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ウェルチ魔法学院の高等部は、中等部と一線を画している点がある。
それは、外部からの編入生の多さだ。
優秀な魔法使いが頭角を現し始めるのは、十四、五歳と言われている。
才能があれば、このくらいの年頃から第一の精霊と契約を交わし、周囲から一目を置かれ始めるようになる。精霊の契約がなくとも、魔法技術の能力の高さや知識の高さはこの頃には知れ渡っているだろう。
ウェルチ魔法学院は、そんな才能を広く受け入れていた。
他の魔法学院に通う生徒。特定の魔導師に師事している若者。市井で名を広めた無学の庶民に至るまで、ただ一つ、才能のみを入学許可証に、高等部への編入を許しているのだ。
編入生は、外部で認められた生徒たちだ。幼少期に魔力の素養を見出され、大切に育てられてウェルチ魔法学院の内部生徒とは、その能力の質が大きく異なっている。
彼らの魔法には品がない。先人たちが長年思い悩み、幾何学的に組み上げてきた魔法体系を捨て、独学に塗れた美しくない魔法を操る。彼らは粗野で下品で成果主義で――――だからこそ実力者だ。
彼らの中には、貴族階級の者などほとんどいない。いたとしても、せいぜい地方の魔法学院に通うしかない田舎貴族だろう。そして残りの編入生は、学校に通う余裕のない平民か、あるいはまったく得体の知れない流れの者である。
だが、ウェルチ魔法学院において、彼ら編入生に太刀打ちできるものは多くない。
「彼らはルールに基づく試合ではなく、喧嘩をしに来たのだ」
高等部に通っていたころの兄様が、私にそう言ったのを覚えている。
これまで学内に、ライバルどころか張り合う相手すらも存在しなかった兄様が、興味を持ち、そして評価したのだ。
兄様がそう言うのなら、それはきっとすごい相手なのだろう。
私の魔法で彼らに太刀打ちできるのか。高等部生になるのを、私は恐れ、怯えていた。
○
高等部二年の魔法演習。今日の課題は、屋内演習場での模擬戦だった。
それぞれ好きなグループに分かれ、教師の作り出した魔物の幻影を倒すこと。魔法はどんなものを使っても良い。どれほど強力な魔法だとしても、演習場に掛けられた強力な抑制魔法で、人に害をなすほどの威力にはならないはずだ。
逆に言えば、そのくらい強力な魔法を撃たなければ魔物は倒せない。
この演習で大切なのはチームワークだ。一人一人の魔法では、魔物を倒せるほどの力はなくとも、数人で協力すれば、それだけ強い魔法を生み出すことができるのだ。
「アリーシャ、すごい! すごい!!」
魔法戦の模擬演習。魔物の幻影を焼き払った私に、誰かが横から抱きついてきた。
「一撃で倒すなんて、さっすがアリーシャ! 見てるだけでゾクゾクしちゃった」
彼女は私を抱きしめながら、頭を荒く撫でまわす。声から、同じグループにと誘ってきた、外部生の女子生徒だろうと分かった。
「ほんと、アリーシャの魔法ってキレイよね。精霊との連携もバッチリ。まるで魔法で会話しているみたい!」
彼女は目を輝かせながら、私の魔力を褒め称える。明るい声には屈託がなく、素直な称賛だけが込められていた。
未だ魔力のくすぶる演習場に目をやれば、彼女以外の生徒たちも私に注目している。課題として、一グループ一体の魔物を倒さなければならないのに、今は誰も彼も魔法の手を止め、私の炎が爆ぜたその場所を見つめていた。
それもそのはず。私が一人で放った魔法は、演習場に掛けられた抑制魔法を破り、天井を焦がしていたのだ。幸いにも火は燃え広がることなく、天井をしばらくくすぶった後に消えた。
視線を上に持ち上げr場、少女の精霊が天井の隙間からこちらを睨みつけていた。「こらっ」と口を動かしたところを見るに、どうやら外に漏れ出た炎を収めたのは、彼女たち精霊のようだ。
だが、彼女は人々の視線が集まり始めると、逃げるように去って行った。
「アリーシャ、いくらなんでもやり過ぎだろ」
「またアリーシャか」
「記憶を失くしても、ノーコンなところは変わらないなあ」
苦笑とも失笑ともつかない笑い声が、いつしか演習場に響き渡っていた。その声にはどれも親しみが込められ、私を見る視線は穏やかだ。
中等部時代に嫌っていた人間、嫌われていた人間。知らない人間に至るまで、誰の視線にも嫌味がない。フラミーなど、私と目が合うと手を振ってきたくらいだ。
――――いや、違う。一人だけ、敵意がむき出しの視線がある。
エリオだ。どうやら、フラミーや筋肉と同じグループにいたらしい。エリオの視線は、和やかな空気に真っ向から立ち向かうように熱く、ある種情熱的なほどの嫌悪に満ちていた。
彼は私が見ていることに気がつくと、ますます憎しみを増したように、私を睨みつけてくる。
「まったく、復帰して早々この騒ぎですか、ローヴェレ君」
沸き立つ演習場に、エリオとは異なる冷ややかな声がかかる。
視線だけでちらりと見やれば、そこには高等部演習担当の教師がいた。なかなか涼しげな容姿に、気取った片眼鏡、生真面目で融通の利かなそうな顔。まだ兄様と同じ年程度にしか見えないこの若い教師は、きっと女子生徒に人気があることだろう。
彼は私を見て、天井を見て、深くため息をついた。
「だから見学しておきなさいと言ったのに。本調子ではないのですから、こうなるだろうことなど私にはわかっていたんですよ」
私は返事をしなかった。どう答えればいいのか分からなかったせいもある。まだ、魔法の反動が抜けきっていないせいもある。
「……相変わらず、あなたには苦労をさせられそうですね。まあ、私も覚悟はできていましたよ。あなたと付き合っていこうと」
教師の言葉に、いつの間にか演習場が静まっている。炎はまだくすぶったまま。魔力は演習場に満ちたまま。外部生の少女は私に抱きついたまま。みんな教師の言葉を聞いている。
「魔王を退治しても、あなたがこの学院の生徒であることには変わりありません。他の生徒と変わらず、厳しく鍛えて差し上げます」
ふ、と教師が息を吐いた。少女が私を抱く手に力を込める。私は魔法を放った時からずっと――ずっと、微動だにしていなかった。動かしているのは、戸惑いの混じったこの視線だけだ。
「だからまずは、この言葉を送りましょう――――お帰りなさい、ローヴェレ君」
片眼鏡に触れ、教師は無表情のままそう言った。演習場の生徒たちが、口々に「お帰り」と騒ぐ。フラミーははにかんだ笑みで拍手をしていて、外部生の少女は、これ以上ないと言うほど固く私の肩を抱いた。
私は、自分の手のひらを見た。
放たれた爆炎。加速する魔力の膨張。演習場の魔法を破るほど、強い魔法。
なにもかも打ち破るほどの魔法。人々の称賛。認知。憧れの目。
――――ずっと。これはずっと。
私は天井に顔を向ける。焼けただれた天井から、機嫌を治したらしい精霊の少女が生えていた。
彼女は私と周囲の様子を一瞥し、口を笑みの形に変えた。
「ずっと、こうなりたかったんでしょう?」
彼女は囁くようにそう言った。
あどけない、無邪気なその言葉に、私はなにも答えられない。




