母が微かに首をひねった。
「アリーシャ、まだ調子が良くないの? やっぱり寝ていた方がいいのではなくて?」
「い、いえ。大丈夫よ」
今さら眠気なんてあるはずがない。寝て起きて三年後と言うほかは、調子もすこぶる良いと言える。
「……そう。何度も言うようだけど、本当に無理はしないでね。以前のあなたは、本当によく無茶をしていたから」
「無茶なんて……」
先の言葉を、紅茶と共に飲み下す。紅茶の熱さに、魔法で作り出した炎の熱を思い出す。あんな魔法がいくらでも使えれば、無茶なんてする必要はないのだ。
「大丈夫。アリーシャならすぐに、元の調子を取り戻すさ。きっと記憶もすぐに戻る。心配するな」
父が気楽に言って笑う。母がたしなめる。そうして私を見つめる表情には、誇りと信頼に満ちている。
エラルド兄様に向ける表情と、同じ。




