1-13
一人でいいというのに寮まで一緒に帰り、一人でいいというのに食堂で夕食まで共にした同級生も、消灯時間間際になるとさすがに寮の自室へ戻って行った。
外は既に日が落ちてしばらくたつ。青白い月が丸く浮かび、星々の明かりは見えない。寮の門限はとっくに過ぎ、これからは外へ出ることも中に入ることもできなくなる。
私は見覚えのない高等部の寮室で簡単に身支度を整えると、ベッドの上で勝手にくつろいでいた精霊に声をかけた。
「精霊、行くわよ」
「ん? え? どこに?」
「どこだっていいでしょう。とにかく行くわよ」
○
炎が爆ぜる。水流が渦巻く。風が吹き荒れ嵐を呼び、地下世界を魔物ごと吹き飛ばす。
私の全身から湧き上がる魔力が、地下世界を蹂躙する。選りすぐりのパーティでもってあれほど苦戦した地下十層までの道のりが嘘みたいだ。私の魔法は魔物達を一掃し、地形を変えるほどにダンジョンの地を、壁を抉り取る。
「……なにかと思ったら、地下ダンジョン? ねえ、どこまで行くの? ねえ聞いてる? アリーシャ!」
背後で精霊が呼ぶが、私は聞き流していた。目の前から来るのは、中等部の頃に一人では倒せなかった下級オークだ。体格は私より少し大きい程度。中等部生が出くわす魔物としては、格段に大きい。
私は瞬時に手のひらをかざし、体の魔力を集中させた。
頭に浮かべるのは火。何もかも焼き尽くす業火。目の前にあるものを叩き潰すような圧倒的な力。
「喰らえ――――!!」
品もなく叫べば、魔力は手のひらから放たれる。放出されたその力は瞬時に魔法に組み替えられ、下級オークを飲み込んだ。
焼き豚だ。そう思った瞬間、なぜか笑いが込み上げてきた。笑っても魔力は衰えない。次々に現れる魔物達に、遠慮のない魔法を浴びせて行く。知っている魔法も知らない魔法も、使えなかったはずの魔法も、とりあえずなんでもいいから使ってみる。
「いけえっ!! あははは、喰らえっ!!」
気持ちいい。私を遮るものは何もない。邪魔者を打ち崩す爽快感に、自然と足取りも軽くなる。早く前に進みたくて、飛ぶように足を踏み出す。
「どーしてそんなに楽しそうなのー!!」
精霊の声が追いかけてくる。だけど、それを無視して私は先へ先へと進んでいく。ダンジョン攻略のための魔力配分も考えず、ただただ全力で撃てる魔法の楽しさは、精霊にはきっとわかるまい。
私は笑い声を上げながら、もはや駆け出していた。
体の中に溢れる魔力を感じながら、それを魔法で放つことの心地よさに酔っていた。
○
地下十層に溢れかえった地魚を焼き払ったところで、私はようやく息を吐いた。
汗をぬぐい、散々魔法を放ちすぎて、火傷気味の手のひらを眺める。そうしてもう一度笑った。
「あっはははは!!」
笑い声は、地魚の食い荒らした壁の中に消えて行った。その壁は、私の火で焼きつくした。壁の中に隠れたままの魚まですべて蒸し焼きだ。
私の笑い声はこだまし、地下世界に孤独に響き渡った。それもまたなぜか愉快で笑いを誘う。
「あはは、あは、はははは――――はー、楽しかった」
「もう、アリーシャったらほんとうにどうしたって言うの。いきなり部屋を飛び出して、一人でこんな場所まで来て」
肩で息をする私の横で、精霊が腕を組んでそう言った。透き通った彼女は地下の惨状を眺め、焼き尽くされた地魚の骨を眺め、渋い顔をする。
「魔法が使えて楽しいのはわかるけど、いくらなんでもやり過ぎでしょ。危険だし、いくら精霊がいたって、魔力が尽きたら力を貸すこともできないのよ!」
説教される私の魔力は、精霊の言うとおり尽きかけていた。魔力配分を放り出して、全力でここまで来たせいだ。
通常、精霊がついたからと言って魔力量が増大するわけではない。精霊はあくまで、放たれた魔力に対して力を貸す。だから精霊持ちの魔法使いは、最小限の魔力で最大の力を引き出せるように知恵を絞るものだった。
「まあ、最初はみんな、精霊の力を限界まで試したがるものだけど。帰り道はちゃんとペース配分してよね」
「……ねえ、その精霊だけど」
ひとしきり笑い終え、そろそろ呼吸も整ってきたところで、私は精霊に呼びかけた。「ん?」と精霊は怪訝そうな顔をする。
「解約するわ、全部」
「んんんんん!?」
○
「え、それアリーシャンジョーク? ニュータイプのブラックジョーク?」
「なによそれ」
「こっちこそ『なによそれ』よ! 本気で言ってるの!?」
本気だ。私はまじめな顔でうなずく。
「さっきまで楽しいって言って騒いでたのに!? あんなに魔法使いまくってたのに!」
「使い収めよ。たまにはこういうのも悪くないわ」
魔力の使い過ぎでひりひりと痛む手のひらを見て、私はそう答えた。もう二度と使わないつもりだから、こんな無茶なこともしたのだ。
精霊はしかし、やかましく私の意思を確認してくる。私よりも精霊の方が焦っているようにさえ思えた。
「ねえ、もう一回聞くけど本気? 聞き間違いじゃなくて? 解約って精霊のことで間違いない?」
「間違いないわ。精霊全部と解約する、そう言ったのよ」
私は精霊を睨みつけるように言った。精霊もまた、私の顔を覗き込んでくる。そこに嘘や冗談の色を探しているのだろう。彼女の目は忙しなく瞬き、それから一度顔を伏せた後、弾けるように私を見上げた。
「馬鹿じゃないの! ばっかじゃないの!?」
ふわりと浮きあがり、私と同じ目線の高さまで来ると、触れられない両手で私の頬を叩く。
「あんなに楽しそうにしてたのに! あんたがずっと欲しかったもんでしょう!?」
「そうね」
「じゃあどうして! この力があれば、アリーシャのしたいことがなんでもできるんだよ! ローヴェレ家の落ちこぼれなんて言われないし、主席にだってなれるし、エラルドにも追いつけるのに!?」
「そうね」
「…………もしかして、記憶のない間に得た力だから気にしてる? で、でも! これはアリーシャの正当な力なんだよ! 精霊だってみんな、アリーシャのためなら力を貸してくれるって――――」
「そんなことどうでもいいわ」
精霊の言葉を遮ると、彼女は怯んだようにぐっと口を引き結んだ。
一瞬の静寂が地下に落ちる。焼き尽くされた地下十層の地下道には、魔物の物音さえ響かない。私の笑い声と魔法の爆発がまだこびりついている耳には、少し静かすぎる気がした。
「……じゃあ、どうしてよ」
ぽつりと精霊がつぶやいた。
「どうして解約なんてするの。契約してたって別に、邪魔になるもんでもないじゃない!」
「そうね」
邪魔になるどころか、精霊が先ほど怒鳴りつけた通り、欲しくて欲しくて仕方がなかったものだ。
精霊の力だけではない。父の期待も母の愛も、友人も尊敬のまなざしも。今日一日で得られたなにもかも、私が望んで望んで、ずっと追いかけてきたものだった。
でも。
「でも私、人から与えられたものに興味ないから」
「はあ!?」
「欲しいものは自分で手に入れるわ。最初から全部与えられてたらつまらないもの。自分で掴みとるから面白いのよ」
「それで十四になっても手に入らなくて、ずっとひねくれてたんじゃない!」
「ひねくれてないし、まだ手に入らなかっただけよ! 必ず主席になるつもりだったわ! 魔法だって、もっと上手くなれたし……!」
的確な精霊の言葉に、私は両手を握りしめて言い返す。まだ、あの時できることはあったはずだ。地下十層の攻略だってあの時の私でもできた。ただ、フラミーが裏切って一回目に失敗しただけだ。次は成功したはずなのだ。
「あんた意地張ってるでしょう! さっきまで楽しんでたくせに! 名残惜しかったんでしょう!? 魔法が使えなくなることが!」
「張ってないわ! 意地なんて!!」
私のひときわ甲高い声は、地下の世界に反響した。意地なんて張っていない。心から思っている。精霊なんていらない。そんなものなくたって、私は平気だ。ずっと平気だった。
意地を張っていないと言い張る私の意地っ張りが滲み出した顔を見て、精霊は頬を膨らませた。なにを言っても聞かないと分かったのだろう。宙に浮いたまま両手を腰に当て、説教くさい教師のような態度で私にふんぞり返った。
「あとで絶対後悔するからね! その時にやっぱり精霊が欲しいって言っても知らないよ!」
ふん。と私は鼻を鳴らす。ひりひりする魔力焼けの手のひらをかばい、精霊に負けじとふんぞり返った。
「後悔なんてしないわ。私、生まれてから一度も後悔なんてしたことないもの」
地下十層だって、次は一人で来られる。精霊なんていなくたって。
私はエラルド兄様の妹。魔法の名門ローヴェレ家の娘、アリーシャ・ローヴェレなのだから。




