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すごい。さすが。やっぱり。敵わないなあ。
私への称賛は惜しみない。
くすぶっていたこれまでの日々を忘れさせせるような、理想的な、夢のような一日は、駆け抜けるように過ぎて行った。
「じゃあ、アリーシャ、またね!」
「アリーシャ、今日の演習は助かったよ。また頼むぜ!」
「ねえねえ、一緒に寮に戻ろうよ」
「ダーメ。これからアリーシャには、私たちの特訓に付き合ってもらうんだから」
「えー。久々の授業でアリーシャは疲れてるんだから、早く帰ろうよ」
「ふーん、そういうのはアリーシャが決めることよ」
私を取り囲み、口々に生徒たちが騒ぐ。私は戸惑いつつも、彼らのなすがままに手を引かれていた。
西日が差す教室に、すでに担当教師の姿はない。半数の生徒たちも帰宅し、残っているのは私と、他数人の生徒たちだけだった。
彼らはみんな好意的で、私に気安く、親しい。そして少しだけ強引だ。私を間に挟み、特訓をする派と寮に帰る派がにらみ合っている。
「ね、アリーシャ、いいでしょ? 自主練付き合ってよー」
「無茶しちゃだめよ、アリーシャ。記憶がないから覚えてないでしょうけど、この特訓、日が暮れるまでずっと付き合わされるのよ」
どちら派の誰かが、私の肩を強引に引く。一方の誰かは、私に顔を近づけて警告をする。
「え、ええと……」
どうすればよいのか分からず、私が口ごもっていた時だった。
「……他人の力でちやほやされて楽しいのかよ」
囁くような、しかしはっきりとした呟きが、放課後の教室に響いた。
教室中の視線が、その声の持ち主に向かう。
私に向けられた、その敵意ある言葉。それを口にするのは、今のこの高等部には一人しかいない。
エリオ・セラータ。教室の隅で、帰り支度を済ませた彼が、私を睨みつけていた。
「お前は魔王を倒したアリーシャじゃない。なんで高等部に来たんだ。やり直すなら中等部からだろう」
「エリオ」
誰かが咎めるように彼の名を呼ぶ。だが、彼はそれに反応をしない。射抜くようなその顔つきは、ただ私を見据えている。
「あるいは、学院に来なければ良かったんだ。学院を卒業しなくても、今のお前なら引き取り手がいくらでもいただろうに」
「エリオ! アリーシャに対してそんな言い方は」
「お前、どうして学院に戻ってきたんだよ。前のアリーシャと違って、友達もいないくせに。その力、見せびらかしに来たのか」
どうして。
私はエリオの視線を受け、らしくもなく口をつぐんでいた。
いや、今日一日ずっと、私は私らしくなかった。なにを言われても答えず、なにをされても大人しく、騒ぎ立てる周囲に流されていた。
理由は――たぶん、驚きや戸惑いのせいだけではない。
○
父も母も、わざわざ学校に行かなくてもいいと言っていた。
「ねえアリーシャ、こんな記憶がない状態で無理をしなくてもいいでしょう? それ以外にも、あなたにはいろいろと思い悩むことがあるのよ。しばらくは学院を休んでもいいんじゃない? 誰もきっと文句は言わないわ」
母はそう心配した。
「あるいは、学院を卒業するだけが価値ではないぞ。記憶がない状態で友達に会うのも辛いだろう。もちろん、友達と会ってこれまでのことを思い出せるなら万々歳だがな。なに、強制はしない。ゆっくり考えてお前が決めるんだ」
父はそう笑った。
学院へ行きたいと言ったのは私だ。
私に残っている最後の記憶は学院だった。これまで毎日毎日、どれほど嫌われても疎まれても通い続けてきた。私にとって、学院は世界のすべてだった。
だから学院に行く他に、どうすればいいのかわからなかったのだ。
○
クラス中の非難の目も顧みず、エリオは言いたいことだけ言って帰って行った。
エリオが去ると、一瞬呆けたような沈黙が降り、そしてすぐさま騒がしくなった。
「ごめんね、アリーシャ。きっとあいつ拗ねてるのよ」
エリオのいなくなった先を睨みつつ、私を特訓に誘おうとした生徒が言った。
「拗ねてる?」
「アリーシャが記憶を失くしたもんだから。エリオは魔王退治をした四人の内の一人でしょ? アリーシャとも、すごい信頼し合っていたのよ。だけどアリーシャはそのことを覚えていない。きっとそれが悔しいんだわ」
「……へえ」
「ほんと、強情っぱりな子供よね。魔王退治の時はかっこよかったんだけど、幻滅しちゃうわー」
女子生徒は私に向き直り、おどけたように肩をすくめた。しかし、すかさず別の女子生徒から反論を受ける。
「そこが可愛いところなのよ。オトナになれない英雄って感じ?」
「えー、趣味わるーい」
「言っても、美形で成績が良くて魔王退治の英雄よ? エリオで趣味が悪いんなら、世の中の大半は趣味悪くなるわよ」
エリオは有りか、無しか。私を挟んで、かしましい会話の応酬が行われる。
中等部の頃から美少年と評判だったエリオは、依然女子生徒から人気らしい。無し派の方は劣勢で、一人二人が反論を返し続けているだけだ。
まわりの男子生徒たちは、呆れたように盛り上がる彼女たちを眺めている。
言い争う彼女たちと、見守る男子生徒たち。教室には親しみのこもった喧騒と、苦笑が満ちていた。
こんなふうに、人と話した記憶はなかった。同級生の親しみの視線なんて知らなかった。
私には、一生縁のないものだと思っていた。
戸惑い続けた一日の終わり。私の表情が、気づかないうちに歪むのがわかった。
それは心底から無意識で、無自覚な感情の発露だった。
自分でも、どうしてこんな表情を浮かべたのかわからない。
いや、本当は少しわかっている。
――羨ましいんだ。
人に囲まれ、親しげに話しかけられ、笑い声の響く中にいる。それがきっと、嬉しくて羨ましい。
私はきっと、今、喜んでいるんだ。
「あ! アリーシャ笑ってる! 今日、やっと笑ってくれたね」
女子生徒が、明るく声を上げて私に笑いかける。
私はぺたりと、自分の頬を撫でた。




