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「……じゃあ、本当にあなたはあっちのアリーシャなの? 三年前の……」
「あっち、ってなによ」
私はずっと私だ。不満に顔をしかめる私には気づかず、フラミー似の女――いや、フラミー本人は言葉を続ける。
「あの地下迷宮に潜る前のアリーシャなのね。私がパーティから抜けたときの……」
私は頷きもせず、黙って彼女の話す姿を見ていた。
彼女たちが私を「前世の記憶がないアリーシャ」と認めるのと同じくして、私もまた、自分に空白の三年間があることを認めざるを得なかった。
いや、本心ではまだ半信半疑だ。夢でも見ているのではないかと思う。だが、鏡の中にいる私が、三年の経過を与太話ではないと語っている。
人を呼ぶ気は失せていた。頭の中が混乱して、それどころではないのだ。
――三年。三年の間、私はなにをしていたの? 本当にフラミーたちの言うとおり物語みたいなことをしてきたの?
でも、何も覚えていない。前世の記憶と言うけれど、その間行動していた私は一体なに?
不安が滲みそうになる口元を片手で隠し、私は目の前に立つフラミーを見やった。
ついこの間の記憶では、フラミーは私よりも少し背が高かったのに、今はこぶし一つ程度小さい。相変わらずの黒く長い三つ編みを垂らし、怯えたような視線を何度か彷徨わせる。ぽかんと口を開ける様は、記憶にある間の抜けたフラミーそのものだった。
だが、すぐに彼女は口を引き結んだ。両手を胸の前で握り合わせると、一度大きく頷いてから私を見る。
「ごめんなさい、アリーシャ。私が抜けたから、あなたたちのパーティが全滅したんだわ」
「は?」
思わず低い声で問い返す。彼女の言うことはもっともで、フラミーがあの時勝手に抜けさえしなければ、回復薬を切らして全滅することもなかったのだ。だが、今のこの状況で話題にするには、あまりに些末すぎる。
「あの頃は、あなたも私も子供過ぎたの。人の気持ちなんて考えられなかったのよ。だからあんな些細なことで喧嘩して……でも、大丈夫。今はもうわかっているわ」
「……なにを?」
「アリーシャ、あなたのこと。あの頃はどうしてあなたが一番にこだわるのか、そんなこと考えたこともなかったの。少し考えればすぐにわかるのにね」
「だから、なに」
回りくどいフラミーの口ぶりにイライラするが、彼女はそんな私の様子を見ても、いつもの怯えた様子は見せなかった。むしろ苦笑じみた表情を浮かべてさえいる。
「もう無理はしなくていいのよ。十四歳のあなたは張りつめすぎていたわ。大丈夫。誰もあなたとエラルド様を比較したりなんてしないから」
私は口を閉ざし、ただ顔をしかめた。いっそ、無表情と言った方が近いかもしれない。だが、その表情はフラミーには見えていないだろう。彼女は言い終わると同時に――私の体を抱きしめたのだから。
ふわりと柔らかい女性の感触に戸惑う。誰かに抱きしめられた記憶なんて、十を過ぎてからはもうなくなっていた。
フラミーは私よりも背が低いくせに、年下の子供を慰めるように軽く肩を叩いた。手のひらもやわらかい。彼女の長い黒髪はくすぐったい。
無反応の私に満足したのか知らないが、ひとしきり叩いた後、フラミーはようやく私を解放した。笑顔のまま、私を見上げる。
そのとき、ふと、彼女の瞳がうるんでいることに気がついた。
「アリーシャ、私、あなたと仲良くなったのよ。私だけじゃない。今のあなたには友達がたくさんいるわ。みんなあなたが目覚めるのを待っていたの――――こうしてはいられないわね、私、みんなにあなたが目覚めたこと、伝えてくるわ」
言うや否や、フラミーは私に背を向けて部屋を飛び出して行ってしまった。あ、とも声を上げる間もなかった。
「お、おいフラミー! 待て!」
そう言ってフラミーを追いかけ、続けて出て行ったのは粗野な口調のそばかす女だ。
「フラミーもショックだろうに、強くなったなあ」
などと呑気に言いながら、筋肉男も出て行く。
呆けているのは私ばかりだ。三人の出て行った扉を眺め、私はただ立ち尽くしていた。
――ショックですって? どうして私が目覚めたことで、フラミーがショックを受けなければならないのよ!
憤りとも困惑ともつかない感情が、鏡に映る私の表情を歪ませていた。
そうして部屋に残ったのは、私ともう一人の男だけだった。
灰色の髪をした、あの性格の悪い男だ。この男だけは、なぜかフラミーを追わずに、腕を組んだまま先ほどからずっと私を見据えている。
「……なによ」
「フラミーはああ言ったが、俺はお前に言われたことを忘れていないからな」
「はあ?」
暗い海色の瞳が、私を睨みつける。色素の薄いその面差しに浮かぶのは、隠しきれない――敵意だ。
「お前が三年前のアリーシャ・ローヴェレなら、俺はフラミーのように優しくするつもりはない」
「……心当たりがないんだけど」
見知らぬ男に敵意を向けられる筋合いはない。制服を見る限り、同じウェルチ魔法学院の生徒。だが、同級生にこの男がいた記憶はない。たとえ性格が悪かろうと、これだけ有能そうな男なら、私が記憶していないはずがないのだ。
「お前にとっては、記憶するにも値しない男だったか」
明確な苛立ちを込めて、男は私に言い捨てた。見目の良い男の怒りの表情は、それだけで凄味がある。思わず、私は息を詰まらせてしまった。
「あんた……誰よ」
怯みそうな心を隠し、私は抑揚少なくそう尋ねた。
男は私を睨みつけたまま、クッと笑うように喉を鳴らす。
「――――エリオ。エリオ・セラータ。聞き覚えは?」
「エリオ……?」
嫌味な問いを聞き流し、私はエリオと名乗った男を見返した。
背丈は私よりも、頭一つ分大きい。もしかしたら、兄様と同じか、それよりも高いくらいだ。筋肉質と言うほどではないが、体つきはがっしりとしている。軽くまくった袖から見える腕は、骨ばっていてたくましい。大きな手は剣を持つのが似合いだ。
軟弱だったエリオの面影はない。あの同級生の女子よりも小さく細かったエリオと、今エリオと名乗った男。似ているのはせいぜい、色素の薄い髪と肌。
三年間の記憶がないと言われたときよりも、フラミーに抱きしめられたときよりも、ずっと驚いた私に、エリオは口の端を曲げてみせた。
「これで、荷物持ちくらいはさせてもらえるか?」
細められた目は、しかし笑みというにはあまりにも歪んでいた。
執念深い瞳の色をしている。




