1-3
混乱極まり、はしたなく声を上げた私を、断りもなく部屋に押し入ってきた無作法者達が訝しげに見つめる。
私も、相当に怪訝な顔をしているはずだ。聞き覚えのない単語を次々に浴びせられ、眉の一つもしかめないなら、その方がどうかしているだろう。
部屋に入ってきたのは、フラミー似の女を含めて四人。男が二人、女が二人。女一人はフラミーの姉妹だとして、残りはいったいどこの誰なのか。顔立ちは見覚えがあるようで、しかし心当たりの人物が浮かばない。
得体の知れない三人のうち、一人はそばかす混じりの育ちの悪そうな顔つきの女。一人は魔法使いには似つかわしくないほどに体格がよく、筋肉だけで頭の悪そうな男。最後の一人は、見栄えはよく品のあるたたずまいをしているが――――なんとなく気にくわない。性格の悪そうな男だ。
「どうしたアリーシャ、そんな大声を出して」
そばかすの女が苦笑しながら私に言った。粗野な口調から、やはり平民だろうと推測できる。
「せっかく魔王を倒したのに、お前が元気になってくれないとしまりがないぞ!」
大口を開けて笑い、筋肉男は無作法にも寝間着姿の私の肩を叩いた。不愉快さに思わず払いのけると、「お」と戸惑ったような声を上げる。
「アリーシャ・ローヴェレ? 寝惚けているのか?」
性格の悪そうな男が、嫌味たらしくそう言った。三者三様、すべて言い当てられるとは、私の審美眼もなかなかのものだ。
「悪いけど、しっかりと目を覚ましているわ」
そう言いながら髪を掻きあげようとして、伸ばしていたはずの髪がないことに気がついた。肩よりも短く切りそろえられている。貴族令嬢としてあるまじき髪の長さに手が戦慄くが、そんなことはおくびにも出さずに、部屋の無作法者たちを睨みつけた。
「目を覚ましたうえで聞くわ。あんたたち誰よ。高等部生がわざわざ見舞いに来たの? 返答によっては、人を呼ぶわよ」
「アリーシャ……? やだそれ、『そっちの世界』での冗談?」
フラミー似の女が、笑顔を凍らせながらおそるおそる尋ねる。そんな彼女の態度は、ますますあの臆病なフラミーを想起させた。
「どこの世界だか知らないけど、冗談を言っているつもりはないわ」
「本気で言っているの? 私たちが誰、なんて」
私はフラミー似の女を強く見据える。彼女は怯えたようにベッドから一歩退き、彼女の仲間たちを見回した。
だが、誰もなにを言えばいいかわからない様子で、お互いの顔を見つめ合うばかりだった。
「アリーシャ・ローヴェレ、魔王を倒したことは覚えているか?」
しばらくの沈黙の後、そう尋ねたのはあの性格の悪そうな男だった。灰色の髪に、どこか不思議に輝く暗青色の瞳。色素の薄い肌はやや不健康そうに見えるものの、一見すると魔法使いと戦士のどちらかが判別できない程度に引き締まった体躯をしている。
この男なら、地下迷宮の攻略に役に立ちそうだ。地下十層程度、次は全滅せずに攻略してやる。頭の片隅で、そんなことを考える。
「魔王なんて知らないわ。なにそれ、昔のおとぎ話?」
「……ジルヴァーノ殿下のことはわかるか」
「はあ。女好きで噂の皇太子殿下? それがどうしたの」
「お前の恋人だった男だ。精霊母アイーダは」
「精霊母なんて初等部生でも知っているわ。全ての精霊を生み出す母にして、数多の外界とこの世界を繋ぐ楔――――なんですって?」
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。
「お前がなんで倒れて寝ているのか。その理由は」
「地下十層で魔物に襲われたからよ! あの役立たずども、私を置いて逃げるなんて――――じゃなくて! 恋人ってなによ!」
「…………お前、今いくつだ」
人のことを差し置いて、次々に話を進めるこの男。嫌われ者に間違いない。自分勝手な最高に嫌な奴だ。
「十四よ! 人んちに上り込んで馬鹿なことばっかり言わないで! 恋人とか、魔王とか!」
激昂してベッドから跳ね起きると、無礼者たちの困惑した表情が目に入った。私の姿を眺めながら、アホ面を晒して瞬いている。
ただ一人、性悪男だけが、冷徹な目で私を見ていた。
「決まりだな」
「なにがよ」
「お前、三年間の記憶がないんだ。前世の記憶を取り戻していた頃の」
○
頭のおかしな連中の言うことには。
どうやら私は、三年前に前世の記憶を取り戻したらしい。
きっかけは地下迷宮での全滅だ。あの日、魔物に襲われて気絶した私は、地下迷宮を定期巡回する警備員に助けられた。
ところがどうにも頭の打ち所が悪かったらしく、その日を境に私の言動は極端に変わってしまったらしい。
曰く、明るく親しみやすく、かなり変わったところのある普通の少女になったのだとか。
私はこれまでの言動からかなり敬遠されていたものの、その持前の風変わりな言動と天真爛漫な性格から、友人たちを増やし、こじれていた人間関係を回復させていった。らしい。
おまけに精霊たちにもやたらと好かれ、契約したいと名乗り出る精霊が後を絶たなかったのだとか。おかげで十四年間、ただの一体も精霊を持てなかった私が、兄エラルドを越える七体の精霊と契約を交わすことになったのだとか。
おかげで、兄と比較されることもなくなり、ぎくしゃくとしていた家族仲も回復。以前では考えられないほど穏やかで満ち足りた日々を送ることができた。
だが、そんな幸せも長くは続かなかったのだとか。
地魚とは、本来地下十層に大量に湧くような魔物ではない。実はあれは、将来優秀な魔導師となる私を亡き者にするため、意図的に送り込まれたものだった。それはすべて、魔力の覇権を狙う偉大なる魔導師にして魔法学院の創始者、カーン・ウェルチの仕業だったのだ。
そして前世の記憶とは、彼を倒すために与えられた能力であった。
私は精霊母アイーダと仲間たちの助けを得て、魔王と化したカーン・ウェルチを倒しました。めでたし。
「めでたくない」
ふざけるな、と喉から出かけた憤りを噛み殺し、私は無礼者一行を睨みつけた。
そんな与太話が信じられるものか。三年間の内に、どれほど凝縮すればそんな物語めいた出来事が起こるものか。私が将来、優秀な魔導師になるという一点を除き、彼らの言動は嘘のみで成り立っているに違いなかった。
「もういいでしょう。人を呼ぶわ」
話をするだけ無意味だ。むしろよくもここまで大人しく聞いてやったものだ。地下迷宮で頭を打ったことだけは、もしかしたら間違いではないのかもしれない。そう思いながら立ち上がった時だった。
たゆん。
圧倒的な違和感があった。立ち上がって初めてわかるその感覚は、胸元から発している。
見下ろせば、そこにはかつては存在しなかったふくらみがあった。
たゆん、は心象的な擬音だ。言ってもそこまで大きいわけではない。おそらくは平均程度だ。事実、そばかす女よりは大きいが、フラミーもどきよりはずっと小さいようだ。だが、十四の私にとっては壁であったはずのそこに、紛れもなく主張する何かがくっついている。
辺りを見回す。いつもよりも視線が高い。息を吐き出すと、嫌な予感に冷や汗が流れた。
目は無意識に、部屋にある鏡を探している。
視線が、窓際の柱にかけられた一枚の鏡を捉えた。そこに既視感のある女の姿が映っている。
十四の私より、少し大人びた顔立ち。見慣れた栗毛色の髪は短く、寝起きのせいで乱れている。顔は凡庸で、エラルド兄様に似ていないのは相変わらず。だけど深緑の色をした瞳は、これだけは兄様と同じ。
鏡の中の女は、その緑の瞳をいっぱいに見開いて、私を見つめ返していた。




