間章 壊れそうな世界
一つの物語が幕を下ろし、観劇者の目から離れた後。
少女は服装を変え、髪型を変え、特徴的だった大きな髪飾りもつけていない。
「お兄ちゃーん」
この言葉で判る通り、話し方は変わっていない。
呼ばれたのは、この空間では彼女の兄であり、現実では存在しないことになっている、この空間の創造者。
「なんだ~? 忌斎」
「隣いい?」
「隣きてくれんの?
感激。」
全くそうは見えない顔で、彼は感情のこもらない言葉を発した。
少女は隣の切り株に座り、空へ向けて手を伸ばす。
片方の手を、まっすぐと。
「あのね」
風は、少女の纏うゆったりとした服──その末広がりの袖を、豪快に揺らした。
伸ばしている方の手をゆっくりと下ろし、揺れる袖をおさえる。
反対の袖には、中身がなかった。
「私は、死なないよ」
それは、強さ故の自信でも、能力故の確定した未来でもない。
能力を使わずに、本来の自分を否定するということ。
「殺してもだめだ」
弱い精神を犠牲にし、思考を──感情を、押し殺すということ。
「殺さないよ」
そうしなければ、少女は確実に、幾度となく、死んでしまうのだから。
「全部、忌斎が気に病むことじゃないんだから。」
「全部、僕のせいだ」
雰囲気が変わり、周りの空間が軋みだした。
「お前のせいじゃない。悪いのはアイツ等だ」
それにつられてか、少年の語調は強くなった。
「あの人たちは、『僕』を求めて、あんなことをしてたんだ」
「お前は失敗作だろ? 成功したものは一つもないはずだ」
「うん。──でも、本来の目的とは反して、『僕』を作り出してしまった。」
「本来の目的から外れていることに気づけなかったのは、アイツ等自身だ。」
少し嘲笑うかのような少年の表情を一瞥し、少女はますます空間を軋ませた。
「本当なら、『僕』ができる前に、計画は、終わるはずだったのに。」
「ifでなく、実際は、計画は終わらなかったんだろ?」
「僕がそうしたんだ。」
その言葉は、相手の言葉を聞き終える前に発された。
「まだ成体ですらなかったお前が?」
「姉さんたちが、『僕たち』に会いに来た。」
「それは処分されそうな時だったんじゃないのか?」
「まだ僕が幼体にすらなっていなかった頃、姉さんたちは成体になって、『僕たち』に別れを告げていった。」
「そんなときの記憶があるのか?」
「本来なら、ないはず。
でも僕は、普通じゃないから。
他の個体と、ある程度は、記憶が共有できる。」
「誰とでも?」
「相手の能力の強さに依存するし、同じ時を共有してた記憶しか無理。
それを統合して、足りないとこを補っていったら、そんな記憶ができあがった。」
少年は、続きを促す。
「姉さんたちはあの人たちの目を盗んでは『僕たち』のところへきて、気が済むまで眺めたり、話しかけたりしてくれた。
それが『僕たち』には嬉しくて、成体になったら、それを伝えたかったんだ。」
「そんで、成体になるまで計画が続くようにしたと?」
少女は頷く。
「本当は、少しずつ計画が縮小されていって、そのときあった幼体がすべて成体になったらデータだけ取って、欠陥品はすぐに廃棄されて優良株たちがみんな巣立ったら、終わりになるはずだった。
実際、それだけしかできない経済状態だった。
でも、僕がそう願ってしまったせいで、欠陥品の廃棄が行われず、再調整にお金をかけすぎて、急に計画が取りやめになることになった。」
「アイツは欠陥品だったのか?」
「うん。姉さんは、今まで記録に残っている中で、僕の次に悪い。」
「お前は測定不良だろ?」
「姉さんも、似たようなものだよ。」
「ところでさ、」
「何?──」
二人は現実世界に存在しないため、互いに真名はない。
それでも便宜上の──この空間での名は、自らがつけた。
彼女はいくつもの世界をわたるうちに名が増え、いろいろな呼び方がされるようになった。
彼はそもそも人前に姿を現すことさえ稀なため、名を呼ばれない。
互いにその便宜上の名すら忘れ去られている2人は、せめて自分たちだけはと、2人しかいない時は、なるべく互いの名を呼んだ。
彼女のことは忌斎と。
彼のことは……
「カレン」
と。
「そろそろガタがきそうだから、止めてくんない?」
その言葉で少女はハッとし、目を見開いた後、片腕を目の前に突きだし、手の平を正面へ向け、指を三本閉じながら一八〇度回転させた。
伸ばされたままの指は軽く反動をつけて地に向けられる。
その際何事か呟かれたが、少女以外の耳には届かない。
「──ごめんね、お兄ちゃん」
それから、慌てて謝った。
「ホントにそれで生きてられんのか?」
やや呆れ気味に、少年は言った。
少女が空間を軋ませるのは、思考を強く反映させる能力故。
その能力は、強く思えば無意識に発動してしまう。
空間が軋むのは、潰そうとする少女の能力と保とうとする少年の能力がせめぎあい、僅かに少年の方が押し負けているからである。
少女はひまになると、いつも同じことを考える。
それによって周りの空間は巻き込まれ、少女共々消滅する羽目に陥る。そうならないためにも、少女の意識を逸らし、それを考えさせないことが重要である。
少女が考えることは、堂々巡りの、過去に対する後悔。
毎回同じ道をたどり、最終的に、自分さえいなければ、という考えに帰結する。
だが、少女は死なない。
そのため、少女自身を空間の破壊に巻き込もうとするのだ。
何とも傍迷惑な能力である。
「がんばる。」
「忌斎が死んだら、これまでのことは水泡に帰すんだ」
本気度の強い少年の言葉に、少女は力無く微笑んだ。
「たぶん、またみーちゃんが変な事してると思うから、退屈しないんじゃないかな……?」
やや呆れ気味に、二人でぎこちない笑みを交わす。
「そろそろアイツ、排除してい?」
「だめ。
みーちゃんも、大切な《人形》の一人なんだから。」
「レテを次に引き継げば、そいつがちゃんと覚えててくれるさ。
──忌斎の中から消えたとしても。」
「まだ、引き継ぐ気はないよ。
まだみんな、あるべきとこに返してないから。」
「すべてをあるべきところに返して、果たしてそれで終わるのか?」
「終わらせるよ、絶対に。
僕が私であるあいだに。」
「アイツらのために──か?」
「これはただの、僕の自己満足。
姉さんは、関係ない。」
「もう一人の方は?」
「生きていたら、僕を止めるだろうね。」
「そっちは関係ありそうだな。
──まぁいいけど、そろそろ行けば?」
「あ……うん、そうする。」
少女は立ち上がった。
その動作中、服装が替わる。
「時間をかけちゃってごめんね、お兄ちゃん。」
その服装に対して、少年は1つの疑問を投げかける。
「それは──アカハか?」
少女は首を横に振る。
「狩人の側に立つのは、アカハちゃんだけじゃないよ」
「別の精霊か。」
「That's right!」
少女はなぜか、とたんにテンションが高くなった。
「正解だよっ」
「俺があんたにお兄ちゃんと呼ばれなくなる日も、近そうだな。」
テンポを合わせるなんて事はぜず、少年は呟く。
「No oroblem. お兄ちゃんじゃなくなったとしても、あなたは私の側にいるよ。私が消える、そのときまで。」
「いつかは、消えてしまうんだな。」